〈ドキュメンタリーの父〉とよばれるアメリカの記録映画作家。ミシガン州生れ。1910年から16年まで北カナダ鉄道の地理調査隊に加わり,13年にエスキモーの生活を撮影したフィルム(上映時間が17時間30分におよんだと伝えられている)がトロントで編集中に事故で焼失したのち,フランスのレビヨン毛皮商会から5万ドルの出資をえ,15ヵ月間エスキモーと生活を共にして自然とたたかう狩猟家族の姿を記録した《極北の怪異》(1922)をつくり,記録映画の新しい道を開いた。単なる〈実写映画〉とは異なるこの画期的な記録映画に初めて〈ドキュメンタリー映画〉の名が冠せられた(名付親はジョン・グリアソン)。南太平洋の島に住むサモア人を〈パンクロマティック・フィルム〉を使って撮った《モアナ》(1926)のあと,W.S.バン・ダイク監督《南海の白影》(1928),F.W.ムルナウ監督《タブウ》(1931)という2本の劇映画への協力は信念の相違から途中で手を引くこととなったが,イギリスへ招かれてアイルランド西方の孤島で生きる人々を描いた《アラン》(1934),アメリカのスタンダード石油会社の出資による《ルイジアナ物語》(1948)などをつくり,ドキュメンタリー映画史に不滅の足跡を残している。
フランスの〈シネマ・ベリテ〉の代表的映画作家ジャン・ルーシュはその方法論をフラハティから学んだと語り,イタリアの〈ネオレアリズモ〉の理論的指導者であった脚本家のチェーザレ・ザバッティーニもフラハティのドキュメンタリーから深い影響を受けたと告白しているように,フラハティのドキュメンタリーは〈ネオレアリズモ〉や〈シネマ・ベリテ〉の先駆けであったといえる。なお,1981年にフラハティの娘モニカ・フラハティにより,音楽,波の音,ナレーションをいれた《モアナ》のトーキー版がつくられた。
→ドキュメンタリー映画
執筆者:柏倉 昌美
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アメリカの記録映画監督。ミシガン州のアイアン・マウンテンに生まれる。鉱山学校に学び、探検家となり、カナダ北部踏査を通じて長編記録映画をつくるが、ネガを焼失する。1920年に現像装置、焼付け機、映写機までも携えて同地を再訪、イヌイットと長期間居住をともにし、自然と闘う現地人の生活を撮影する。これが記録映画史上革新的な『極北のナヌーク(極北の怪異)』(1922)であり、イギリス・ドキュメンタリー派に多大な影響を及ぼす。続く南太平洋を舞台にした『モアナ』(1926)は興行的に失敗、『南海の白影』(1928)、『タブウ』(1931)も共作ゆえに不本意な結果となる。1931年にジョン・グリアスンJohn Grierson(1898―1972)に招かれて渡英し、グリアスンとともに『産業英国』(1931)を製作。その後、アイルランドで孤島の漁師の厳しい生活を描いた秀作『アラン』(1934)を完成させる。商業主義に妥協せず、自己の信念を貫き、『ルイジアナ物語』(1948)を遺作として、アメリカのバーモントで死去した。
[奥村 賢 2022年6月22日]
極北のナヌーク(極北の怪異) Nanook of the North(1922)
モアナ Moana(1926)
産業英国 Industrial Britain(1931)
アラン Man of Aran(1934)
ルイジアナ物語 Louisiana Story(1948)
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…その信条は国際市場を目ざすいたずらな大作主義に走ることなく,国内市場だけで回収できる範囲の製作費で作品を作り,そこに〈イギリス的なるもの〉を盛り込むことにあった。彼はすでに1930年代にヒッチコック監督のスリラー《暗殺者の家》(1934),《三十九夜》(1935),《サボタージュ》(1936),ミュージックホールの人気スター,ジェシー・マシューズをヒロインにしたV.サビル監督のミュージカル《永遠の緑》(1934),《君と踊れば》(1936)などを製作,さらにJ.グリアソン(1898‐1972)に招かれてイギリスにきていたアメリカの記録映画作家R.フラハティに彼の生涯の傑作と評価されることになる《アラン》(1934)を作らせるなど,プロデューサーとしての優れた功績があった。 イギリスではサイレント末期の1920年代末からグリアソンを中心に初めは大英帝国通商局(EBM),次いで郵政省(GPO)の映画班によって積極的なドキュメンタリー映画運動が推し進められてきた。…
…1922年製作のアメリカ映画。ロバート・フラハティ監督。映画史上初めて〈ドキュメンタリーフィルム(記録映画)〉と名付けられた画期的な名作。…
…日本では〈記録映画〉という訳語も一般化している。映画での〈ドキュメンタリー〉という呼称は,そもそもアメリカの記録映画作家ロバート・フラハティがサモア島の住民の日常生活を記録した映画《モアナ》(1926)について,イギリスの記録映画作家であり理論家であるジョン・グリアソンJohn Grierson(1898‐1972)が,1926年2月の《ニューヨーク・サン》紙上で論評したときに初めて使ったことばで,それまでは〈紀行映画travel film(travelogue)〉を指すことばだったフランス語のdocumentaireに由来している。広義には,劇映画に対して,〈事実〉を記録する〈ノンフィクション映画〉の総称で,ニュース映画,科学映画,学校教材用映画,社会教育映画,美術映画,テレビの特別報道番組,あるいはPR映画,観光映画なども含めてこの名で呼ばれるが,本来は(すなわちグリアソンの定義に基づけば),〈人間の発見と生活の調査,記録,そしてその肯定〉を目ざしたフラハティから,〈映画は生きものの仕事〉であり〈事実や人間との出会い〉であるという姿勢を貫いてカメラを対象のなかに〈同居〉させた《水俣》シリーズ(1971‐76)の土本典昭(つちもとのりあき)(1928‐ )や《三里塚》シリーズ(1968‐73)の小川紳介(1935‐92)らにつらなる方法と作品,すなわち〈実写〉とは異なる〈現実の創造的劇化〉が真の〈ドキュメンタリー〉である。…
※「フラハティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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