日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブレンターノ」の意味・わかりやすい解説
ブレンターノ(Franz Brentano)
ぶれんたーの
Franz Brentano
(1838―1917)
ドイツの心理学者、哲学者。ウュルツブルク大学助教授、ウィーン大学教授を歴任。ドイツ・オーストリア学派の指導者で、その門下からはシュトゥンプ、マイノング、フッサールらが輩出した。アリストテレス研究から出発して、ドイツ観念論の思弁的性格を厳しく批判し、後期になるほど実在論的立場を明確にした。学問研究に必要な基盤と認めていたのは、経験と分析的認識である。論理学、認識論、倫理学、宗教などに関する20冊余の著作はいまも版を重ねているが、フッサール現象学などとの関連で重要なのは『経験的立場からの心理学』全3巻(第1巻は1874年刊)である。同書の主題は、意識すなわち心理現象の本質特性や機能を内的知覚によって記述し解明することにあり、しかもこの記述的心理学を哲学的諸学科の基礎学とみなしていた。物理現象にはみられない心理現象に固有の特性とは、なんらかの対象に関係し、そしてそれを志向的に内蔵していることや、自己の心理現象だけが内的意識によって直接明証的に知覚されることなどである。また心的作用(=心理現象)を表象と判断と情動(愛憎など)の3クラスに分類し、表象をもっとも基礎的な作用だとした。なお前記の『心理学』では、志向される客観は意識に内在する非実在的な対象であるとされていたが、のちには実在的なものだけが表象可能であるとされ、意識に対する客観の超越的存在が強調されるようになる。
[立松弘孝 2018年10月19日]
『水地宗明訳『道徳的認識の源泉について』(『世界の名著62 ブレンターノ他集』所収・1980・中央公論社)』
ブレンターノ(Clemens Brentano)
ぶれんたーの
Clemens Brentano
(1778―1842)
ドイツ後期ロマン派の詩人。エーレンブライトシュタイン生まれ。父はイタリア系の豪商、母は若きゲーテが思いを寄せたマクシミリアーネ・ラ・ロシュ。1798年イエナ大学に遊学、シュレーゲル兄弟らのロマン派のサロンに出入りし、長編小説『ゴドウィ』(1800~02)を書いた。しかしあまり世間から相手にされず、1801年ゲッティンゲンに移り、のち彼の義弟となったアヒム・フォン・アルニムと親交を結ぶ。03年ゾフィー・メローと結婚。翌年ハイデルベルクへ居を移しアルニムの『隠者新聞』の発行に協力、また2人で収集・編集したドイツ民謡集『少年の魔法の角笛』三巻(1806~08)を刊行した。06年のゾフィーの死の翌年再婚したが数年後離婚。09~18年の間はおもにベルリンに住み、17年カトリックに改宗。その後数年間ある尼僧の看護をして暮らしたりしたが、尼僧の死後は転々と放浪生活を送り、33年ごろからは主としてミュンヘンに住んだ。
ロマン派の詩人のなかでもっとも豊かな才能に恵まれ、ギターを弾きながら即興で歌った歌がそのままみごとな詩になっていたといわれる。文学のほとんどすべての分野に筆をとった。推理小説風の『複数のウェーミュラー氏』(1817)、牧歌的な『けなげなカスペルルと美しいアンネルルの物語』(1817)、中世を背景にした『遍歴学生年代記』(初稿1803執筆、死後1923発表、第二稿1818発表)などの短編小説や、『ゴッケル、ヒンケル、ガッケライア』(1838)をはじめ多数の童話を書いた。戯曲では『ポンス・ドゥ・レオン』(1804)、『プラハ建設』(1815)などが有名。しかし彼がもっとも本領を発揮したのは叙情詩の分野で、彼の詩の美しく高い音楽的な響きは比類がない。生前一冊の詩集も出さなかったためか、その真価が認められたのは比較的新しく、ことにカトリックに改宗後の詩に高い評価を与えたのは、現代ドイツの詩人エンツェンスベルガーが最初である。書簡も文学的香気に満ちている。
[平井俊夫]
ブレンターノ(Lujo Brentano)
ぶれんたーの
Lujo Brentano
(1844―1931)
ドイツの経済学者。新歴史学派の代表者の1人。哲学者フランツ・ブレンターノの弟、詩人クレメンス・ブレンターノの甥(おい)。大学で法律学、政治学を学び、1871年以降ドイツおよびオーストリアの大学教授を歴任したのち、91年からミュンヘン大学教授(~1917)、同地で没。73年、G・シュモラー、A・ワーグナーらと社会政策学会を創設したが、何度かの渡英によってイギリスの自由主義思想や同国の労働組合運動から強い感銘を受けていたブレンターノは、同学会の右派とされるワーグナーとは異なって、社会改良は労働者の「下から」の自主的活動によって行われるべきであると説き、労働者の団結と組合活動の自由を主張し、J・S・ミルやJ・E・ケアンズの賃金基金説、F・ラッサールの賃金鉄則説には反対であったが、自由貿易説を擁護する点ではイギリス経済学の正統説にくみしていた。経済史、経済思想史の研究でも著名である。日本の福田徳三はブレンターノの高弟の1人。『現代の労働組合』Die Arbeitergilden der Gegenwart二巻(1871、72)、『イギリス経済発展史』Eine Geschichte der wirtschaftlichen Entwicklung Englands三巻(1927~29)のほか、多くの著書、論文がある。
[早坂 忠]
ブレンターノ(Bernard von Brentano)
ぶれんたーの
Bernard von Brentano
(1901―1964)
ドイツの作家。後期ロマン派の詩人ブレンターノの子孫。ジャーナリストとして活動ののち、評論『資本主義と文学』(1930)で社会批判的唯物論を肯定し、1933年から49年までスイスに亡命、そこでトーマス・マンと親交を結んだ。詩人の情熱と冷静な批評家精神の交錯がその創作活動を特徴づける。評伝『A・W・シュレーゲル』(1943)や『ゲーテとマリアンネ』(1945)、現代の回想記ともいえる小説『テオドア・ヒンドラー』(1936)およびその続編『フランツィスカ・シェーラー』(1945)、ほかに亡命時代の回想録(1953)や評論『文学と世論』(1962)などがある。
[谷川道子]
ブレンターノ(Sophie Mereau Brentano)
ぶれんたーの
Sophie Mereau Brentano
(1770―1806)
ドイツの女流詩人。初めイエナの法律学者F・E・K・メローと結婚したが1801年離婚、03年に詩人C・ブレンターノと再婚。シラーの主宰する雑誌に作品を寄稿した。詩、小説ともに独自性に乏しく、彼女の優れた才能は翻訳に発揮され、コルネイユの『ル・シッド』(1637)ほか、フランス、イタリア、スペイン、イギリスなどの多くの作品を翻訳した。夫クレメンスに彼女を歌った哀切な詩がある。
[平井俊夫]