マルティ(英語表記)José Martí

デジタル大辞泉 「マルティ」の意味・読み・例文・類語

マルティ(José Martí)

[1853~1895]キューバ革命家・詩人。ラテンアメリカにおける近代詩先駆者。独立運動を指導し、スペイン軍と戦って戦死。独立の父と称される。詩集「イスマエリーリョ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「マルティ」の意味・読み・例文・類語

マルティ

  1. ( José Martí ホセ━ )[ 異表記 ] マルチ キューバの革命家、愛国詩人。ラテンアメリカの近代詩の先駆者。独立運動を指導し、キューバ革命党を結成、第二次独立戦争で死んだ。詩集「イスマエリーリョ」など。(一八五三‐九五

マルティ

  1. ( Anton Maurus Marty アントン=マウルス━ ) スイス生まれの言語哲学者。言語の意味を心的現象との対応関係で解明しようとした。主著「一般文法と言語哲学の基礎づけの諸研究」。(一八四七‐一九一四

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改訂新版 世界大百科事典 「マルティ」の意味・わかりやすい解説

マルティ
José Martí
生没年:1853-95

キューバの詩人,思想家,革命家。16歳で独立運動に入り,独立戦争の初頭に42歳で戦死するまで,キューバとラテン・アメリカの解放運動に生涯を捧げ,〈キューバの使徒〉といわれた。その間,欧米で亡命生活をつづけ,とくに北アメリカには15年間の長期にわたって滞在し,そこからキューバ解放の遠征計画を指揮した。亡命地ニューヨークで多忙な独立運動の日々を送るかたわら,詩人としての活動も怠らず,1882年には処女詩集《イスマエリーリョ》を発表し,ひきつづき《素朴な詩》(1891),《自由詩》(1892)を刊行している。これらの詩は,スペイン・ロマン派の詩人ベッケルの影響を色濃く宿してはいるものの,簡潔で洗練された文体からして,モデルニスモの先駆詩とも代表詩ともいわれている。作家として,唯一の小説《不吉な友情》(1885)を発表する一方,プーシキンホイットマンエマソン,ワイルド,ユゴーらの著作の批評を紹介し,またダーウィンの進化論やマルクス主義に対する関心を示すなど,多面的な評論活動をつづけた。また彼はすぐれた思想家であり,論文《われらのアメリカ》(1891)では,北アメリカを〈彼らのアメリカ〉と呼んで〈われらのアメリカ〉(ラテン・アメリカ)と対置し,北アメリカのラテン・アメリカ進出をいち早く〈帝国主義〉と規定した。その先見性は高く評価されよう。革命家としてのマルティは,1892年キューバ革命党を結成してその代表となったが,同党は民主主義的な綱領と機能をもち,当時としてはきわめて近代的な政党として,ヨーロッパの労働者政党にさえ先んずるような組織であった。
執筆者:


マルティ
Anton Marty
生没年:1847-1914

スイス生れの言語哲学者F.ブレンターノの高弟で,プラハ大学教授。主著は《一般文法学と言語哲学の基礎づけのための諸研究》(1908)。言語の構造を解明するためには,思想そのものの構造をまず究明すべきだとして,言語哲学の研究に心理学的および論理学的研究を導入し,一般文法学の内容はおもに経験心理学的性質のものだとした。ブレンターノの心的現象の分類(表象,判断,情動)にならって,言語表現を,表象暗示と言表と喚情的表出に三分した。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルティ」の意味・わかりやすい解説

マルティ(André Marty)
まるてぃ
André Marty
(1886―1956)

フランスの政治家。南仏ペルピニャンに元パリ・コミューン戦士の子として生まれる。第一次世界大戦前は労働総同盟CGT)の活動家であった。第一次世界大戦に機関兵として従軍。1919年、対ソ干渉のため黒海に派遣されたフランス艦隊で反干渉の反乱を指導して一躍名を知られた。1923年に特赦で出獄すると共産党に入党、1925年中央委員、1931年政治局員。下院議員(1924~1928、1929~1932、1936~1939)。スペイン内戦では国際義勇軍の最高幹部として内部粛清を断行した。第二次世界大戦後ふたたび下院議員(1945~1956)を務めるが、党内分派活動の非難を受け1953年共産党を除名された。

[平瀬徹也]


マルティ(Anton Marty)
まるてぃ
Anton Marty
(1847―1914)

スイス生まれの言語哲学者。長年プラハ大学の教授を務めた。言語は自然発生的な表現行動ではなく、伝達を目的とする意図的活動であるとの立場をとり、言語形式とは、その目的を達するために経験的に選択される言語手段の形式であるから、その内容としての意味とは区別すべきであると主張し、この点があいまいであった従来の文法論を批判した。彼が展開した意味論は、心理学者F・ブレンターノが根本的な心理現象として提示した表象・判断・情意に意味単位を還元させて記述する点に特色がある。主著『一般文法と言語哲学の基礎論的研究』のほか、文法と心理学・論理学の関係を論じたものなど、数多くの著作がある。

