北大西洋条約機構(NATO)加盟16か国と旧ワルシャワ条約機構(WTO)加盟の7か国(いずれも1990年署名当時)が1990年に調印した条約。略称CFE。「大西洋からウラル山脈まで」のヨーロッパの通常戦力を低い水準で均衡させ、奇襲や大規模攻撃の能力を制限する目的で、戦車、装甲戦闘車、火砲など通常戦力の主要5兵器の上限を定めた。1992年発効。冷戦終結後の情勢激変に応じて条約を修正した「CFE適合条約」が1999年に署名されたが、2015年12月時点では、発効していない。
[納家政嗣]
冷戦中の「緊張緩和(デタント)」といわれた1970年代初期、ヨーロッパでは安全保障にかかわる二つの交渉枠組みが1973年に発足した。一つは全ヨーロッパ諸国35か国がヨーロッパ全体の協力的安全保障体制の構築を目ざして、おもに信頼醸成措置(CBM)について交渉する全ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)である。もう一つは北大西洋条約機構と旧ワルシャワ条約機構が中部ヨーロッパの兵力削減について交渉する、中部ヨーロッパ相互兵力削減交渉(MFR、西側の通称はMBFR、交渉は中部ヨーロッパ7か国とそこに兵力を派遣するアメリカ、イギリス、カナダとソ連)である。当初は、冷戦開始以来、NATO最大の懸念であった旧ソ連地上軍の圧倒的優位問題に取り組む交渉として後者のMFRが注目された。しかし東西の戦力構成には著しい非対称性があり、地上軍の優位を維持しようとする東側は東西同率削減方式を、他方地上軍の不均衡是正をねらいとする西側はソ連がより多く削減する東西「均衡」削減方式を主張して対立し、交渉にはほとんど進展がみられなかった。
他方、全ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE、1995年より機構化しOSCE。加盟国数は2015年時点で57)は1975年に安全保障、経済協力、人的交流などを含む包括的なヘルシンキ宣言に合意した。同宣言の第2回フォローアップ会議(マドリード)は、新たに信頼醸成・安全保障措置強化のための会議開催を決定したが、この会議(ストックホルム、1984~1986年)は部分的に軍縮問題も扱ったことからヨーロッパ軍縮会議(CDE)と通称された。この結果、ヨーロッパにはこのCDEと先の中部ヨーロッパ相互兵力削減交渉という二つの平行する軍縮交渉の場ができることになった。東西ブロック間の交渉を嫌うフランスや中立・非同盟諸国が、ヨーロッパ全体(CSCE35か国の枠組み)の統一的な軍縮交渉を主張していたからである。交渉の場は情勢変化に従ってかわったが、CSCEウィーン・フォローアップ会議は1989年、中部ヨーロッパだけでなくソ連ヨーロッパ部を含む全ヨーロッパを対象とし、兵力だけではなく兵器の削減も目ざす交渉の開始を決定した。ここにヨーロッパ通常戦力(CFE)交渉が、CSCEの枠組みのなかでNATO、ワルシャワ条約機構加盟の23か国によって1989年3月6日より開始された。
[納家政嗣]
CFE交渉は、ソ連のゴルバチョフ書記長が1988年にソ連地上軍を50万人、戦車1万両を2年間で一方的に削減することを発表した(西側の望んでいた不均衡削減)ことから急進展し、1990年11月19日、CSCEの枠組みにおいてヨーロッパ通常戦力条約が調印された。発効までには曲折があったが、この条約はヨーロッパの長年の安全保障上の懸念を取り除いた。すなわち他国領土への奇襲、大規模攻撃、占領に使用できる戦車、装甲戦闘車両、火砲、戦闘機および戦闘用ヘリコプター(海軍軍備は地上配備兵器のみ)を削減対象とし、これらをNATO、WTOそれぞれの全体的上限、さらに対象地域を4地域に分割した地域ごとの上限(紛争の可能性が高い中部ヨーロッパの上限を低く設定)、さらに圧倒的な優位にあるソ連地上戦力を規制するために1国が保有できる兵器の上限を全体の3分の1に限定することなどを規定した。また、詳細な検証規定も後のモデルとして注目された。
しかし条約調印後、国際政治に大きな変化が生じ、発効には手間どった。1991年末にソ連が解体したため、まずソ連に課した上限をソ連から独立した諸国に配分した(1992年5月、タシケント協定。バルト三国を除く)。ついでCFE調印国が新情勢に合わせて条約を修正し(オスロ最終文書)、最終的にCSCE首脳会議(ヘルシンキ、1992年7月)でNATO、旧WTO諸国30か国(1990年東西ドイツ統一、1992年チェコとスロバキア分裂)がCFEを発効させる文書に署名した(発効は1992年11月)。この条約は独立したバルト三国をCFE条約適用地域から除外し、タシケント協定に従いソ連の兵器保有上限をロシアと他の新独立国計8か国に配分したものである。