ウェストファーレン(読み)うぇすとふぁーれん(英語表記)Westfalen

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウェストファーレン」の意味・わかりやすい解説

ウェストファーレン
うぇすとふぁーれん
Westfalen

ドイツ西部、ノルトライン・ウェストファーレン州の北西部の地方。英語名ウェストファリアWestphalia。中世にザクセン人が占拠した三つの地方ウェストファーレン、オストファーレンエンゲルンの一つで、775年に初めて記録に現れる。ほぼ現在のウェストファーレン地方に、ニーダーザクセン州の旧オスナブリュック県を加えた範囲である。ウェストファーレンは中世以来、政治的統一を欠いたが、共同体意識は保持され、住民の気質、文化、宗教や、社会的、政治的結合にそれが表れている。たとえばラインラント人が開放的で移り気であるのに対し、ウェストファーレン人は寡黙、鈍重、沈着であるとされている。建築様式にも特色をもっている。現在リッペ地方とともにウェストファーレン・リッペ地方連合を形成し、その長と議会をもち、文化財、方言慣習などの保存に努め、その中心はミュンスターにある。

[齋藤光格]

歴史

中世初期にはオストファーレンとともにザクセン人の居住地で、9世紀以後ザクセン公国の一部を形成して、ライン川以東ウェーザー川に達する地域を含んでいた。1180年ハインリヒ獅子(しし)公の没落後、多くの教会領、世俗領に分裂し、ウェストファーレン公国、ミュンスター、オスナブリュック、パーダーボルンミンデンの4司教領、ラーフェンスブルク、マルク、ワルデック諸伯領その他小領邦が並存することになった。このうちウェストファーレン公国はその名称にもかかわらず、ザウアーラントの一部を含むにすぎず、ケルン大司教によって統治された(1802年ヘッセン・ダルムシュタットに併合)。以後ウェストファーレンは政治的統一を欠いたままであり、またその一部は外部勢力の領土となったが、地域的な共同体意識は、政治、文化の面ではぐくまれ維持されたことに注意しておかねばならない。

 近代に入って、ティルジット条約(1807)後、ナポレオンは、ウェストファリアの一部とそれに隣接する地域とでウェストファーレン王国(首都カッセル)をつくり、弟のジェロームを王として、ナポレオン法典の施行その他を通じてフランス化を図った。1815年ウィーン会議の決定によってプロイセンがウェストファーレンの大部分を与えられて、そこに一州をつくった。1946年ライン州北部と併合されて、ノルトライン・ウェストファーレン州に編成された。

[中村賢二郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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