ベルギー領コンゴ(読み)ベルギーりょうコンゴ(その他表記)Belgian Congo; Congo Belge

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルギー領コンゴ」の意味・わかりやすい解説

ベルギー領コンゴ
ベルギーりょうコンゴ
Belgian Congo; Congo Belge

ベルギーが 1908~60年の間支配したアフリカ植民地。ベルギー国王の私領地であったコンゴ自由国に取って代わり,1908年ベルギー議会によって樹立された。ベルギーは公式には温情主義の姿勢をとった。第1次世界大戦後,欧米の民間企業が多大な投資をして大規模な農園牧場がつくられ,内陸部では金,ダイヤモンド,銅,スズ,コバルト亜鉛が採掘された。第2次世界大戦中は,アメリカ合衆国にとってウランの貴重な供給源となった。労働者らは 1922年に制定されたベルギーの法律のもと 4~7年の契約労働者として働かされた。植民地支配に対し当初から抵抗が起こり,特に 1919年に東部の地区で起こった反乱は 1923年まで続いた。1920年代には,反ヨーロッパを掲げる宗教集団の活動が盛り上がり,大不況や第2次世界大戦の間も不穏な情勢は広がった。当時は政治結社が禁じられており,改革を求める人々は文化活動に名を借りて組織をつくった。その一例に,1950年に設立された団体「アバコ」がある。1958年,パトリス・ルムンバら数人のコンゴ人指導者が初の全国政党を発足させた。1959年1月にレオポルドビル(今日のキンシャサ)で発生した独立を求める暴動がきっかけとなり,1960年6月30日にコンゴ共和国として独立した。(→コンゴ民主共和国

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世界大百科事典(旧版)内のベルギー領コンゴの言及

【コンゴ民主共和国】より

…また民間レベルでも,イギリスのモレルEdmund Morel(1873‐1924)のように1904年にコンゴ改革協会を組織し,《赤いゴム》などの著作によってレオポルド2世の暴政を告発する人々が少なからず現れ,コンゴ自由国の立場はいっそう苦しいものとなった。レオポルド2世は06年以降アフリカ人首長の権限の部分的承認,ゴムの強制集荷の廃止などを含む一連の改革を導入しようとしたが,国際世論の非難をかわすことができず,08年にコンゴ自由国の統治権をベルギー政府に移管し,ここにベルギー領コンゴが正式に誕生した。ベルギー政府は同年植民地憲章(コンゴ憲法)を採択し,州,県,郡,地区を置くなど行政面での整備を行い,総督を派遣してこれを統轄させた。…

【ベルギー】より

…なお,日本の占める割合は輸出1.1%,輸入2.6%である。他方,植民地時代10%台を占めてきたザイール(旧ベルギー領コンゴ,現コンゴ民主共和国)との貿易は,輸出0.1%,輸入0.45%と減少している。輸出品目は,金属・機械・輸送機器37.3%,化学製品15.3%,その他工業製品32%,輸入品目はエネルギー源12.1%,原料12.5%,化学製品12.7%,金属製品・機械・輸送機器27.5%である。…

※「ベルギー領コンゴ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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