ミシュラン(読み)みしゅらん(英語表記)Compagnie Générale des Etablissements Michelin

精選版 日本国語大辞典 「ミシュラン」の意味・読み・例文・類語

ミシュラン

(Michelin)
[一] フランスにあるヨーロッパ最大のタイヤメーカーの名。また、その製品名。本社所在地はクレルモン=フェラン。一八三一年創業。一八八八年ミシュラン=ゴム会社となる。
[二] (一)が発行するフランスの旅行案内書。正式名ギド=ミシュラン(Guide Michelin)。一九〇〇年創刊。緑表紙は旅行案内(ギド=ベール)、赤表紙はホテル・レストランを評価したもので、毎年改版される。ドイツの「ベデカー」と並び最も権威あるものとされる。

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デジタル大辞泉 「ミシュラン」の意味・読み・例文・類語

ミシュラン(〈フランス〉Michelin)

フランスのタイヤメーカー。1889年、アンドレとエドゥアールのミシュラン兄弟が設立。
の発行するガイドブック。赤の表紙のホテル・レストラン案内と、緑の表紙の観光案内がある。星の数で格付けを表すのが特徴。ミシュランガイド。ギドミシュラン。→ギドルージュギドベール

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミシュラン」の意味・わかりやすい解説

ミシュラン
みしゅらん
Compagnie Générale des Etablissements Michelin

フランスのタイヤ・メーカー。自転車からスペースシャトル用まで生産する世界最大規模のタイヤ・メーカーである。道路地図、レストラン・ガイド、観光ガイドの刊行でも知られる。本社所在地はクレルモン・フェラン

[簗場保行]

創業からの軌跡

同社の創立は1889年にさかのぼり、ミシュラン兄弟によってフランス中部オーベルニュ地方の中心地クレルモン・フェランに誕生した。法学士であり画家を志した弟エドゥアール・ミシュランÉdouard Michelin(1859―1940)が初代社長になり、内務省で地図作成に携わった技師の兄アンドレ・ミシュランAndré Michelin(1853―1931)の協力のもと、祖父が始めた小さな農業機械メーカーを引き継いだ。1891年にミシュランは着脱可能な自転車タイヤの特許を獲得し、その生産に着手。そしてパリ―ブレスト往復自転車レースに、ミシュランの開発したタイヤで出場した選手が優勝して真価を示した。

 1895年、自動車が登場すると、ミシュランは従来のソリッドタイヤ(内部にスポンジを満たした旧式タイヤ)にかわる空気入りゴムタイヤを自動車に装着し、プジョーの車体にダイムラーの4馬力エンジンを搭載したエクレール号でパリ―ボルドー往復レースに出場した。兄弟はモータリゼーション時代の到来を確信し、自社製品のプロモーション(販売促進)のため、その後数々のレースに出場して相次いで勝利を収めた。有名なミシュランのシンボルキャラクターであるタイヤ男「ビバンダム」もこうしたプロモーションから生まれ、ポスターを通じて人々に親しまれるようになったものである。

 1906年以降はイタリア、北アメリカに工場を建設し世界市場に進出した。また航空機の将来性を予見した兄弟は1908年に航空機の発展を後押しするミシュラン・グランプリとミシュラン・カップを創設している。1910年には初のクレルモン・フェラン近郊の道路地図を発行、1912年に道路標識を立てるキャンペーンを行い、これを契機に里程標の設置が始まる。1913年には全国を網羅する最初の道路地図を発行した。これはドライバーにとって役だつ情報を絞り込んで記載した、見やすく携帯しやすい画期的な地図であった。

[簗場保行]

