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プレトン

百科事典マイペディアの解説

プレトン

ビザンティン帝国の哲学者,人文学者。本名はゲオルギオス・ゲミストスで,プレトンは通称。フェラーラ・フィレンツェ公会議(1438年―1439年)に皇帝随員として来訪,西方におけるギリシア研究,新プラトン主義盛行の機縁をつくった。
→関連項目ビザンティン帝国ベッサリオン

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世界大百科事典 第2版の解説

プレトン【Plēthōn】

1360ころ‐1452
ビザンティン時代の新プラトン主義哲学者。本名ゲミストスGeōrgios Gemistos。コンスタンティノープルに生まれ,オスマン・トルコ宮廷に長らくあってゾロアスター教およびイスラムの知識を得るが,コンスタンティノープルで主張した自説が波紋をよんで,1393年ミストラ(ビザンティン帝国領ペロポネソスの中心)に移り,そこの宮廷でプラトン哲学およびそれに基づいた多神教的宗教を説く。フェラーラ・フィレンツェ公会議(1438‐39)に皇帝ヨハネス8世の相談相手として出席した際のイタリア人文主義者との交流が機縁となって,フィレンツェにプラトン・アカデミーが創設された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プレトン

ゲミストス・プレトン」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プレトン
ぷれとん
Georgios Gemistos Plethon
(1355ころ―1452)

ビザンティン帝国の人文主義者。首都コンスタンティノープルで成人し、教育を修めた。ペロポネソスのミストラに赴き、この地の領主テオドロス2世の庇護(ひご)の下にプラトン哲学を講ずる学校を主催した。弟子には後の枢機卿(すうききょう)ベッサリオンを筆頭に多くの人文主義者が輩出した。東西両教会の統一に反対の立場ながらフェッラーラ・フィレンツェ公会議(1438~1439)にヨハネス8世Johannes (在位1425~1448)の随員として列席し、イタリアの人文主義者たちにプラトン哲学への興味を呼び起こし、同時に従来の主流であったアリストテレス哲学との対立を生んだ。後のメディチ家のコジモによるプラトン・アカデミアの創設(1462)もこれを契機としている。主著『法律』は、論敵ゲナディオスGennadius(1400ころ―1468)(首都陥落後の初代総主教)の断により禁書とされたため断片しか現存していないが、古典ギリシアへの回帰とユリアヌス流の異教の導入を説いた。同じ立場から、ミストラを中心にした帝国の復興を志した。彼は、テオドロス2世と皇帝マヌエル2世にそれぞれ建白書を提出、その実現を促した。すなわち、キリスト教から多神教への転換、税制の改革、外国人にかわる自国兵の養成、プラトンの『ポリテイア』によった社会層の三分化(農民、商人・職人、軍人・役人の三層)、修道士のもつ経済力の剥奪(はくだつ)、土地の平均的分割などを内容とするユートピア的提案も、彼の死とそれに続く帝国の崩壊により、その実現をみることなく終わった。[和田 廣]

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