マプト(英語表記)Maputo

翻訳|Maputo

精選版 日本国語大辞典 「マプト」の意味・読み・例文・類語

マプト

〘名〙 (Maputo) アフリカ南東部、モザンビークの首都。同国南部、インド洋に臨む港湾都市。一九七五年のモザンビーク独立以前の名称はロレンソ‐マルケス

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改訂新版 世界大百科事典 「マプト」の意味・わかりやすい解説

マプト
Maputo

アフリカ南東部,モザンビーク共和国の首都。人口99万(1997)。旧称ロレンソ・マルケスLourenço Marquesで,モザンビーク独立(1975)の翌76年現名に改称された。国の南部のインド洋岸,デラゴア湾に注ぐエスピリト・サント川の河口に位置する港湾都市である。南アフリカ共和国スワジランド,ジンバブウェに通じる鉄道や道路の起点であり,国際空港もある。南ア共和国,スワジランドなどの鉱産物,ワタ,砂糖,サイザル麻,コプラ,木材などを輸出する。商工業も発達し,食品,飲料,セメント,家具,靴などの軽工業が盛んである。博物館,大学など教育・文化施設も整っている。デラゴア湾へは1502年ポルトガル人が初めて寄港し,44年ポルトガル商人ロレンソ・マルケスがここに城塞を築いて港を建設したので,その名が地名となった。インド航路の寄港地であったが,白人の居住に適しない風土のためその後重要性がなくなった。1721年オランダが港を利用し始めたが,やはり同じ理由で32年に放棄した。71年オーストリアの貿易会社が進出してきたが,81年にポルトガルが植民地の建設を始め,87年に築いた城塞を中心に新たな港湾都市が出現した。1895年に南ア,トランスバールのプレトリアに通じる鉄道が開通してから発展が著しく,1907年にポルトガル領東アフリカの主都となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マプト」の意味・わかりやすい解説

マプト
Maputo

モザンビークの首都。旧称ローレンソマルケス Lourenço Marques。港湾都市。モザンビーク南部,インド洋のマプト湾に臨む。1544年ポルトガル商人のローレンソ・マルケスが探検,1787年ポルトガルの要塞が築かれ,1907年ポルトガル領東アフリカの首都となり発展,1976年マプトと改称。港はアフリカ東海岸最大規模で,かつては南アフリカ共和国の金やエスワティニ,ローデシア(現ジンバブエ)などの輸出入港としても利用された。また,気候が良好なため保養地としても人気を集めたが,1975年のモザンビーク独立後に近隣諸国との関係が悪化したため,港湾や観光関連の産業は打撃を受けた。醸造,造船,セメント,缶詰,織物などの工業が盛んで,商工業の発展に伴い市街地や港は再三拡張され,近代都市となった。国際空港,大学,自然史博物館,聖堂,公会堂などがある。人口 112万200(2009)。

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百科事典マイペディア 「マプト」の意味・わかりやすい解説

マプト

モザンビークの首都。旧称ロレンソ・マルケス。1976年現名。インド洋岸デラゴア湾に臨む港湾都市で,南ア共和国のプレトリア(ツワネ)までは鉄道で約560km。商業・貿易の中心で,観光・保養地としても有名。大学(1963年創立)がある。1502年バスコ・ダ・ガマの船隊に属するポルトガル人が来航,1544年ポルトガル商人ロレンソ・マルケスが開発に着手。旧名は彼にちなむ。一時オランダ領となったが,1781年ポルトガル領に復した。109万4628人(2007)。
→関連項目モザンビーク(国)

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