ヨルダン川西岸(読み)ヨルダンがわせいがん(その他表記)West Bank of the Jordan River

共同通信ニュース用語解説 「ヨルダン川西岸」の解説

ヨルダン川西岸

イスラエルヨルダンにはさまれた丘陵地帯で、東エルサレムを含む面積は5655平方キロ。1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領した。90年代から、パレスチナ自治政府がラマラやジェニンなど都市部を中心に自治を開始したが、全体の6割はイスラエル軍が行政・治安権限を持つ。人口は約330万人。ユダヤ人入植地も拡大し、反発するパレスチナ人や入植者、イスラエル治安部隊の間で武力衝突も頻発。パレスチナ側はガザ地区と共に西岸を将来のパレスチナ国家の主要領土とみなす。(エルサレム共同)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨルダン川西岸」の意味・わかりやすい解説

ヨルダン川西岸
ヨルダンがわせいがん
West Bank of the Jordan River

パレスチナの一部でヨルダン川西側の地区。ウエストバンクともいう。パレスチナの中央高地地帯を中心に南北約 135km,東西の平均幅約 42kmに及ぶ。 1948年のパレスチナ戦争 (第1次中東戦争 ) 後ヨルダンに統治されていたが,67年の六日戦争 (第3次中東戦争) 以降イスラエルの占領地となっている。主要都市にエリコ,ジェニン,ナブルス,ラマラ,ベスレヘムハリール (ヘブロン) などがある。同時にイスラエルに併合された隣接の東エルサレムを合わせた地域に 100万余のパレスチナ人 (1991) が住む。農業に適した土地が多く,ヨルダン統治時代はヨルダンの全農産物の 60~85%を占めていた。占領後イスラエル労働党政権は,西岸のなかで戦略的に重要な部分はイスラエルが保持し,残りのパレスチナ人人口の稠密な部分はヨルダンとの平和条約と引き換えにヨルダンに返還する方針 (ヨルダン・オプション ) をとったが,リクード政権は西岸全体をイスラエルが保持する姿勢に立ち,西岸の土地の半分以上を接収,100以上の入植地の建設を進め,7万人以上のイスラエル人が住むにいたった。 1980年代末以降,イスラエルの占領支配に抵抗するパレスチナ住民の蜂起 (インティファーダ ) が進行するなかで,ヨルダンのフセイン国王は 1988年7月イスラエルに圧力をかける目的で「西岸切り離し」を宣言,法的・行政的な関係を断ちこの地がパレスチナ人の土地であるとした。 1993年のパレスチナ暫定自治協定により 1994年エリコからイスラエル軍が撤退し,パレスチナ人による自治が始まった。しかし 2000年以降,イスラエル軍とパレスチナ人の衝突は激化した。面積 5655km2(東エルサレムを除く)。人口 255万1000(2011推計。イスラエル国籍のユダヤ人 31万を含む)。

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