[生]1960.10.30. ブエノスアイレス
アルゼンチンのサッカー選手。アルゼンチンリーグ 1部に史上最年少の 15歳でデビュー。代表チームにも 16歳4ヵ月の最年少デビューを果たした。1979年,20歳以下による FIFAワールドユース選手権日本大会でアルゼンチン代表を優勝に導くなど天才児の名をほしいままにした。1982年からワールドカップに 4大会連続出場。1986年メキシコ大会準々決勝のイングランド戦では,手でボールをたたく反則でゴールに入れた「神の手ゴール」と,自陣から 50m以上をドリブルで突破して決めた奇跡的な「5人抜きゴール」を演じ,優勝にも貢献した。1990年大会は準優勝。しかし,1991年にコカイン所持容疑で逮捕され,復帰後の 1994年ワールドカップ・アメリカ大会ではドーピング違反で追放された。1997年に引退したのち薬物依存で危篤状態に陥ったこともあり,キューバなどでリハビリ生活を送った。2008年アルゼンチン代表監督に就任した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アルゼンチンのプロサッカー選手。10月30日、アルゼンチンのラヌース(ブエノス・アイレス州)に生まれる。1986年ワールドカップ・メキシコ大会では、「マラドーナのための大会」といわれるほどのサッカー史上に残る活躍をみせた。準々決勝イングランド戦での伝説的な「5人抜き」「神の手」の2ゴールのほか、数々のマジカルプレーでアルゼンチンを牽引(けんいん)し、優勝を飾った。
15歳でアルゼンチンリーグにデビュー(アルヘンチノス・ジュニアーズ)以来、神技のような左足のテクニックでファンを魅了し続け、イタリアのナポリでは無冠のクラブに二度のリーグ優勝をもたらした。一方で、麻薬の使用疑惑や1994年ワールドカップ・アメリカ大会ではドーピング検査で陽性反応が出るなど、トラブルメーカーでもあった。しかし、2001年に国際サッカー連盟(FIFA)が行ったインターネット投票では、ペレを抜いて史上最高選手に選ばれている。何人でも抜き去るドリブル、意表を突くパス、たぐいまれな得点感覚と、どれをとっても天才的である。2008年11月よりアルゼンチン代表監督を務める。
[西部謙司]
『ジミー・バーンズ著、宮川毅訳『ディエゴ・マラドーナの真実』(1997・ベースボール・マガジン社)』▽『金子達仁監修『マラドーナ自伝』(2002・幻冬舎)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例