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ホーエンザルツブルク城 ホーエンザルツブルクジョウ

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デジタル大辞泉の解説

ホーエンザルツブルク‐じょう〔‐ジヤウ〕【ホーエンザルツブルク城】

Festung Hohensalzburg》オーストリア中部の都市、ザルツブルクの旧市街南部の高台にある城。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世ローマ教皇グレゴリウス7世の間に起こった叙任権闘争の際、教皇派のザルツブルク大司教ゲープハルト1世が1077年に築いた要塞に始まる。たび重なる増改築を経て、17世紀頃に現在の姿になった。旧市街を中心とする他の歴史的建造物も含め、1996年に「ザルツブルク市街の歴史地区」として世界遺産文化遺産)に登録された。

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世界の観光地名がわかる事典の解説

ホーエンザルツブルクじょう【ホーエンザルツブルク城】

オーストリア北西部のザルツブルク(Salzburg)旧市街の南、市街を見下ろすメンヒスベルクの丘に立つ城塞。建設が始まったのは1077年。神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス聖職叙任権をめぐって対立し、歴史上有名なカノッサの屈辱を経て、両者は和解した。この闘争で教皇に味方したザルツブルク大司教ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世は、皇帝の報復を恐れて、この城塞の建設に着手したといわれる。建設当初は城壁に囲まれたロマネスク様式の居館だったが(現在も城塞中心部に残っている)、以後約700年の歳月をかけて修築・増築が重ねられて、現在の建物になった。城内には大司教の儀式の間や拷問室、1502年につくられた手回しオルガンなどがある。サンクトペーター修道院ノンベルク尼僧院がある丘の中腹からケーブルカーで登ることができる。世界遺産に登録されている「ザルツブルク市街の歴史地区」の中にある。

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