ミストラ(読み)みすとら(英語表記)Mistra

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミストラ」の意味・わかりやすい解説

ミストラ
Mistra

ギリシア南西部,ペロポニソス半島南部のスパルティ(→スパルタ)から南西約 5kmにあった,ビザンチン文化の繁栄した町。今日のミストラス。1261年フランク人により要塞として建設され,パレオロゴス朝が奪回してから 1460年までビザンチン帝国のモレア地方の行政,特に 14~15世紀初め頃は文化の中心となった。哲人ゲミストス・プレトンを中心にヘレニズム文化,ビザンチン文化の再興が行なわれ,イタリアルネサンス(→ルネサンス)に影響を与えた芸術作品が数多く生み出された。1989年世界遺産文化遺産に登録。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミストラ」の意味・わかりやすい解説

ミストラ
みすとら
Mistra

ギリシアのビザンティン帝国時代の遺跡。1248/1249年にフランク人のアカイア公ギヨーム・ド・ビルアルドゥアンがここに砦(とりで)を築いた。1262年にミストラはビザンティン帝国に引き渡され、ペロポネソスの中心都市となった。パンタナッサ修道院をはじめ修道院群で名高く、パレオロゴス朝ルネサンスを代表する文化も生んだ。1460年以降は一時期を除きオスマン帝国トルコ)に支配されていた。ギリシア独立(1830)後、スパルタの再興とともにミストラは事実上放棄された。この遺跡は1989年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[古山正人]

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