ハンザ同盟(読み)はんざどうめい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハンザ同盟」の意味・わかりやすい解説

ハンザ同盟
はんざどうめい

中世の北欧商業圏の覇権を握った北ドイツ中心の都市同盟ハンザ同盟とは俗称で、正式名称はドイツ・ハンザDeutsche Hanse (Hansa)。ハンザHanseの語の原義は「集団」を意味し、外地における商業権益を守るため団結した貿易商人の組合をさすことばとして使われた。

[平城照介]

商人ハンザ

ロンドンには、すでに11世紀中葉、ケルンの商人が組合の集合所をもっており、12世紀中葉にはハンブルクの商人、リューベックの商人も組合結成を認められ、これら本国都市ごとの組合が合体して、ロンドンにおけるドイツ人ハンザが形成された。この種の商人ハンザの拠点はロンドンに限られなかった。リューベックの建設(1158)に始まる東ドイツ植民運動の進展の結果、バルト海沿岸に多数の商業都市が建設され、バルト海を中心に北欧商業圏が形成されたが、それに伴い、ノブゴロド、ベルゲンブリュージュなどにも、商人ハンザの重要拠点が設けられ、ハンザ商館Kontorとよばれた。

 最初北欧商業圏の指導権を握ったのは、ゴトランド島ビスビーを拠点に活躍したゴトランド商人であったが、13世紀末よりリューベックの商人がその地位を奪い、後のハンザ同盟の盟主となる地歩を築いた。

[平城照介]

都市ハンザ

都市ハンザ、つまりハンザ商人たちの本国都市間の同盟としてのハンザ同盟は、この商人ハンザから生まれた。すでに13世紀中葉より、いくつかの都市間に個別的同盟が結ばれる事態が認められたが、1356~58年、ブリュージュの商館を拠点とするハンザ商人と、フランドル地方の在地商人との争いが激化し、ハンザ商人が本国都市に援助を求めてきた事件を契機に、リューベックの提唱によるハンザ諸都市の会議が開かれて(ハンザ総会の起源)、「ドイツ・ハンザの諸都市」の名のもとに対フランドル経済封鎖が宣言され、1366年には、外地における商業特権の享受がドイツ・ハンザ加盟都市の市民に限られることが確認されて、ドイツ・ハンザの都市同盟としての性格が明確となった。

[平城照介]

同盟形態

ハンザ同盟内の結合は比較的緩く、加盟都市の代表で構成されるハンザ総会で重要な決定がなされ、また、のちになると加盟都市の分担金の制度がつくられたが、成文化された同盟規約も、恒常的執行機関も存在せず、加盟都市の公式リストさえ一度も作成されなかったので、加盟都市の範囲すらさだかでない。同盟の中核となったのは約70の都市であり、ほかに130ほどの都市が緩い形でこれに加わっていたといわれる。都市以外にドイツ騎士団も加盟していた。

[平城照介]

消滅

中世末・近世初頭、イギリスはじめ強力化し始めた国民国家が、重商主義的政策をとり始め、とくにオランダ商業資本バルト海貿易に進出し、指導権を奪った結果、ハンザ同盟は急速に衰退し、加盟都市も激減した。1669年の最後のハンザ総会に出席したのは、リューベック、ハンブルク、ブレーメンのほかは、わずかに三都市(ケルン、ブラウンシュワイク、ダンツィヒ)を数えるにすぎなかった。リューベック、ハンブルクおよびブレーメンは、すでに1630年以降緊密な相互援助同盟を結成しており、ハンザ同盟消滅後も、19世紀に至るまで、ハンザ都市の伝統を維持し続けた。第二次世界大戦後の「ドイツ連邦共和国」(旧西ドイツ)においても、ハンブルクとブレーメンの二都市は、他の七州(ラント)と同格の連邦構成員となっている。

[平城照介]

『増田四郎著『独逸中世史の研究』(1951・勁草書房)』『高村象平著『西欧中世都市の研究Ⅱ ハンザの経済史的研究』(1980・筑摩書房)』『高橋理著『ハンザ同盟』(1980・教育社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンザ同盟」の意味・わかりやすい解説

ハンザ同盟
ハンザどうめい
Der Hansabund; Die Deutsche Hanse

中世後期に北海,バルト海沿岸のドイツ諸都市が結成した経済的同盟体。ハンザとは元来「商人仲間」の意味で,11世紀以降フランスやフランドル地方にもみられる。ドイツでは当初北ドイツ商人とライン,とりわけケルン商人が北海,バルト海沿岸貿易を独占する商人ハンザであったが,12世紀初頭以降ロンドン,ブリュッヘ,ノブゴロド,ベルゲンに根拠地を置く外地ハンザが形成され,これらがしだいに本国都市との間に政治的・軍事的同盟である都市ハンザを形成していった。特に 1358年フランドル商業封鎖の宣言に際して都市同盟の性格が明確化し,ドイツ・ハンザと名のることになった。このような本国諸都市同盟への転換は地理的に中枢的地位を占めていたリューベックを盟主として推進され,14世紀中頃以降独占貿易が脅かされるようになると,デンマーク戦争 (1368~70) を引き起こし,デンマーク制圧後は最盛期を迎えた。 15世紀以降イギリス,オランダで外来商人排斥の風潮が広がり,ドイツ人による独占貿易が崩壊した。さらに加盟都市内での商人と手工業者の争い,加盟都市間の利害の不一致,常設統治機関をもたない組織上の脆弱さも加わって衰退した。 1669年リューベックでハンザ会議が開かれたが,出席したのはリューベック,ハンブルク,ブレーメン,ブラウンシュワイクの代表者だけで,通常これがハンザ同盟の終焉とされている。

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