コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ムルナウ ムルナウMurnau, Friedrich Wilhelm

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ムルナウ
Murnau, Friedrich Wilhelm

[生]1889.12.28. ビーレフェルト
[没]1931.3.11. カリフォルニア
ドイツの映画監督。 F.ラングと並び無声映画時代を代表した。 1927年渡米。『吸血鬼ノスフェラトゥ』 Nosferatu-Eine Symphonie des Grauens (1922) など神秘的な作品のほか,無字幕映画『最後の人』 Der Letzte Mann (24) ,アメリカでの『サンライズ』 Sunrise (27) が傑作として名高い。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

ムルナウ

ドイツの映画監督。F.ラングと並ぶ表現主義映画の代表的存在。ビーレフェルト生れ。ハイデルベルク大卒業後,M.ラインハルトに師事。第1次大戦後に映画監督となり,B.ストーカー《吸血鬼ドラキュラ》の映画化《ノスフェラトゥ》(1922年)で評価を得る。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ムルナウ【Friedrich Wilhelm Murnau】

1888‐1931
ドイツの映画監督。フリッツ・ラングとともに〈表現主義の映画〉のもっとも重要な監督とみなされる。ドイツ西部のビーレフェルトに生まれ,ハイデルベルク大学で美術史と文学史を学んだのちベルリンへ出て,演劇界の重鎮マックスラインハルトのもとで俳優,演出助手として指導をうける。第1次世界大戦に戦闘機のパイロットとして従軍するが,スイス不時着して,戦争終結までベルンのドイツ大使館の宣伝映画製作に従事した。 戦後,ドイツに帰って1919年に監督としてスタートイギリスの作家ブラム・ストーカーの小説《吸血鬼ドラキュラ》(1897)を映画化した《ノスフェラトゥ》(1922)で,様式化されたセットを使わずにロケーションで恐怖と怪奇感を描きだし,異色の表現主義映画として世界に衝撃をあたえた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

ムルナウ【Friedrich Wilhelm Murnau】

1888~1931) ドイツの映画監督。マックス=ラインハルトに師事して舞台俳優として活躍したが、映画界に転身。表現主義の影響を受けた「ジキル博士とハイド氏」「ファントム」などを撮った後、サイレント映画の傑作「最後の人」を発表。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ムルナウ
むるなう
Friedrich Wilhelm Murnau
(1888―1931)

ドイツの映画監督。本名はF・W・プルンペ。ビーレフェルトに生まれる。ハイデルベルク大学で美術史を学び、ラインハルトの下で俳優を経験。第一次世界大戦下のスイスで宣伝映画の仕事に携わり、1919年にドイツ映画界に入る。表現主義的手法で一連の秀作を生み、1922年に野外撮影を駆使した『吸血鬼ノスフェラトゥ』を発表、ドラキュラ伝説を映画化したこの作品は、幻想映画の傑作となる。ついで老ドアマンの悲劇を描いた『最後の人』(1924)は、無字幕映画でありながら、自由に移動するカメラ主人公の心理を活写し、サイレント映画史上画期的な作品となった。1927年に渡米。都会の誘惑と農村社会の危機を題材にした『サンライズ』(1927)を発表、流麗なカメラワークによる情景描写が絶賛される。その後、ロバートフラハーティとの共作『タブウ』(1931)を信念の相違から独自に完成させるが、封切り直前にカリフォルニア自動車事故死した。[奥村 賢]

資料 監督作品一覧

サタン Satanas(1919)
ジェキル博士とハイド氏 Der Januskopf(1920)
フォーゲルエート城 Schlo Vogeld(1921)
吸血鬼ノスフェラトゥ Nosferatu, eine Symphonie des Grauens(1922)
燃ゆる大地 Der brennende Acker(1922)
ファントム Phantom(1922)
最後の人 Der Letzte Mann(1924)
タルテュッフ Herr Tartff(1925)
ファウスト Faust(1926)
サンライズ Sunrise(1927)
四人の悪魔 4 Devils(1928)
都会の女 City Girl(1930)
タブウ[ロバート・フラハーティとの共同監督] Tabu(1931)

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内のムルナウの言及

【怪奇映画】より

…ロベルト・ウィーネ監督の《カリガリ博士》(1919)がその典型で,〈怪奇映画の真の青写真〉と呼ばれ,〈狂人博士―怪物―襲われる美女〉のパターンをつくった映画ともいわれている。次いでブラム・ストーカー原作《吸血鬼ドラキュラ》の初の本格的な映画化であるF.W.ムルナウ監督の《ノスフェラトゥ》(1922)が現れる。すでに,大戦1年目の14年に,《ノスフェラトゥ》の脚本を書いたヘンリク・ガーレンの脚本,シュテラン・ライとパウル・ウェゲナー監督で,ユダヤ伝説による《ゴーレム》の初の映画化が行われるなど,サイレント期のドイツ映画が,怪奇と幻想映画の源流であったのは確かである。…

