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ボイスト(英語表記)Beust, Friedrich Ferdinand, Freiherr von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボイスト
Beust, Friedrich Ferdinand, Freiherr von

[生]1809.1.13. ドレスデン
[没]1886.10.24. ウィーン近郊アルテンベルク城
オーストリアの政治家。 1831年ザクセン王国の外交官となり,49年外相,53年内相。 59年以来ドイツの中・小諸国を連ねてプロシア,オーストリア間に第三勢力を結成する政策をとった。 62年ビスマルクがプロシア首相となるや,その最大の政敵となり,プロシア=オーストリア戦争に際してはザクセン王国をオーストリア側に加担させたが,オーストリアの敗北により,66年辞職。しかし同年 10月オーストリア外相に就任。 67年2月外相兼宰相に任命され,ハンガリーアンドラーシ・ジュラ首相と交渉のすえ,同年3月ハンガリーとの「和協」 Ausgleichがなり,オーストリア=ハンガリー帝国を成立させた。その後反プロシア政策を推進し,ドイツ南部の諸邦とプロシアの間を離反させるために,70年フランスとの同盟をはかったが失敗,71年辞職。のちロンドン駐在大使,パリ駐在大使を歴任。 82年引退。

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百科事典マイペディアの解説

ボイスト

オーストリアの政治家。ビスマルクの政敵。初めザクセンの内相。1859年以後中小ドイツ諸邦の連合によるドイツの第三勢力結成を画策する。普墺(プロイセン・オーストリア)戦争ではオーストリアに味方して敗れた。1866年オーストリア外相,次いで首相兼外相(1867年―1871年)となり,オーストリア・ハンガリー二重帝国を成立させ,反プロイセン政策を続行した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボイスト
ぼいすと
Friedrich Ferdinand von Beust
(1809―1886)

ザクセンおよびオーストリアの政治家。最初出身地ザクセンで活動し、1853年首相となった。反プロイセン・親オーストリアの立場にたちつつ、中小諸国を糾合して両大国と並ぶ「第三のドイツ」を建設しようとする思想を代表したが、1866年プロイセン・オーストリア戦争でオーストリア側につき、敗れて辞職した。同年オーストリア皇帝に招聘(しょうへい)されて外相となり、1867年には首相となってハンガリーとの「和協」(アウスグライヒ)を実現し、また憲法制定を促進して内政安定を図った。他方プロイセンに対する復讐(ふくしゅう)のためフランス、イタリアに接近を図ったが、プロイセン・フランス戦争の結果この企図も水泡に帰し、1871年辞任した。のち、1882年まで駐英大使、駐仏大使を歴任した。[岡崎勝世]

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