エバンズ(読み)えばんず(英語表記)Gil Evans

デジタル大辞泉 「エバンズ」の意味・読み・例文・類語

エバンズ(Bill Evans)

[1929~1980]米国のジャズピアノ奏者・作曲家。マイルス=デービスのバンドに参加して注目を集め、その後結成したピアノトリオで人気を博した。代表作「ワルツ‐フォー‐デビー」「ポートレート‐イン‐ジャズ」など。

エバンズ(Arthur John Evans)

[1851~1941]英国の考古学者。クレタ島にあるクノッソスの宮殿遺跡を発掘、クレタ文明の研究に功績をあげた。

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精選版 日本国語大辞典 「エバンズ」の意味・読み・例文・類語

エバンズ

  1. ( Sir Arthur Evans サー=アーサー━ ) イギリスの考古学者。一九〇〇年以来クレタ島のクノッソスを発掘。生涯をミノス文明の研究にささげた。(一八五一‐一九四一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エバンズ」の意味・わかりやすい解説

エバンズ(Gil Evans)
えばんず
Gil Evans
(1912―1988)

カナダ生まれのアメリカのジャズ・ピアノ奏者、編曲者、作曲家。本名イアン・アーネスト・ギルモア・グリーンIan Ernest Gilmore Green。オーストラリア出身の両親のもとにトロントで生まれ、幼児期にアメリカ、カリフォルニア州ストックトンに移住し、そこで育つ。14歳のときルイ・アームストロングの演奏を聴きジャズに関心を持つ。作編曲を独学で学び、1933年に地元でダンス・バンドを結成する。

 1941年クロード・ソーンヒルClaude Thornhill(1909―1965)の楽団のアレンジャーとなり、途中本人およびバンド・リーダーが軍務についたため中断期間があるが、1946年バンドが再結成された時もアレンジャーとして参加する。この時期、当時としては珍しいチューバ、フレンチ・ホルンを使用した彼の斬新なアンサンブルは、ミュージシャンの間で高く評価された。特にトランペッターのマイルス・デービスは、彼のアイディアをもとに1948年「九重奏団」を結成し、翌1949年から1950年にかけてアルバム『クールの誕生』を録音する。これ以降マイルスとの音楽的関係が続き、1957年にはアルバム『マイルス・アヘッド』、1958年『ポーギー・アンド・ベス』、1959~1960年『スケッチ・オブ・スペイン』と、マイルス作品のアレンジを担当する。また1961年には、マイルスと組んだライブ・コンサートをカーネギー・ホールで開き成功を収める。とはいえ1950年代から1960年代にかけてギル自身のアルバムは決して多くなく、1957年『ギル・エヴァンス&テン』、1960年『アウト・オブ・ザ・クール』、1961年『イントゥ・ザ・ホット』など、数枚を数えるにすぎない。

 1969年に録音したアルバム『ギル・エヴァンス』からエレクトリック楽器を使用するようになり、1970年代には、ニューヨークのジャズ・クラブ「ビレッジ・バンガード」に月曜日の夜自らのオーケストラを率いて出演する「ザ・マンデイ・ナイト・コンサート」が、不定期ながら1970年代末まで続く。1970年代は彼の音楽の新たな発展の期間でもあり、エレクトリック楽器とアコースティック楽器を巧みに融合させた彼のアレンジは、多くの傑作を生んだ。1973年の『スヴェンガリ』、ロック・ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスJimi Hendrix(1942―1970)の曲を取り上げた1974年の『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』など、従来のビッグ・バンド・サウンドを大きく変えるものだった。

 日本のジャズ界とも関係が深く、1972年(昭和47)ジャズ・ピアノ奏者菊地雅章(まさぶみ)に招かれ来日し、共演アルバムを制作している。ヨーロッパにもたびたび赴(おもむ)き、1973年には、スウェーデン・ラジオ・オーケストラのために編曲と指揮を行い、1976年には自らのバンドを率いてヨーロッパ・ツアーを行っている。また、1978年にはイギリスの「ロイヤル・フェスティバル・ホール」でコンサートを行い、その模様がレコーディングされた。1983年からニューヨークのジャズ・クラブ「スウィート・ベイジル」で「ザ・マンデイ・ナイト・コンサート」が復活し、大きな反響を呼ぶ。以後1987年までこのコンサートは続いた。

