ユダヤ的伝統とギリシア的教養を身につけた著名な哲学者。一般にフィロ・ユダエウスPhilo Judaeusの通称で知られる。アレクサンドリアの裕福なユダヤ人の家庭に生まれた。当時のアレクサンドリアはプトレマイオス王家の支配のもとに栄えたギリシア的文化都市であったが,多数のユダヤ人が居住し(この時代のエジプト全体のユダヤ人の人口は100万をくだらなかったという),彼らに特別の自治権が認められていた。これら離散(ディアスポラ)のユダヤ人にとって最も切実な問題は,彼らの父祖の教えである旧約聖書とその文化的背景であるギリシア思想との調和を,いかにしてはかり,かつユダヤ思想の優位性をいかに弁証するかということであった。この試みは聖書のギリシア語訳《七十人訳聖書》を初めとして,すでに二,三の先駆者によって進められてきたが,とくにこの問題と本格的に対決した最初のユダヤ人哲学者がフィロンであった。彼の著作は主として〈モーセ五書〉の注解,および釈義であるが,ストア哲学から学んだ〈比喩的方法〉を用いて,聖書の外面的な字義の背後に隠されている真の内面的意味を探求し,その普遍的な真理性の解明を試みている。彼の聖書解釈にはユダヤ思想,ギリシア思想(とくにプラトンとストア),また密儀的神秘思想など多くの要素が混在しているが,その根本的意図は聖書に示されている神の世界創造の問題をいかに合理的に説明するかという点にあった。ここにフィロン哲学を最も特色づける神と世界の媒介者としての〈ロゴス〉の思想が導入されるが,それは一方世界の範型として神によって思惟された〈英知的世界〉を指示するとともに,他方世界に内在し,それを摂理によって導く〈神の力〉を意味する。彼の〈ロゴス論〉は初代キリスト教神学の〈ロゴス・キリスト論〉の形成に重大な影響を与えた。
→ユダヤ哲学
執筆者:平石 善司
古代ギリシアの哲学者。北ギリシア,テッサリア地方の市ラリッサLarissaに生まれる。故郷でカルネアデスの徒カリクレスに学んだのち,アテナイに遊学してクレイトマコスの弟子となり,彼のあとを継いで前110または109年にアカデメイアの学頭となる。第1次ミトリダテス戦争中の前88年に戦乱をさけてアテナイからローマに逃れ,この地で哲学さらに修辞学を教えた。彼の弟子に詩人カトゥルス父子らがいるが,とりわけ有名なのはキケロである。彼は,アルケシラオスが創始しカルネアデスらの継いだアカデメイアの懐疑論的立場により,ストア派の真理説に反対して〈アカタレフュシア〉(確実な知の把握不可能)という懐疑原理を主張した。しかし彼は,ある事物は,確実にではないが,ある程度把握可能であると述べた点でストア派の認識論に近い面をもつ。著書は現存しないがキケロの書物に彼の教説のいくつかが伝えられている。
執筆者:廣川 洋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ラリサ出身の古代ギリシアの懐疑派の哲学者。クレイトマコスKleitomachos(前187/186―前110/109)に学び、その後を継承してキケロなど多くの弟子を集めて、約21年間新アカデメイアを指導した。真理が実在することを確信することでカルネアデスから離れ、カルネアデスの新(第三)アカデメイアに対して、第四アカデメイアといわれることがある。またカルネアデスの「もっともらしく信じられること」に対して「明瞭(めいりょう)さ」を提出した。フィロンは、アルケシラオスやカルネアデスも含んでアカデメイアはプラトンの伝統から外れていないと考えたが、あくまで真理の人間による把握不可能性を強調することで、弟子のアンティオコスの第五アカデメイアと区別される。フィロン以降アカデメイアは衰退の途をたどった。
[山本 巍 2015年1月20日]
ユダヤ人哲学者。彼の家庭はローマ皇帝と親交があり、ユダヤ王家と姻戚(いんせき)関係にあった。紀元後38年のアレクサンドリアのユダヤ人大迫害ののち、彼はユダヤ人の政治的権利を弁護するために、使節団長としてローマのカリグラ帝のもとに派遣された。著作の大部分はモーセ五書の注解であり、寓意(ぐうい)的方法を用いて文字の背後にある哲学的意味を探ろうとした。プラトンのイデア論、ストア哲学のロゴス論の多大な影響を受けたが、彼の思想の基本はユダヤ教信仰である。人間の至福は魂が神をみることにあるが、神の一方的な恵みだけがそれを可能にすると説いた。彼のロゴス(神と世界との媒介者)の思想はキリスト教教父に大きな影響を与えた。
[梅本直人 2018年4月18日]
「フィロン[アレクサンドリア]」のページをご覧ください。
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前20?~後50?
アレクサンドリアのユダヤ人哲学者。ユダヤ思想をギリシア哲学によって説明,ストア学派哲学のロゴスを絶対的超越者たる神と,被造物たる世界を媒介するものとし,キリスト教神学に影響を与えた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…古代ギリシアでは,オリュンピアやデルフォイのような著名な神域に,各都市国家が寄進した宝庫があるが,これらは通例小型の神殿形式をとっていた。また建築家フィロンPhilōn(?‐前310)がペイライエウスPeiraieusに造った武器庫(前4世紀)は,間口16.5m,長さ120mに及ぶ石造の大建造物で,内部は3廊に分かたれ左右の廊は二階建てとし,アテナイ海軍の船具類を収蔵していた。古代ローマでは,ローマ市やオスティアにホレウムhorreumと呼ばれる大規模な倉庫建築があり,列柱廊のある中庭を囲んで,幅が狭く奥行きの深い多数の室が並べられていた。…
…ユダヤ人が多く住んだことが一つの原因である。前3世紀に《七十人訳聖書》が当地で成ったが,後1世紀にはユダヤ人哲学者フィロンが出て旧約聖書をプラトン哲学で解釈する道を開いた。彼は愛国的なアレクサンドリア市民としてローマに使いし,ユダヤ教の立場から皇帝崇拝免除を直訴したこともある。…
…彼らが最初に接した外来思想はギリシア思想であるが,その影響はすでに《伝道の書》を初めとして,アレクサンドリアの一部の文献(旧約外典,および偽典)に現れている。ユダヤ思想とギリシア思想との調和の問題を本格的に取り上げた最初の哲学者がフィロンである。他方パレスティナやバビロンの正統派のユダヤ教においては,以上のような外来思想の影響から離れ,それ自体の内部で,いかにして〈モーセ律法〉を彼らの現実的な日常生活に適用するかという問題が,前2世紀から5世紀にかけて,律法学者や教師によって論議されてきた。…
※「フィロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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