ホルンボステル
Erich von Hornbostel
生没年:1877-1935
オーストリアの音楽学者。ウィーンの音楽的家庭に育ち,1900年にウィーン大学より化学で博士号を得る。翌年ベルリン大学に移り,C.シュトゥンプの下で当時興隆し始めた比較音楽学の研究に従事。この年の秋,ベルリン公演中の川上音二郎・貞奴一座の音楽の録音をとり,インタビューも行い,03年に同僚のアブラハムOtto Abraham(1872-1926)と《日本人の音組織と音楽に関する研究》を発表し,音楽学界にデビューした。17年から33年にナチスに追われるまで,ベルリン大学で比較音楽学を講じ,G.ヘルツォーク,H.R.H.ヒックマン,M.コリンスキ,W.ビオラなどの俊秀を育て,間接的にはアメリカでのこの学問の形成にも寄与した。吹奏5度理論の提唱など,擬似科学主義による誤りも犯したが,C.ザックスとの楽器分類法の提案のほか,音楽心理学の立場を保って,諸民族の音楽性の考察を行うなど功績は大きい。
執筆者:徳丸 吉彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ホルンボステル
ほるんぼすてる
Erich Moritz von Hornbostel
(1877―1935)
オーストリアの音楽学者。1905年ベルリン大学心理学研究所でシュトゥンプの助手となり、翌年より同所併設の録音資料集成所長を務める。17年ベルリン大学教授。33年ナチスに追われアメリカに移住した。音響学・心理学・生理学の概念と方法を世界の諸民族の音楽研究に応用し、比較音楽学の揺籃(ようらん)期にその基礎を築いた。なかでもクルト・ザックスと共作の楽器分類法(1914)は、世界中の楽器を網羅的・系統的に分類した初めてのものとして、今日でも広く使われている。
[川口明子]
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世界大百科事典(旧版)内のホルンボステルの言及
【楽器】より
…たとえば,ブル・ロアラー,アフリカの親指ピアノ,世界に広く分布するジューズ・ハープ(口琴)などがそれである。このため楽器学や民族音楽学で楽器を分類する場合は,この3分法でなく,通常ホルンボステルとC.ザックスが《楽器分類学》(1914)で提唱したザックス=ホルンボステル法と呼ばれる分類法を用いる。それによると,あらゆる楽器は,まず体鳴楽器idiophones,膜鳴楽器membranophones,弦鳴楽器chordophones,気鳴楽器aerophonesの4種類に分類され,それぞれがさらに細かく分類される。…
【民族音楽学】より
…ドイツの心理学者[C.シュトゥンプ]はベルリン大学に心理学研究所を設立したが,比較音楽学に深い関心を寄せ,1900年から録音による諸民族の音楽の収集を始め,05年にはそこにフォノグラム・アルヒーフを併設するに至った。このフォノグラム・アルヒーフの所長としてシュトゥンプに協力した[E.M.ホルンボステル]こそベルリンを比較音楽学の中心地とした人物である。彼は協力者アブラハムOtto Abraham(1872‐1926)と録音された異文化の旋律を採譜し,その音構造を解明しようと試みた。…
※「ホルンボステル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」