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ペトルチアーニ ぺとるちあーにMichel Petrucciani

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ペトルチアーニ
ぺとるちあーに
Michel Petrucciani
(1962―1999)

フランスのジャズ・ピアノ奏者。フランス南東部のオランジュに生まれる。先天性の骨疾患のため、成人後も身長は1メートルに満たない。父親はギター奏者、兄はベースを弾き、一家で南フランスを中心に演奏活動を行う。7歳でピアノを、8歳でドラムを習い、早くも9歳の時にはクラブでドラムを叩き、これが初めてのジャズの仕事だという。ピアノ奏者としてのデビューは12歳で、15歳のときアメリカ生まれでフランスを活動拠点としていたドラム奏者ケニー・クラークKenny Clarke(1914―1985)と共演し、本格的プロ・デビューを飾る。1978年にはフランスを訪れたトランペット奏者クラーク・テリーClark Terry(1920―2015)と共演し、それが縁となり短期間ニューヨークを訪れる。
 帰国した後17歳でパリに進出し、1980年には初リーダー作を録音。同年アルト・サックス奏者リー・コニッツとデュエットでフランス全土をツアー、この組み合わせは後にデュオ・アルバム『トゥート・スウィート』(1982)となって結実する。1981年、18歳でアウル・レーベルにリーダー作『ミシェル・ペトルチアーニ』Michel Petruccianiを録音、このアルバムがきっかけで彼の存在が海外のジャズ・ファンの注目を集めるようになる。
 1982年本格的にアメリカで演奏活動を始める。当時引退状態だったテナー・サックス奏者チャールズ・ロイドCharles Lloyd(1938― )が彼の演奏を聴き、その才能に刺激され音楽活動を再開する。ペトルチアーニはロイドのバンドに参加、スイスのモントルー・ジャズ祭に出演し、このときの模様がロイドのアルバム『モントルー1982』として発表される。同年初めてのソロ・ピアノ・アルバム『オーラクルズ・デスティニー』を録音、翌1983年(昭和58)にはチャールズ・ロイド・グループの一員として初来日。1984年ベース奏者パレ・ダニエルソンPalle Danielsson(1946― )、ドラム奏者エリオット・ジグムンドElliot Zigmund(1945― )をサイドマンとするトリオを結成、アメリカ、ヨーロッパをまたにかける活躍をする。
 1986、1988年には日本のマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルに参加、身体的ハンディキャップを感じさせないどころか、通常のピアニストより強靭なタッチに聴衆が驚嘆する。1990年代以降もソロ、デュオ、トリオなどさまざまなフォーマットで優れた演奏活動を続けるが、1999年持病のため死去する。そのほかの代表作に『エスターテ』(1982)、『ライブ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード』Live at the Village Vanguard(1984)、『デュオ・イン・パリ』(1994)がある。彼のピアノ奏法はビル・エバンズの影響を受けたオーソドックスなものだが、躍動的でダイナミックなタッチはオリジナリティに溢れている。また、ヨーロッパ出身のミュージシャン特有の、アメリカ人にはない洗練された感覚でファンの目をヨーロッパのジャズに向けさせた功績は大きい。[後藤雅洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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