 1988年体調不良のため入院、その後転地療養先のメキシコで腹膜炎のため死去。彼の業績は、ジャズのビッグ・バンドに新たなサウンドを持ち込み、また、1970年代以降のジャズのエレクトリック化においても、通俗に陥ることなくビッグ・バンドの表現の幅を広げたところにある。そのサウンドの特徴は、巧みな楽器選択とアレンジによって生み出される、深みと奥行きのある音色である。

[後藤雅洋]


エバンズ(Walker Evans)
えばんず
Walker Evans
(1903―1975)

アメリカの写真家。ミズーリ州セントルイスに生まれ、各地を転々とし、シカゴやパリで教育を受ける。25歳で写真を志し、建築写真に専念するが、第一次世界大戦後の大恐慌時代に、ロイ・ストライカーRoy E. Stryker(1893―1975)が指導する合衆国政府農政安定局(FSA)に参加、ベン・シャーンやドロシー・ラングらとともに農業従事者の苦境を写真で記録する仕事に携わる。彼の作品はFSAメンバーのなかでも、とくにヒューマニティーにあふれ、描写の精度も高いものであった。1930年代に、ニューヨークの地下鉄で隠しカメラによって車内の乗客を撮る試みを行ったが、このときの作品は斬新(ざんしん)なカメラ・アイで、都市生活のヒューマン・ドキュメントに新たな1ページを加えることとなった。

[平木 収]

『American photographs(1975, East River Press, New York)』『Walker Evans ; Photographs for the Farm Security Administration, 1935-1938(1975, Da Capo Press, New York)』『Walker Evans ; Havana 19331st American ed.(1989, Pantheon Books, New York)』『James Agee, Walker EvansLet Us Now Praise Famous Men ; Three Tenant Families(2001, Mariner Books, New York)』


エバンズ(Oliver Evans)
えばんず
Oliver Evans
(1755―1819)

「アメリカのワット」とよばれる発明家。デラウェア州ニューポート近くの農家に生まれ、15歳で車大工の徒弟になり、余暇に独学した。25歳のとき兄弟とともにウィルミントンで、人手を要しない水力製粉工場の操業に成功した。受け入れた原料の穀粉の計量から、挽臼(ひきうす)による製粉、篩(ふるい)分け、樽(たる)詰めまで自動化するオートメーションの先駆である。のち蒸気機関の改良を志し、1797年に蒸気車の特許をとった。1804年フィラデルフィア・ドックのために鎖式バケツをもつ最初の蒸気機関式浚渫船(しゅんせつせん)を建造し、また同年アメリカ最初の高圧蒸気を使う直動式鉛直型定置機関を建造し、イギリスのトレビシックとともに熱効率を最大限に利用する高圧機関の先駆者となった。1807年フィラデルフィアに鉄工所を建設し、生涯に50台の機関を製作した。しかし1819年、工場は放火にあい、多くの発明が実用化できず、失意のうちに没した。

[山崎俊雄]


エバンズ(Sir Arthur John Evans)
えばんず
Sir Arthur John Evans
(1851―1941)

イギリスの考古学者。名門エバンズ家の出。父は銀行家で考古学者としても知られたジョンJohn(1823―1908)、母はハリエットHarriet Ann Dickinson(1820―58)、異母弟に著述家のジョアンJoanがいる。早くから考古学を志し、オックスフォード大学、ドイツのゲッティンゲン大学に学び、オックスフォード大学のアシュモリアン美術館の学芸員となった。1900年、クレタ島のクノッソス遺跡の発掘に着手し、40年近く、壮麗なミノス王の宮殿の発掘と復原に従い、それまで知られていなかったミノス文明の究明に偉大な功績を残すとともに、1909年、オックスフォード大学教授となり弟子を養成した。彼はひとりミノス宮殿の実態の解明ばかりでなく、ミノス文明の時期区分を確立し、前ミノス文化の存在をつきとめ、ミノス文字の解読に挑戦した。主著に『ミノス文字』『クノッソスのミノス王宮殿』などがある。

[角田文衛]


エバンズ(Bill Evans)
えばんず
Bill Evans
(1929―1980)