[塩谷 饒 2018年8月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルティ」の意味・わかりやすい解説

マルティ
Martí, José Julián

[生]1853.1.28. ハバナ
[没]1895.5.19. オリエンテ,ドスリオス
キューバの詩人,独立運動の指導者。 S.ボリバルとともにラテンアメリカ諸国の自由独立の象徴として知られる。少年時代からキューバ独立運動に加わって,スペインに追放されたが,同地のサラゴサ大学で法律と文学を学んだ。その後も帰国と追放を繰返し,1881年ベネズエラで機関誌の発行を試みたが,いれられずニューヨークに移った。『祖国』 La Patria誌を刊行し,キューバの独立とラテンアメリカ諸国の連帯の実現のために献身した。 92年キューバ革命党の総裁となり,95年1月 M.ゴメスらの武装革命家を率いて4月キューバ上陸に成功したが,前線で敵弾に倒れた。文芸評論,伝記,説話集などを残したが,特にラテンアメリカ文学に最も貢献した作品は,B.フアレス,ホイットマン,J.サン=マルティン,S.ボリバルらの人物評伝である。また素朴な人間感情にあふれながら近代的な感覚をもつ詩によって,近代主義の先駆者とされている。『イスマエリーリョ』 Ismaelillo (1882) ,『自由詩』 Versos libres (1913) ,その他の詩集,小説,評論などは革命後ハバナで発行された『ホセ・マルティ全集』 Obras completas de Jośe Martí (27巻,63~65) に収録されている。

マルティ
Marty, Anton Maurus

[生]1847.10.18. シュウィーツ
[没]1914.10.1. プラハ
スイスの哲学者,言語学者。プラハ大学教授。言語の意味作用の一般法則を突止めようとする,心理学的色彩の強い言語哲学の研究で知られる。主著『言語起源論』 Über den Ursprung der Sprache (1875) ,『一般文法と言語哲学の基礎研究』 Untersuchungen zur Grundlegung der allgemeinen Grammatik und Sprachphilosophie (1908) 。

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百科事典マイペディア 「マルティ」の意味・わかりやすい解説

マルティ

キューバの詩人・独立運動家。祖国の独立運動に殉じ,〈キューバの使徒〉と称えられる。10代から健筆をふるい,各地を転々とした後,主にニューヨークを拠点に各国の新聞,雑誌に記事を送る。中でも〈我らがアメリカ〉(1891年)は反帝国主義独立思想の代表的論文として名高い。一方で簡潔にして洗練された作風の詩集《イスマエリーリョ》(1882年),《素朴詩》(1891年),《自由詩》(死後出版)でも知られ,いわゆるモデルニスモの先駆者のひとりとされる。
→関連項目ピノス[島]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マルティ」の解説

マルティ
José Julián Martí y Pérez

1853~95

19世紀後半のキューバの文学家,思想家,独立運動の指導者。近代主義の詩人でもあった。幼少時よりスペインの支配に反対して,1870年と79年の2度にわたってスペインに追放され,81年以降はニューヨークを本拠地として活発な文筆活動を行った。92年に在米の同胞を集めてキューバ革命党を結成し,95年に始まった第2次キューバ独立戦争に参加するために祖国に渡ったが,まもなく戦死した。1920年代以降,その行動と著作が見直され,その後もカストロ派,反カストロ派を問わず愛国主義の象徴となっている。

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367日誕生日大事典 「マルティ」の解説

マルティ

生年月日:1847年10月18日
スイスの哲学者,言語学者
1914年没

マルティ

生年月日:1886年11月6日
フランスの政治家
1956年没

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世界大百科事典(旧版)内のマルティの言及

【キューバ】より

…また,戦後砂糖産業の近代化と集中が進み,それに関連してキューバ砂糖業へのアメリカ資本の進出が始まった。
[独立から革命まで]
 キューバ人はその後J.マルティの指導のもとで再び独立の準備を進めた。マルティは1892年にキューバ革命党を結成し,〈10年戦争〉の英雄であるゴメスMáximo Gómez将軍やマセオAntonio Maceo将軍の協力を得て95年にアメリカ合衆国からキューバに侵入し,再び独立戦争を開始した。…

【モデルニスモ】より

…ラテン・アメリカは19世紀初頭にスペインから政治的に独立したものの,文化面ではその後も旧宗主国の影響を受けていた。しかし,独立後数十年たった1880年代になると,スペインの文化的影響から脱却するためのモデルニスモの運動がキューバのJ.マルティ,メキシコのM.グティエレス・ナヘラらによって展開され,それがラテン・アメリカ全体に広がった。彼らはゲベード,ゴンゴラらのスペイン古典詩はもちろんのこと,フランスの象徴派・高踏派,さらには中国やインドの文化の影響を受け,斬新で華麗な文体と音楽的リズム感をもった言語とを詩の分野に導入して美的・芸術的世界を謳歌し,新古典主義の硬直性とロマン主義の感傷性を打破することに成功した。…

※「マルティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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