ギリシアのペロポネソス半島の中部にある中世の都市の遺構。ミストラスMistrásともいう。13世紀に,侵攻するスラブ人に対抗するために古代スパルタの西6kmに造られた城塞を中心に発達した町。フランク人,ビザンティン帝国,オスマン帝国など,支配者は転々と替わったが,つねにモレア(中世におけるペロポネソスの呼称)の重要な都市の一つであり,17世紀にはベネチアの支配のもとに絹を生産して繁栄の頂点に達し,人口は4万を超えた。その後,戦災などで衰退し,19世紀の近代ギリシア独立とともに古代スパルタが復興されるに及んでミストラは事実上放棄された。1952年にギリシア考古学協会は最後まで住んでいた30家族を移転させ,それ以来ここを中世の雰囲気をそっくり残す大規模な遺跡として保存と再現に努めている。とくに見るべき建物としては13世紀半ばに造られた城塞,ビザンティン世俗建築としてはまれな遺構である宮殿,14世紀初頭の大聖堂,14世紀の中ごろに造営され,この町で最も美しい建物とたたえられたパンタナッサPantánassaの教会などがある。
執筆者:池澤 夏樹
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ギリシアのビザンティン帝国時代の遺跡。1248/1249年にフランク人のアカイア公ギヨーム・ド・ビルアルドゥアンがここに砦(とりで)を築いた。1262年にミストラはビザンティン帝国に引き渡され、ペロポネソスの中心都市となった。パンタナッサ修道院をはじめ修道院群で名高く、パレオロゴス朝ルネサンスを代表する文化も生んだ。1460年以降は一時期を除きオスマン帝国(トルコ)に支配されていた。ギリシア独立(1830)後、スパルタの再興とともにミストラは事実上放棄された。この遺跡は1989年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[古山正人]
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