アメリカのジャズ・ピアノ奏者、作曲家。ニュー・ジャージー州プレインフィールド生まれ。16歳で兄と楽団を結成。1958年マイルス・デービス六重奏団に参加して注目され、59年に天才ベース奏者スコット・ラファロを含むトリオを結成して人気を高めた。白人らしい端正なスタイルの名手で、知的な叙情をたたえた魅力は大きい。代表作に『ワルツ・フォー・デビー』がある。

[青木 啓]

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改訂新版 世界大百科事典 「エバンズ」の意味・わかりやすい解説

エバンズ
Oliver Evans
生没年:1755-1819

アメリカの発明家,機械技術者。デラウェア州ニューポート近郊の農家に生まれたが,14歳から車大工の徒弟になり,木工機具の製作に携わった。梳刷(くしばけ)の歯の手仕上作業に従事していた23歳のころ,1分間に3000歯を,今までよりも正確かつ完全につくる機械を考案した。25歳からは製粉業をしていた兄とともに働くことになったが,ここでも穀物を運ぶコンベヤやエレベーター,粉かきなどを組み合わせた製粉機械をつくった。車大工の徒弟のころから,彼は馬などに頼らずに陸上で車を動かす方法について考えており,蒸気力のことを知るや,これこそこの問題を解決するものと言明していた。1803年,蒸気機関の製作を開始し,翌年には初めての蒸気浚渫(しゆんせつ)機をつくった。これは8~10気圧で,アメリカで初めての高圧蒸気機関であった。さらに,翌05年には陸上を走らすため蒸気自動車をつくった。これらの数々の発明をしたにもかかわらず,経済的には必ずしもめぐまれず,18年放火によって工場を焼かれ,失意のうちに世を去った。
執筆者:


エバンズ
Arthur John Evans
生没年:1851-1941

ミノス文明の発見・命名者。イギリス先史考古学の創始者の一人ジョン・エバンズJohn E.(1823-1908)の子。1900年クレタ島のイラクリオンの南方にあるケファラの丘(クノッソス)で私費をもって発掘を始める。以来ミノス文明最大の宮殿の全体と付近の発掘と研究に生涯をかける。ここで数階建ての複雑な建築,みごとな多くの壁画,工芸品,陶器などを発掘して,古代文明史上に輝くミノス文明の全容を確定した。その発掘は精密細心,調査は徹底的で,広い視野をもつ。代表作《クノッソスにおけるミノスの宮殿》4巻,7冊(1921-35)はミノス文明についての最高の大著である。また宮殿の一部を上部まで復原に成功し,この宮殿にもとづいてミノス文明の時代区分を確立。そのことによりエーゲ文明全体のより精細な編年を確立したが,その年代は今日も基本となっている。解読しえなかったが《ミノス文字》その他の著もある。
執筆者:


エバンズ
Edith Evans
生没年:1888-1976

イギリスの女優。1920年代から60年代にかけて,シェークスピア劇などに出演し,イギリスの代表的女優の一人とみなされた。もっとも得意としたのは喜劇,とりわけ知的で洗練された風習喜劇で,コングリーブの《世の習い》のミラマント,ワイルドの《まじめが大事》のブラックネル卿夫人などが当り役である。《ロミオとジュリエット》の乳母でも有名。速度と抑揚が多様に変化し,絶妙のタイミングを見せる独自のせりふ術を十分に発揮,古典喜劇の女優として最高の評価を得た。60年代以後はおもに映画に出演。1946年デームの称号を与えられた。
執筆者:


エバンズ
Bill Evans
生没年:1929-80

アメリカのジャズ・ピアニスト。16歳のとき兄とグループを作り,1954年に軍隊から帰ってプロ音楽家として活動を始めた。58年に短期間だがマイルス・デービスの六重奏団に加わって頭角を現し,その後は独奏者として数多くのレコードを作って,繊細な音色による抒情的な演奏で人気をつかんだ。ギターのホールJim Hallと59年に録音したアルバム《アンダーカレント》など名作として日本でも評価が高い。70年代には電気ピアノを使った新しい試みも行ったがこれには賛否両論があった。
執筆者:


エバンズ
Walker Evans
生没年:1903-75

アメリカの写真家。1930年代のアメリカで,ニューディール政策の一環として設置されたFSA(農場担保管理局)の仕事ですぐれたドキュメンタリーを数多く撮った。38年からニューヨークの地下鉄の乗客をスナップする(1966年《Many are Called》として出版)など自分の写真を撮るようになる。人間や建築物などをさめた目でとらえた彼の写真は,その後の写真家に強い影響を与え,現代写真の源流となっている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エバンズ」の意味・わかりやすい解説

エバンズ
Evans, Sir Martin J.

