日本大百科全書(ニッポニカ) 「プラトン学派」の意味・わかりやすい解説
プラトン学派
ぷらとんがくは
Platonism
(1)狭義には、プラトンの学園アカデメイアAkademeiaの学統を継承するアカデメイア派をいう。プラトンの没後、学園を継いだスペウシッポスやクセノクラテスは、師の晩年の教えにある数学的思弁と結んだ形而上(けいじじょう)学説(「イデア数」の説といわれる)を体系化し、枝葉の思弁に走った。アリストテレスが「哲学を数学とした」といって非難したのは彼らのことである。ポレモン、クラテスら、紀元前3世紀初めまでの人々を古アカデメイア派という。前270年に学園を継いだアルケシラオスは、究極の知恵は文字として伝ええず、愛知(フィロソフィアー)(哲学)は愛知者間に交わされる真理の対話探究としてだけ具現されるとしたプラトンの説の忠実な継承として、「真理は発見されず、探究されるだけである」とする懐疑論を唱えた。
それ以後、アカデメイア派は懐疑論を代表し、一定の教説(ドグマ)を唱えたストア派やエピクロス派と対立した。これを新アカデメイア派という。前2世紀にはカルネアデスがいる。前2世紀末のラリサのフィロンとアスカロンのアンティオコスは懐疑論を捨て、アカデメイア派は終わる。この2人に学んだキケロの書物を通じて、その懐疑主義はのちアウグスティヌスに影響する。(2)広義にはプラトン主義の哲学を唱えるものをいう。〔1〕一定の学派を形成したわけではないが、紀元後1~2世紀ごろ、時代の傾向に応じて、主としてプラトン哲学の宗教的傾向を強調した思想家たちを中期プラトン学派として総称する。『プルターク英雄伝』の著者プルタルコス、アルビノス、テュロスのマクシモスらがある。これらの人々にはアリストテレスをはじめとする他の諸学派の影響が顕著であり折衷(せっちゅう)派といわれ、新プラトン主義の先駆となる。〔2〕3世紀にプロティノスによって始められた新プラトン学派も、広義のプラトン学派の一つである。
[加藤信朗]