【サイレント映画】より

…例えばフランスでは,アベル・ガンスが《鉄路の白薔薇》(1923)をつくり,グリフィスのモンタージュを視覚的なリズムによる心理的なモンタージュに発展させ,カール・ドライヤーは《裁かるるジャンヌ》(1928)で大胆なカメラアングルと,クローズアップを最大限に活用したモンタージュでそれまでの常識を破り,〈サイレント映画〉形式の一つの頂点を示した。また,ドイツ映画の黄金時代(古典時代)を代表するフリードリヒ・W.ムルナウの《最後の人》(1925)は,文学的な借物であるタイトル(字幕)を排除し,カメラを自由奔放に駆使して映画以外の手段では不可能な映画的表現を開拓した。映画を純視覚的な時間芸術に還元するドイツの〈絶対映画〉や,純粋に感性的で視覚的なリズムの芸術としてのフランスの〈純粋映画〉も現れた。…

【サンライズ】より

…サイレント映画の最後の頂点を示す作品として映画史に記録されるF.W.ムルナウ監督による1927年製作のアメリカ映画。原作はH.ズーデルマンの《ティルジットへの旅》(1917)。…

【ドイツ映画】より

…第1次世界大戦後の〈表現主義映画〉,そこから出発して国際的な評価を得たエルンスト・ルビッチ,フリッツ・ラング,F.W.ムルナウ,G.W.パプストといった監督たち,レニ・リーフェンシュタールのオリンピック記録映画によって代表される1930年代のナチス宣伝映画,そして国際的なスターとして知られるウェルナー・クラウス,コンラート・ファイト,マルレーネ・ディートリヒ,アントン・ウォルブルック,クルト・ユルゲンス,ホルスト・ブーフホルツ,ヒルデガルド・クネフ(アメリカではヒルデガード・ネフ),ロミー・シュナイダー,マリア・シェル,マクシミリアン・シェル,ゲルト・フレーベ等々の名が,〈ドイツ映画〉のイメージを形成しているといえよう。以下,第2次大戦後,東西二つのドイツに分割されて政治的対立の下に映画活動も衰退せざるを得なくなるまでの動きを追ってみる。…

【ドキュメンタリー映画】より

…12年にはイギリスのハーバート・G.ポンティングがロバート・スコットの南極探険隊に同行して1時間30分の記録映画《スコットの南極探険隊》を撮って反響を呼んだが(のち1933年には《南緯九十度》の題でまとめた),それらは〈紀行映画〉と呼ばれ,いわゆる〈ドキュメンタリー〉の先駆は,フラハティがエスキモーのきびしい日常生活のたたかいを描いた《極北の怪異》(1922)とされる。フラハティはハリウッドのメジャー会社パラマウントに注目されて《モアナ》を撮り,つづいてW・S・バン・ダイク監督の《南海の白影》(1928)とF.W.ムルナウ監督の《タブウ》(1931)という2本の〈劇映画〉に協力させられるが,ハリウッドの商業主義と折り合いがつかず,イギリスに渡り,プロデューサーのマイケル・バルコンに完全な自由をあたえられて,北アイルランドのアラン諸島の孤島できびしい自然とたたかう人間の生活を描いた《アランMan of Aran》(1934)をつくり,ドキュメンタリーの先駆的開拓者としての業績によって,〈ドキュメンタリーの父〉と評されるに至った。
[第2次大戦前のドキュメンタリー]
 アメリカでは,フラハティの作品のほか,のちに特撮怪獣映画《キング・コング》(1933)を製作するメリアン・C.クーパーとアーネスト・B.シェードサックのコンビが,遊牧イラン民族を描いた《地上》(1926)やタイの稲作農民を描いた《チャング》(1927),探険家マーティン・E.ジョンソン夫妻が野獣の生態を撮影した《アフリカ遠征》(1923)などがつくられた。…

※「ムルナウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

ムルナウの関連キーワード森鴎外饗庭篁村黒田清隆内閣ゴッホ嵯峨の屋お室スベルドラップ(Johan Sverdrup)広島(市)森有礼メネリク[2世]ウェーリー

ムルナウの関連情報