[生]1941.1.1. ストラウド
イギリスの科学者。 1966年ケンブリッジ大学クライスト・カレッジで生化学の修士号,1969年ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで解剖学と発生学の博士号を取得後,同カレッジで教鞭をとった。 1978年ケンブリッジ大学に移り,1999年からカーディフ大学の分子遺伝学教授。 1993年ロンドン王立協会のフェロー,2004年ナイトに叙された。細胞の分化を研究中の 1981年,発生学者のマット・H.カウフマンとともに胚性幹細胞 (ES細胞) の培養法を見つけた。 1984年 ES細胞を別の種類の胚に挿入すると2種類の細胞からなるキメラができることを証明,1987年には ES細胞に遺伝子変異を導入して病気のモデルマウス作製に成功。 ES細胞は再生医療への応用を広げた。この業績により,2007年マリオ・R.カペッキ,オリバー・スミシーズとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。ほかに,アルバート・ラスカー医学研究賞 (2001) など受賞多数。 (→遺伝工学 )

エバンズ
Evans, Sir Arthur

[生]1851.7.8. ナッシュミルズ
[没]1941.7.11. オックスフォード近郊ユルベリー
イギリスの考古学者。フルネーム Sir Arthur John Evans。クレタ文明の発見者。オックスフォード大学卒業。1884年アシュモール博物館館長,1899年クレタ発掘財団を設立し,クノッソス遺跡の発掘を推進した。翌 1900年より宮殿址ならびに未解読の線状文字資料多数を発掘し,クレタ文明の解明に大きな貢献をなした。1911年ナイトの称号を得る。著書には『ミノア文字』Scripta Minoa(1909),『クノッソスのミノスの宮殿』The Palace of Minos(4巻,1921~36)などがある。

エバンズ
Evans, Oliver

[生]1755.9.13. デラウェア,ニューポート
[没]1819.4.15. ニューヨーク
アメリカの発明家。 16歳で水車大工職人に徒弟奉公。当時盛んになりはじめた繊維工業の梳毛技術の改良に関心をもち,20歳代で高速梳毛機を完成。 1784年,全工程をオートメーション化した水力式製粉工場を設計,フィラデルフィア郊外に建設した。さらに改良を重ね,1801年には市内に蒸気機関を動力とするオートメーション式石灰肥料工場を設立。 06年以降は蒸気機関の改良に着手,17年には 24馬力の高圧蒸気機関の作製に成功した。イギリスの R.トレビシックと並んで高圧機関の草分けとして知られる。ほかに蒸気浚渫船の発明も手がけた。著書に『若き水車大工および製粉業者のための手引』 (1792) ,『若き蒸気機関技師の手引』 (1805) がある。

エバンズ
Evans, Walker

[生]1903.11.3. セントルイス
[没]1975.4.10. コネティカット
アメリカの写真家。 1926年パリに行き,E.アッジェの記録写真に影響を受け写真家を志す。帰国後 30年頃からニューイングランド諸州に残るビクトリア朝期の建築を撮影し,34年ニューヨーク近代美術館で発表して注目された。またウォール街の大恐慌下,農業安定局 Farm Security Administrationが組織したカメラ・キャンペーンで,中心的役割を果した。 40年グッゲンハイム賞を得て,アラバマ州の小作人の記録を撮る。第2次世界大戦後はアメリカ写真界で重きをなした。主要作品集『小作人の家族』 (1936) ,『ウォーカー・エバンズ=FSAのための写真・1935~38』 (73) など。

エバンズ
Evans, Gil

[生]1912.5.13. カナダ,トロント
[没]1988.3.20. クエルナバカ
アメリカのジャズ作曲,編曲家,ピアニスト。本名 Ian Ernest Gilmore Green。 1930年に楽界に入り,41~48年はクロード・ソーンヒル楽団に編曲を提供,57年からは M.デービスと組んで次々と話題作を発表。フレンチ・ホルンの使用に特色がある。

