メロヴィング朝(その他表記)Merovingians

山川 世界史小辞典 改訂新版 「メロヴィング朝」の解説

メロヴィング朝(メロヴィングちょう)
Merovingians

511~751

5世紀の北西ガリアに勢力を築いたサリ・フランク人が建てた王朝クローヴィスが没する直前に実現した単独王朝誕生の511年から,最後の王キルデリク3世がピピン3世(小ピピン)により廃位される751年までフランク王国に君臨した。王朝の名称は神話的存在の王メロヴェ(ラテン語形がMeroveus)の名前に,ゲルマン語の「子孫」を意味する「ing」が付されてつくられた用語である。クローヴィスの時代にカトリックキリスト教に改宗した。彼の死後,王国は4人の息子たちに分割され,以来王国の継承は分割が原則となり,ここから部分王国(ネウストリア,アウストラシア,ブルグント)の存在がこの王朝の支配体制の特徴となる(分王国体制)。6世紀末の内訌(ないこう)を制したクロタール2世が,613年に統一王権を実現したが長続きしなかった。この王朝の歴史的重要性は,のちの西欧の中核地帯として,その支配下に古代世界を清算し,中世への転換を準備し実現したところにある。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「メロヴィング朝」の解説

メロヴィング朝
メロヴィングちょう
Merowinger

481〜751
フランク王国最初の王朝
その名はゲルマン人の一派サリ族の長メローヴィスに由来。5世紀後半,クローヴィスがガリア全域を支配するフランク王国を建設,496年,ゲルマン人の多くが信仰していたアリウス派からカトリック(アタナシウス派)に改宗し,フランク王に対するカトリック教会の支持をかちとって王国の基礎をつくった。その後,王国の相続をめぐり,内紛分裂をくり返して王権は衰え,宮宰が実権を握った。751年,宮宰カール=マルテルの子ピピンがローマ教皇の支持をえて王位についてカロリング朝を開き,メロヴィング朝は滅亡した。

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