エマソン(読み)えまそん(英語表記)Ralph Waldo Emerson

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エマソン」の意味・わかりやすい解説

エマソン
えまそん
Ralph Waldo Emerson
(1803―1882)

アメリカ思想家、詩人。5月25日、ボストンの牧師の家に生まれる。1817年ハーバード大学に入学、さらに神学部大学院に進む。当時の日記から、彼が聖職を自分の進路に選んだ真意がわかる。「聖なる問題に関する最高級の推論は、ロックやヒュームのような推論機械の所産というより、むしろ一種の道徳的想像力の成果だ。……わたしはキケロとともに〈無限にして広大なるもの〉を熱望する」。このように理知による推論の確実さよりも、想像力による超越を「熱望する」ことに、エマソン思想の原点はある。彼が1829年にボストン第二教会の牧師になりながら、早くも3年後に辞職を思い立つのも、日常の職務につきもののさまざまなしきたりの遵守が、「無限にして広大な」世界への参入の妨げと思えたからだろう。

 1832年の暮れから翌1833年秋までの初めてのヨーロッパ旅行は、思想家としてのエマソンの旅立ちでもあった。とくにパリの植物園に立ち寄ったとき、標本室に整然と並ぶ多種多様な生物たちを一望して、「どんなに醜怪、野蛮、あるいは美しい形態でも、それを眺める人間に内在する何かの属性の表現でないものは一つもない」(日記)と悟る。人間内部の多様さがそこにそっくり具象的な形で「表現」されているというわけだが、内部と外界とのこの「神秘的な関係」は、「無限にして広大なるもの」を熱望する精神が、いささかも妨げられずに世界に参入することを可能にする。1836年に世に出た代表作『自然論』は、この「熱望」の最初の理論化だった。超絶主義超越主義トランセンデンタリズム)ともよばれるこの思想を、エマソンは講演『アメリカの学者』(1837)と『神学部講演』(1838)、さらに『エッセイ第一集』(1841)で雄弁に展開し続けた。それは、近代国家に向けて限りない展望が開け始めた当時のアメリカの、精神風土の正確な表現でもあった。彼の周りには、個人の魂の限りなさ、神聖さを信じる思想家や文人が集まり、1836年秋には「超絶主義の会(トランセンデンタル・クラブ)」をつくって、機関誌『ダイアル』(1840~1844)を発行し、あるいはエマソン自身は不参加だったが、理想主義農場「ブルックファーム」(1841~1847)をつくって、思想の普及と実践に努めた。しかしエマソンの思想は『エッセイ第二集』(1844)のころから徐々に現実主義への傾斜を強め、とくにエッセイ『運命』(1853)では、「かつては積極的な力こそすべてと思い込んでいた。いまでは消極的な力、つまり状況が、残りの半分だとわかっている」と、明らかに自己修正を試みている。エマソンは、このような後半生の、いわば均衡のとれた思想を『代表的人物』(1850)や『イギリス国民性』(1856)に結実させ、「コンコードの哲人」として世間の尊敬を集めつつ、79歳の誕生日を目前にした1882年4月27日に、その充実した生涯の幕を閉じた。

[酒本雅之 2015年10月20日]

『酒本雅之訳『エマソン論文集』全2冊(岩波文庫)』『斎藤光著『エマソン』(1957・研究社出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エマソン」の意味・わかりやすい解説

エマソン
Emerson, Harrington

[生]1853.8.2. ニュージャージー,トレントン
[没]1931.5.23. ニューヨーク
アメリカの経営コンサルタント。 1875年ロイヤル・ババリアン・ポリテクニク卒業後,イタリアおよびギリシアの大学に学ぶ。 76~82年ネブラスカ大学現代言語学部長に就任。 82年以後は産業界に入り,アメリカ,メキシコ,カナダの産業プラントや鉱山の調査業務に従事。 1900年経営コンサルタントとして独立し,エマソン・エンジニアーズを設立して社長をつとめ,その間特に能率技師 efficiency engineerを名のり,多くの鉄道会社で管理の改善を指導。 10年の東部鉄道運賃値上げ事件 Eastern Rates Case (1910~11) の証人となり,科学的管理法を導入すれば運賃を上げないでもすむと証言して,科学的管理法の普及に貢献した。 21年 H. C.フーバーの「産業におけるむだ排除委員会」の委員となり活躍。主著"Efficiency as Basis for Operation and Wages" (09) ,"The Twelve Principles of Efficiency" (12) ,"The Scientific Selection of Employees" (13) 。

エマソン
Emerson, Ralph Waldo

[生]1803.5.25. ボストン
[没]1882.4.27. マサチューセッツ,コンコード
アメリカの思想家,詩人。苦学してハーバード大学を卒業,牧師となったが,教会の形式主義に疑問を感じてその職を辞し,1832年にはヨーロッパを旅行,カーライルらと親交を結んだ。 34年以後は数回の講演旅行を除いてコンコードに隠棲,超絶主義運動の指導者として,思索と読書と著述の生活をおくった。 37年にはアメリカの知的独立宣言といわれる名講演『アメリカの学者』 The American Scholarを行なった。著書は超絶主義運動の黙示録ともいうべき『自然論』 Nature (1836) ,『エッセー集』 Essays (2巻,41,44) ,イギリス旅行の際の講演をまとめた『代表的人物』 Representative Men (49) などのほか,詩集も多い。

エマソン
Emerson, Peter Henry

[生]1856.5.13.
[没]1936.5.12. コーンウォール,ファルマス
キューバ出身のイギリスの写真家。 1869年イギリスに渡り医学を修めたが,写真家に転向。絵画的写真を否定し自然主義理論に共鳴して,自然や生活をありのままに描写することを主張した。 89年公刊した『自然主義的写真』 Naturalistic Photographyは彼の主張を表明したものであるが,のちに自説を撤回し『自然主義的写真の死』を発表した。彼はのちのピクトリアリズムと呼ばれる写真に多大な影響を与えた。

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