技術革新と事業拡大

第一次世界大戦中は飛行機製造を手がけるが、終戦後本業のタイヤ生産に専念する。第二次世界大戦までの戦間期、戦中そして戦後30年間は、技術革新と激動の時期であった。1929年に初の鉄道用空気入りタイヤの生産を開始。その後ドイツ、アルゼンチンベルギーに工場を建設した。1938年スチールワイヤーを採用した耐久性の高いタイヤ「メタリック」の発売を開始。そして第二次世界大戦後「メタリック」の研究開発を通して、革命的な製品であるラジアルタイヤを発売した。ラジアルタイヤとはカーカス(タイヤの骨格)を構成する繊維層(コード)が回転方向に対して直角に並んだタイヤであり、従来のバイアスタイヤに比べて操縦性、安定性に優れていた。タイヤの寿命を飛躍的に向上させたラジアルタイヤは、その後世界の主流となり、以後ミシュランは30年間にわたって競合メーカーに対し圧倒的優位にたった。

 1955年からの15年間は大規模な設備投資を図り、ヨーロッパ以外で3工場、ヨーロッパに12工場を建設した。1974年カナダ、アメリカへ工場進出、さらに1980年代には初の航空機用ラジアルタイヤを発売、フランス軍の戦闘機ミラージュや、エアバスボーイングの旅客機のみならずスペース・シャトルにも装着されている。1980年代以後はラテンアメリカ、アジアに進出を果たし、1990年アメリカ大手のユニロイヤル・グッドリッチ・タイヤを15億ドルで買収して北米市場での基盤を固めた。1992年に省燃費性能に優れた「グリーンタイヤ」を発売。1996年以降、東欧や中国に資本参加や合弁により進出後、2001年に中国最大の上海(シャンハイ)タイヤと提携した。

 2018年時点で、世界17か国に54工場、ゴム農園1か所(ブラジル)をもち、年間約1億9000万本のタイヤを生産。2017年の世界シェアは14.0%でブリヂストン(14.5%)に次ぐ第2位。2018年の売上高は220億2800万ユーロ、地域別売上高構成はヨーロッパ38.9%、北米・メキシコ35.5%、その他25.6%。従業員数は世界に11万1100人。

[簗場保行]

ミシュラン・ガイド

ミシュランはレストラン、ホテルのガイドブックの名前でも知られる。これは道路網が未整備だった当時、市街地図や修理方法・サービス、宿泊施設などドライバーのための情報を掲載し、無料配布したのが始まりである。1900年にこうしたドライバー向けサービスの一環として『ミシュラン・ガイド』(『レッドガイド』)を創刊。もともと自社製品のプロモーションとして始めたサービスであったが、このガイドは年間100万部以上を販売した実績をもつ。ホテルやレストラン業界の経験者などを覆面調査員として各施設に派遣し、星の数(三つ星が最高点)で格付けするスタイルは有名である。評価が記号化されわかりやすいこと、誌面に広告を掲載しない独立性などが、消費者に信頼され、世界中に広まった理由といわれている。また、1926年の初の旅行ガイド『ブルターニュ』創刊以降、ミシュランが蓄積した各地の旅行観光情報を掲載したガイドを相次いで刊行、その後「グリーンガイド」としてシリーズ化されている。

 日本では2007年(平成19)にアジアで初めて『ミシュランガイド東京』が発行され、2009年に『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』が発行された。以降、2017年までにミシュラン・ガイドの『京都・大阪2010』、さらに神戸、横浜、鎌倉、奈良、北海道、広島、福岡、佐賀、富山、石川、宮城とエリアを拡大して発行された。

[簗場保行]

日本における活動

日本では1975年(昭和50)に全額出資の販売会社、日本ミシュランタイヤを設立しているほか、1991年(平成3)オカモトと合弁でミシュランオカモトタイヤを設立、国産初のミシュランブランドのタイヤ生産を開始したが、2000年にミシュランが全株式を取得し、2001年にオカモトとの合弁を解消した。また、2003年に日本ミシュランタイヤ、ミシュランオカモトタイヤ、ミシュランタイヤ販売の3社を統合して、社名を日本ミシュランタイヤとした。

[簗場保行]

