モンペリエ大学(読み)モンペリエだいがく(その他表記)Université de Montpellier

改訂新版 世界大百科事典 「モンペリエ大学」の意味・わかりやすい解説

モンペリエ大学 (モンペリエだいがく)
Université de Montpellier

フランス,モンペリエ大学区にある3大学の総称社会科学医学を中心とする第1大学,自然科学系の第2大学,文学系の第3大学からなる。1996年現在の学生数は約5万人。モンペリエ大学の起源は13世紀にさかのぼる。地中海岸に位置するため,ギリシア・ラテン文化の影響をうけやすく,またアラブやユダヤ人が多くいたことから,12世紀末以降医学校の名声は高く,13世紀初め,教皇によって大学として実質的に承認された。次いで法科大学は1289年に,神学大学は15世紀に承認され,予科的な学芸学部(文法学校)も13世紀から開かれていた。14世紀に盛期を迎えたが,15世紀には,教皇庁アビニョンからローマに戻ったこともあって衰退し,次いで16世紀から医学校を中心に第2次の盛期を迎えて,フランス・ルネサンスの南フランスでの中心となった。ラブレーもこの地に学んでいる。解剖学や外科,薬学の講座や植物園(1593)もつくられた。17世紀には神学部にイエズス会が進出し,神学,法学,学芸の3学部が合併して単一の大学ができたが,18世紀には,イエズス会系の神学・学芸学部とジャンセニスト系の法学部に分裂した。1793年,フランス革命により旧大学は閉鎖され,ナポレオン学制もとで,モンペリエ大学区には医・法・文・理学部が設置された。第三共和政時代には,法経,医学,理学,文学,薬学の5学部から構成されている。現在の学制は1969年のフォール改革によるものである。
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百科事典マイペディア 「モンペリエ大学」の意味・わかりやすい解説

モンペリエ大学【モンペリエだいがく】

南仏のモンペリエにある伝統的大学。12世紀にすでに医学教育が発達していたが,教皇による公認は1289年。14世紀には,ヨーロッパの医学研究の重要なセンターの一つとなった。15世紀に衰退したが,16世紀に復興して,ラブレーが学ぶなどフランス・ルネサンスの中心地となった。現在は医学・社会科学の第1,自然科学の第2,文学の第3大学に分かれている。

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世界大百科事典(旧版)内のモンペリエ大学の言及

【医学】より

… 一方,モンペリエは南フランスの地中海に面した,やはり商業の中心地であった。キリスト教,イスラム教,ユダヤ教の共存が許されており,ここで医師たちは,国籍や宗教を問わず医学を教える権利を領主から与えられていた(モンペリエ大学)。さらに彼らは,ローマ法王から許可を得て,医学教師たちの組合,ウニウェルシタス・メディコルムUniversitas medicorumを設立した(1220)。…

※「モンペリエ大学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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