翻訳|Bethlehem
エルサレムの南約9キロメートル、標高約750メートルの丘陵地帯に位置するパレスチナの町。ヘブライ語のベート・レヘムは「パンの家」の意。現今のアラビア名はベート・ラハム。ベスレヘムは英語読み。この町は、古来ダビデ王の故郷として、またメシア(「油注がれた者」の意)出現の地として伝えられてきた。マタイはこれをイエス降誕の預言とみなし、この預言はイエスの誕生によって実現した。東方の博士たちが黄金、乳香、没薬(もつやく)などの贈り物を持って星に導かれて嬰児(えいじ)イエスを拝するために訪れたのも、羊飼いが天からの告知を聞いて礼拝にきたのも、またヘロデ王によって幼児殺害が行われたのも、この地であったと伝えられている。ベスレヘムにはイエス降誕の地とみられる諸洞窟(どうくつ)が残っている。4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌス大帝(最初のキリスト教徒皇帝)が、町の東の洞窟の上にハドリアヌス帝の時代に建てられたアドニス(タンムーズ)の神殿を壊して、聖誕教会(降誕教会)を創建したが、同教会はその後529年にサマリア人の反乱によって破壊され、東ローマ皇帝ユスティニアヌス帝(在位527~565)の命令で修復・再建された。以後現在に至るまでキリスト教の聖地として継続的に使用されている。
町の東方はなだらかな斜面をなし、その下にのどかな田園が開けている。住民の多くはブドウ栽培、羊の飼育などに従事する農民および手工業者である。ちなみに、日本人で古くこの地を訪れたのは徳冨蘆花(ろか)である(1906年=明治39)。
[高橋正男]
南アフリカ共和国、自由州(旧オレンジ自由国州)東部の都市。ドラケンスベルク山脈の標高1640メートル、ヨルダン川に沿う高原上に位置する。人口5万7127(1996)。1899年に建設され、市名の由来は『旧約聖書』にちなむ。鉄道の十字路にあたり、山岳観光地のゴールデン・ゲートやクルーフ・パークへの観光拠点となっている。小麦、羊毛、ウシなど農畜産物の集荷場で農産物加工業も発達している。
[林 晃史]
アメリカ合衆国、ペンシルベニア州東部、リーハイ川に臨む都市。人口7万1329(2000)。19世紀末におこった鉄鋼業の国内有数の中心地で、1904年創業のベスレヘム・スチール社を主軸に多種の鉄鋼製品が製造され、調査・研究所の数も多い。1741年にキリスト教モラビア派の信徒により建設され、1917年より市制が施行された。教育と音楽にはとくに力を入れ、1898年にはバッハ・クワイア(聖歌隊)が結成されており、毎年リーハイ大学で開催されるバッハ・フェスティバルは有名である。市内にはモラビア教会(1803建設)など多くの古い建物が残されている。
[作野和世]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アメリカ合衆国ペンシルベニア州東部の工業都市。人口7万1329(2000)。合衆国製鉄業の中心地の一つで,ベスレヘム・スチール(会社)の所在地。工業活動は製鉄業と鋳物,機械が中心で,そのほかに化学薬品,セメント,電気器具製造などがある。1740-41年にモラビア兄弟団の信徒(チェコ兄弟団)によって集落が建設され,1845年に町となり,1917年に市制施行。リーハイ大学,モラビアン大学の所在地。
執筆者:菅野 峰明
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