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知恵蔵 「ミシュラン」の解説

ミシュラン

『Le Guide Michelin(ル・ギッド・ミシュラン)』はフランス全国のレストランとホテルを厳選し、格付けしつつ網羅したガイドブック。そもそもは同名のタイヤメーカーが販売促進と顧客サービスのため、地図とともに編纂(へんさん)したのが始まりで、以降年度版で刊行を続け、今日ではガイドブックの世界的権威となった。人気と信頼を得た理由は、複数の覆面調査員による秘密裡(ひみつり)の取材・評価法と、店のおいしさを星で(日本版ミシュランによれば、1つ星=そのカテゴリーで特においしい料理、2つ星=遠回りしてでも訪れたい料理、3つ星=そのために旅行する価値のある卓越した料理)、快適度をスプーン&フォークの数で格付けし、その他のデータ(駐車場の有無、支払い方法など)も独自のマークで表示するという、詳細ながら明快な編集方法にあるといわれる。既に欧米各国・各都市版も刊行されているが、2007年11月に東京版(08年度版)が刊行され、アジア初上陸を果たした。当時、マスコミがかね太鼓であおったこともあってか、また本家のフランス版とは異なる編集方針(審査基準が不透明との批判もあるが)と構成(料理などの写真と解説文が付いた)も注目されてか、その1年間で27万部(プラス英語版3万部)が売れた。以降、便乗ガイド本やネット・サイトが多々出現するなどの話題性を保ってきたが、発行3年目に当たる今年(09年)秋は、2010年度東京版に加えて初の京都・大阪版も刊行され(後者は10月16日、前者は11月20日発売)、このガイド本の周辺は再びにぎわいを呈している。09年度版の売れ行きは約15万部にとどまり、今後の売上部数の推移に注目が集まっている。
ちなみに、08年度版の星付きレストラン(日本版の場合、掲載店はすべて星付き)の数は150店、09年度版は173店、10年度版は197店(うち1つ星144、2つ星42、3つ星11)、京都・大阪版は150店(うち1つ星118、2つ星25、3つ星7)。年ごとの新たな店の参入や星の数の変動(昇格・降格)も興味深いが、とりわけ10年度版の内訳では、高級店が多い日本食カテゴリーの中に居酒屋、焼き鳥、おでんといったジャンルが新たに加わり、店選びに日本人の好みや地域性、不景気な世相を反映した庶民色がより考慮されてきたように見受けられる。なお、08年末にはアジアでの第2弾として香港・マカオ版も刊行されている。

(中島富美子  フード・ジャーナリスト / 2009年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミシュラン」の意味・わかりやすい解説

ミシュラン
Michelin et Cie.

フランスの自動車タイヤメーカーの持株会社。 1863年創業。 89年ミシュラン兄弟が交換可能な自転車用タイヤを発明し,Michelinを社名として使う。 94年に自動車タイヤに進出,1905年から国外展開をはかる。 49年にラジアルタイヤを開発。 59年に子会社マニュファクチュル・フランセズ・デ・プヌマティク・ミシュランを設立,国内生産・販売事業を移譲して持株会社に改組し,現社名となる。 89年に米国第2位のタイヤ・メーカー,ユニロイヤル・グッドリッチ社を買収。タイヤ製造では日量 78万 5000本,販売では世界シェアトップ。プジョーと密接な資本関係にある。日本では 88年にオカモトと業務提携を結び合弁会社を設立している。年間売上高 796億 9200万フラン,総資産 817億 1800万フラン,従業員数 12万 3254名 (1997) 。

ミシュラン
Michelin, André

[生]1853.1.16. パリ
[没]1931.4.4. パリ
世界屈指のタイヤ製造会社の創設者。 1888年弟のエドアール (1859~1940) と共同でミシュラン・タイヤ会社を設立,取りはずし可能の空気入りタイヤを初めて自動車に取付け,95年みずからパリ-ボルドー間の自動車レースに出場して注目を集めた。空気入りタイヤの普及とともに会社はヨーロッパ最大のタイヤ製造会社に発展。地図と旅行案内書の発刊でも有名。

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