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ミュールハウゼン Mühlhausen

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ミュールハウゼン
Mühlhausen

ドイツ中部,チューリンゲン州の都市。エルフルトの北西約 50kmに位置する。 775年の記録に名のみえる古い集落。早くから特権を認められ,1198年にはフィリップ・フォン・シュワーベンがここでドイツ国王となった。 1256年からは神聖ローマ帝国の直轄都市になったが,1420年頃ハンザ同盟に加入。宗教改革後は,改革運動の本拠地となり,農民戦争 (1523~25) では,指導者 T.ミュンツァーと連合した。このため特権を剥奪されたが,1548年再び権利を得た。 1802年から 1945年までは (ウェストファーレンに属した 1807~15年を除き) プロシアのプロウィンツザクセン (現在のザクセンアンハルト州) に属した。 13世紀の市庁舎,聖マリエン教会,J.S.バッハ設計のパイプオルガンがある聖ブラジウス教会のほか,中世の要塞の遺構がある。教育大学,農業学校,民俗博物館などの文化施設があり,繊維,皮革,機械,電気機器,木製品などの工業が立地。人口4万 1075 (1991推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ミュールハウゼン
みゅーるはうぜん
Mhlhausen in Thringen

ドイツ中部、チューリンゲン州の都市。人口3万8700(2000)。衣料品、皮革、自動車部品の産業がある。同市の史料上の初見は775年にさかのぼるが、10、11世紀のころ頻繁に国王、皇帝の滞在するところとなり、1180年帝国都市となった。1420年以来ハンザ同盟に加入。1525年のドイツ農民戦争に際しては、急進勢力の中心となり、神学者で農民指導者のトマス・ミュンツァーの活動舞台となった。近隣のフランケンハウゼンの戦い(1525.5.15)で農民団が敗れたのち、ミュンツァーはここで処刑され、ミュールハウゼンは1548年まで帝国都市の資格を剥奪(はくだつ)された。1802年プロイセン領に属す。中世都市のおもかげをよく残し、ミュンツァーの居館、同博物館がある。[瀬原義生]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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