エバンズ
Evans, Dame Edith Mary

[生]1888.2.8. ロンドン
[没]1976.10.14. ロンドン
イギリスの女優。 1912年デビュー。コングリーブの『世の習い』 (1924) のミラマント役などで注目された。オールド・ビック劇場で,ポーシャ役をはじめ多くのシェークスピア劇に出演。 17世紀喜劇,O.ワイルド,G.B.ショーなどの作品にすぐれた演技を見せ,46年デイムの称号を受けた。映画出演も多い。

エバンズ
Evans, Bill

[生]1929.8.16. ニュージャージー,プレーンフィールド
[没]1980.9.15. ニューヨーク
アメリカのジャズピアニスト。本名 William John Evans。 1958年 M.デービスのバンドに参加して注目され,59年にベースのスコット・ラファロ,ドラムのポール・モティアンを加えた自己のトリオを結成,デリケートで知的な演奏によって名声を高めた。

エバンズ
Evans, B. Ifor

[生]1899.8.19. ロンドン
[没]?
イギリスの文学史家。ロンドン大学学寮長。『シェークスピア劇の言語』 The Language of Shakespeare's Plays (1952) ,『イギリス文学-価値と伝統』 English Literature: Values and Traditions (62) などの著書がある。

エバンズ
Evans, Maurice

[生]1901.6.3. ドーセット
[没]1989.3.12. ブライトン
イギリスの俳優。 1928年『旅路の終り』で注目される。 35年アメリカに渡り,のちに帰化。多くのシェークスピア劇に出演。また,映画『ローズマリーの赤ちゃん』 (1968) ,『猿の惑星』 (同) でも好評を得た。

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百科事典マイペディア 「エバンズ」の意味・わかりやすい解説

エバンズ

米国の写真家。ミズーリ州セント・ルイス生れ。1926年パリに留学し,ソルボンヌで文学を学ぶ。1928年に帰国,独学で写真を始める。1935年から2年間にわってFSA(農場担保管理局)プロジェクトに参加し,米国南部の農民の生活を記録するが,同プロジェクトのディレクター,ロイ・E.ストライカーと対立し,解雇される。その後も南部を撮りつづけ,写真集《アメリカン・フォトグラフス》(1938年),アラバマ州の小作農の生活を記録したジェームズ・エージーとの共著《今こそ有名な人々を讃えよう》(1941年)を出版。1945年―1965年《フォーチュン》誌の編集・写真副主幹を務める。対象への客観的なアプローチと叙事詩を思わせる表現は多くの後継者を生み,米国のドキュメンタリー写真の第一人者となった。
→関連項目ウィノグランド

エバンズ

英国の考古学者。父は英国先史考古学の創始者の一人であるジョン・エバンズ〔1823-1908〕。クレタ島のクノッソス宮殿を発掘してクレタ文明を発見。1900年以降その研究に一生をささげた。著書《クノッソスにおけるミノスの宮殿》《ミノア文字》など。
→関連項目エーゲ文明クノッソス

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世界大百科事典(旧版)内のエバンズの言及

【エーゲ文明】より

…上述した地域にはギリシア文明が続いて興るので〈前ギリシア(プレヘレニック)文明〉と呼ぶこともできるが,この文明はギリシア文明の前段階でも先駆でもなく,独自の性格をもつ。 19世紀末から始まるシュリーマンやA.J.エバンズなど多くの学者の調査と研究により,エーゲ文明の中には,トロイア,キクラデス,ヘラドス,ミノス(ミノア),ミュケナイの諸文明が区別される。なおテッサリアの発達した新石器文化も付随的にふれられる。…

【青銅器時代】より

…モンテリウスは,北ヨーロッパから始めて,南ヨーロッパ,エジプト,オリエントの出土品まで,その整理方針を適用した。とりわけイギリス人A.J.エバンズによってクレタ島のクノッソス宮殿が発掘された結果,青銅器の変遷が層位的事実とあいまって,みごとに説明できることとなった。このエーゲ文明の分類が基準となって,研究の遅れていた西ヨーロッパ,中部ヨーロッパ,東ヨーロッパの青銅器時代が明らかとなった。…

【線文字B】より

…エバンズにより名づけられたミノア文字(絵文字,線文字A・Bに大別)のうち,最も新しい書体で,前16~前12世紀にかけて使用された。ミュケナイ文字ともいわれ,おもに粘土板や壺に書かれたものが現存している。…

※「エバンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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