この時、中部ヨーロッパ兵力削減交渉以来の課題である兵員の削減問題についても、CFE加盟国は同じくヘルシンキで「ヨーロッパ通常戦力の兵員に関する交渉の最終議定書」(CFE-1A)に調印し、各国兵員の上限を定めた。冷戦期にまったく実現の見通しがたたなかった通常戦力の軍縮条約が可能になったのは、「戦われざる冷戦」における敗北に伴う東側の自主的な武装解除が進んでいたからである。とはいえこの条約は、冷戦終結後の欧州情勢を安定させるうえで大きな効果をもった。ソ連の通常戦力の優位は取り除かれた。その過程も兵器、兵力情報の提供、現地査察によって透明性が確保されたため奇襲などの懸念を引き起こさなかった。ドイツの統一に際してそれが歴史的背景から感じさせる軍事的脅威も大きく緩和された。冷戦終結後の流動的な国際情勢の軟着陸に、条約は大きく貢献をした。
[納家政嗣]
しかし、CFEのその後の運用過程は順調ではなかった。小さくなったロシアからは、CFEはソ連解体で生じたNATOとの力の不均衡を固定し、ロシアを不当に差別するものにみえた。この点でロシアが当初から不満をもち撤廃を求めていたのが「両翼地域規則flank area rule」(ソ連と境界を接する北部・南部ヨーロッパ地域の戦力上限規定)である。これは、もともとCFEは戦争勃発の危険性が大きいと想定される中部ヨーロッパの兵力・兵器を制限することを目的としたものであったが、ソ連が中部ヨーロッパでの削減分を北部・南部地域に移動するとそこで境界を接する西側諸国(とくに北のノルウェー、南のトルコ)が脅威を受けることから、両翼地域にも上限を設けたものであった。ソ連が解体したとき、両翼地域に含まれた旧ソ連の一部は部分的に新独立国の領域に含まれ両翼地域は縮小したが、両翼地域規則は残された。ロシアは北部ではNATOに接近するバルト三国を牽制(けんせい)し、南部ではチェチェン、アルメニア、アゼルバイジャン、アブハジアや南北オセチア(ジョージアにかかわる)などの民族紛争を抱え、柔軟な戦力の配備や移動が必要になっていた。ところが、1990年代なかば以降、NATO(およびEU)の東方拡大が動き出し、ロシアはいっそう懸念を強めた。ロシアは1996年5月、第1回CFE条約再検討会議において情勢変化を理由に条約の全面改定を要求し、1997年1月から修正交渉が開始された。この過程で東西ブロック間の地域別上限は国別の上限に改められ、ロシアの上限も上乗せされた。東方拡大を準備するNATOもNATO側上限の引下げ、新たなNATO加盟国に「実質的な戦闘戦力」を配備しないなどの約束を行った。こうしてチェコ、ハンガリー、ポーランド3国は1999年3月にNATOに加盟し、同じ年にOSCE首脳会議(イスタンブール)は改定CFE条約を採択、同年11月に30か国が新たな「CFE適合条約」に調印した。
ところでOSCEのイスタンブール首脳会議は、ロシアが重視するジョージアとモルドバからのロシア軍の撤退を規定する付属書も採択した。NATOは2002年首脳会議(プラハ)以降、ロシアがこの「イスタンブール・コミットメント」を実行することを、NATOのCFE適合条約批准の条件とした。ロシアは逆に両翼地域規則の撤廃を強く主張するようになった。そしてロシアの態度を硬化させた原因は、ふたたびNATOの東方拡大(第二次)であった。2004年、NATOに新たに7か国が加盟したが、この内バルト三国はソ連からの独立国、他の2か国(ルーマニア、ブルガリア)は両翼地域の国家であった。ロシアは、CFE適合条約について多くの修正を要求するようになった。たとえば、アメリカのチェコ、ポーランドへのミサイル防衛(MD)システムの配備反対、両翼地域規則の撤廃、バルト三国のCFE条約への加盟、アメリカが新NATO加盟国に配備しないとした「実質的戦闘戦力」の定義の明確化などである。その背景にあるのは、ロシアとNATOないしアメリカとの間に生じた地政的、軍事的な不均衡に対するロシアの不満である。2007年、ロシアはNATOの適合条約批准の遅れを理由にCFE条約の義務の履行停止を宣言、CFE条約は効力停止状態に陥った(他の締約国は効力を認めている)。さらに2008年8月、ロシアがジョージアに進攻、アブハジアと南オセチアの独立を承認したことは、CFEの復活をほとんど不可能にした。
CFEはヨーロッパの安全保障にとって中心をなす制度であり、これが効力停止から崩壊に至る場合には、OSCEウィーン会議(1999)の成果文書(安全保障・信頼醸成措置)を中心とする協力的安全保障体制そのものが動揺する可能性があろう。ヨーロッパ全域の地政学的、戦略的状況を俯瞰(ふかん)した最高レベルの政治的交渉と包括合意、CFE適合条約の次の段階に進むためのいわば「CFEⅢ」が必要になっている。
[納家政嗣]
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