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マッテゾン マッテゾンJohann Mattheson

4件 の用語解説(マッテゾンの意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

マッテゾン(Johann Mattheson)

[1681~1764]ドイツの作曲家・音楽理論家。ヘンデルの最初の伝記を書いた。著「完全なる楽長」など。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

マッテゾン

ハンブルク駐在のイギリス大使の秘書や代理を務める傍ら、音楽理論家としても活動したドイツの作曲家。音楽に限らず広領域の学問の教育を受け、オペラ歌手やオペラの作曲家としてデビューを果たした。若きヘンデル ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会
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世界大百科事典 第2版の解説

マッテゾン【Johann Mattheson】

1681‐1764
バロック時代のドイツの音楽理論家,作曲家,外交官。学問と音楽の両面できわめて広範な教育を受けた後,ハンブルク・オペラの歌手,さらには作曲家として活躍。自作オペラの上演のときは,若いヘンデルと大げんかになったが,すぐ仲直りをし,ヘンデルのオペラ《アルミラ》の上演に際してはみずから主役歌手を務めた。1706年からハンブルク駐在イギリス大使の秘書として活躍しながらも音楽界からは退かず,15‐28年にはハンブルク大聖堂の音楽監督を務めた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マッテゾン
まってぞん
Johann Mattheson
(1681―1764)

ドイツの作曲家、オルガン奏者、音楽理論家、外交官。9月28日ハンブルクの税関吏の息子として生まれる。音楽はもとより、各国語、舞踏、乗馬などの多彩な教育を受け、同地のオペラを自らの「音楽の大学」として成長した。1696年以来ハンブルク・オペラの歌手となり、99年にはオペラ『プレイアデス』で作曲家としてもデビューした。1703年ヘンデルと出会い、若さのあまり決闘までするが終生友情を保った。イギリス大使の息子の家庭教師となったのがきっかけで、秘書官から大使代理にまで出世したが、音楽家としても15年ハンブルク大聖堂音楽監督となり、19年にはホルシュタイン公宮廷楽長も兼ねる。28年、難聴のため音楽家としての職を退くが、41年には同公公使秘書官となる。音楽理論家としての活躍も顕著で25に及ぶ著作があり、とくに『完全なる楽長』(1739)は重要である。64年4月17日に世を去り、遺言に従って聖ミカエル教会に埋葬された。[樋口隆一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のマッテゾンの言及

【平均律】より

…すべての長・短調を用いた作品を最初に実践したのはJ.S.バッハの《平均律クラビーア曲集》第1集である。しかし,このころすでに平均律は十分に浸透した音律法であったらしく,ラモーも同じ頃に平均律の理論を示し,また,マッテゾンの《通奏低音教本》(1719)にはすべての調を用いた例題が示されている。しかし,オルガンの調律に平均律を採用したのはG.ジルバーマンの世代に至ってからのことである。…

※「マッテゾン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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