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プロレスリング professional wrestling

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プロレスリング
professional wrestling

プロレスラーによって興行として行なわれるレスリング。 19世紀中頃からアメリカ合衆国の巡業興行 (サーカス) のなかで始められ,南北戦争の終わった 1865年頃から企業化された。日本では 1951年力道山がアメリカ選手と試合をしてから興行として本格化し,その後女子プロレスリングも出現して国際的な試合が行なわれている。最初は一つの団体に統制されていたが,力道山の死後いくつもの団体に分かれ,それぞれ独自に興行するようになっている。試合は 6m平方のリングで普通1人のレフェリージャッジにより行なわれ,制限時間,対戦人数などはいろいろある。ルールはアマチュアとは異なり反則規定は少なく,勝負は両肩をマットに3秒間つけた場合のほか,相手が失神したり,戦意を失ったり,反則を犯すなどで決まる。試合はショーに近く,マットショーとも呼ばれる。 1990年代後半にはK-1や PRIDEなど新興格闘技が出現し,人気が分散した。

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デジタル大辞泉の解説

プロ‐レスリング

《professional wrestlingの略》⇒プロレス

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プロレスリング
ぷろれすりんぐ

プロフェッショナル・レスリングprofessional wrestlingの略称で、興行として行われるレスリング・ショー。さらにプロレスとも略す。3本のロープで囲まれた6メートル平方ほどの広さのリング内で競技者が格闘をする。勝敗は、相手をマットに押さえ付け、両肩を密着させ、3秒間固定させた場合に決定する。これを判定するのはレフェリーで、レフェリーは競技者がボデー・プレス(押さえ込み)の体勢に入ったときに3カウントして勝負を見届ける。また、一方が失神あるいは戦意を失ってギブアップ(降参)の意思表示を行った場合、あるいはリング外に出て、定められたカウント(20カウント=20秒)以内に戻らなかった場合はリング・アウトで負けになる。ほかに反則による失格、両者失格による引き分け、両者がノック・ダウンして同時カウント・アウトによる引き分け、タイム・アップ(規定時間切れ)による引き分けなどもある。
 プロレスリングは、いわゆる純粋スポーツではなく、ショー的要素の比重が大きく、プロレスリングの本場といわれるアメリカでは、マット・ショーmat showとかスペクテーター・スポーツspectator sports(観賞用スポーツ)などとよばれている。競技者は単なる勝敗を争うにとどまらず、あわせて演技力が高く評価されるのが特徴である。[櫻井康雄]

歴史

レスリングが一つの興行形態をとるようになり、プロレスリングの源流が発生したのは1800年代の末期で、ヨーロッパで例年行われていたパリ大会は「世界選手権大会」といわれ、プロレスリング創成期においてもっとも権威あるものであった。この時代に有名なのは、リトアニア出身で「ロシアのライオン」といわれたジョージ・ハッケンシュミットである。本格的にプロレスリングがスタートしたのはアメリカで、1800年代末期にヨーロッパから移入されたフリー・スタイルのレスリングがアメリカ大陸の荒っぽい気質と土壌で独特の格闘技に発展、初めてプロフェッショナル・レスリングということばが生まれた。1905年ヨーロッパ選手権者のジョージ・ハッケンシュミットとアメリカ選手権者のフランク・ゴッチがシカゴのコミスキーパーク内ホワイトソックス・グラウンドで世界選手権を賭(か)けて対戦し、ゴッチがトーホールド(足首固め)でハッケンシュミットを破って初代世界選手権者になった。これが近代プロレス史の第1ページであり、プロレスリングはプロスポーツ興行王国のアメリカで発展し、スペクテーター・スポーツとして現在でも大衆の娯楽の一翼を担っている。
 日本では1921年(大正10)アメリカのプロレスラー、アド・サンテルが来日、庄司彦雄(しょうじひこお)柔道四段と靖国(やすくに)神社境内の相撲(すもう)場で戦って引き分けたのが最初だが、これはプロレスリングと柔道の対抗試合であり、日本で本格的にプロレスリングが生まれたのは、第二次世界大戦後の1951年(昭和26)に元プロレスリング世界チャンピオン、ボビー・ブランズ以下6人のアメリカのレスラーが来日、大相撲から転向した元関脇(せきわけ)力道山(りきどうざん)らが試合を行ったのが始めである。その後、1953年に日本プロレスリング協会が設立され、力道山を中心にプロレス・ブームをつくった。1954年には世界タッグ選手権者のシャープ兄弟が来日、柔道から転向した木村政彦(まさひこ)と力道山がこれを迎え撃ち、プロレスリングの黄金時代をつくった。またプロレスリングはテレビの普及に一役買い、戦後風俗史の1ページを飾った。[櫻井康雄]

現況

現在のプロレスリング界は、興行組織(プロモーター・ユニオン)の乱立で、世界選手権者も世界各地に乱立しているが、ポピュラーなのはWWE(World Wrestling Entertainment、2002年WWFから改称)で、アメリカのプロレス市場をほぼ独占している。
 日本における現在のプロレスリングは、新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアの3団体を中心として興行が行われているが、そのほかに、男子プロレス、女子プロレスあわせて二十数団体が乱立しており、それぞれの興行のほか異なる団体の選手(レスラー)同士で組む合同興行も数多く行われている。また、プロレスリングとは一線を画しているが、総合格闘技のプロ組織であるPRIDE(プライド)やK‐1(ケーワン)ともしばしば交流戦を行い、大きな人気を得ている。試合のテレビ中継は人気があり、日本テレビ(プロレスリング・ノア)、テレビ朝日(新日本プロレス)が週に一度ずつ中継するほか、ケーブルテレビでは全日本プロレスなどほかの団体のプロレスが放映されている。プロレス専門の週刊誌や新聞もあり人気は高い。
 日本のプロレスリング史上、代表的なスター(レスラー)としては力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木(いのき)などがいる。ほかに藤波辰爾(たつみ)、蝶野正洋(ちょうのまさひろ)、中西学、永田裕志(以上新日本)、武藤敬司、小島聡(以上全日本)、三沢光晴、小橋(こばし)建太、秋山準(以上ノア)、長州力(ちょうしゅうりき)、佐々木健介、天龍(てんりゅう)源一郎、川田利明(フリー)などが活躍する。1986年には全日本プロレスに元大相撲の横綱・輪島大士(ひろし)が、97年には新日本プロレスに元柔道世界選手権者(95キログラム超級、無差別級)の小川直也が入門、デビューして、大きな話題になった(小川は1998年からUFOに所属)。[櫻井康雄]

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