クロタール(読み)くろたーる(その他表記)Chlothar Ⅱ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クロタール」の意味・わかりやすい解説

クロタール(2世)
くろたーる
Chlothar Ⅱ
(584―629)

メロビング朝のフランク国王(在位584~629)。ノイストリア分国王チルペリヒ1世の子。584年父王が殺害されたのち、叔父ブルグント分国王グントラム、ついで母フレデグントの後見のもとに分国を統治。597年母の死後従兄弟(いとこ)のアウストラシア分国王テウデベルト2世、ブルグント分国王テウデリヒ1世は同盟してクロタールを破り、彼の支配領域の大部分を奪った。2人の従兄弟の死後、クロタールはアウストラシア豪族層の支持のもとに祖母ブルンヒルデを破り、613年全フランク王国を再統合した。翌614年に出された「パリ勅令」は、以後グラーフ(伯)はその領域内の土地所有者から任命することを規定しており、支持の代償として豪族層に大幅に譲歩したものと解釈され、その後王国の実権がしだいに豪族層、とりわけその指導者たる各分国の宮宰の手に握られるようになる。

[平城照介]


クロタール(1世)
くろたーる
Chlothar Ⅰ
(498ころ/508?―561)

メロビング朝のフランク国王(在位511~561)。初代国王クロービスの末子。511年父王の死後、王国は4人の子供に分割相続され、クロタールはソアッソンを首都として、セーヌ川とライン河口間の古くからのサリ人の定住地域を与えられた。チューリンゲン王国、ブルグント王国を滅ぼし、東ゴート王国からプロバンスを奪い、フランク王国の領域を広げるとともに、兄弟間の争いにおいても指導的役割を果たし、結局最後まで生き残って、558年フランク王国を再統一した。

[平城照介]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のクロタールの言及

【メロビング朝】より

…ライン川以東でも,ランスの歴代の諸王がチューリンゲン,バイエルンおよびイタリア遠征を行い(531,539),さらにビザンティン遠征を計画するなど,ガリアの枠を超えた帝国政策を展開した。 ソアソン分国王クロタール1世(在位511‐561)が兄弟諸王の死により,単独支配者となったが,彼の死が内乱の始まりであった(561)。相続の方法は前回と同じであるが,4人の相続者のうちカリベルトの死(567)後の3分国が以後定着する同朝の分国図となった。…

※「クロタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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