デタント(読み)でたんと(英語表記)détente フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デタント」の意味・わかりやすい解説

デタント
でたんと
détente フランス語

国際関係における緊張緩和のことをいうが、国際政治史のうえでは1970年代の米ソ(アメリカとソ連)の和解と、それに伴うヨーロッパでの東西協調の実現のことをさす。第二次世界大戦後の米ソ関係は1955年のジュネーブ四大国首脳会談前後を例外として、1950年代後半のミサイル競争、1960年のU‐2型機撃墜事件、1962年のキューバ危機と緊張状態が続いた。しかしこのころからフランス、中国が米ソ二極支配に反発、加えてアメリカはベトナム戦争の泥沼化で、またソ連も中ソ対立によって、それまでの二大陣営内の米ソの優位が崩れた。このため米ソは1963年の部分的核実験停止条約の調印を機に急速に和解に向かい、1968年の核不拡散条約、1970年の米ソ戦略兵器削減交渉(SALT)の開始、1972年のニクソン米大統領の訪ソとSALT‐Ⅰ協定の調印、1973年のブレジネフ・ソ連書記長の訪米と核戦争防止協定の調印という形で、予期せぬ協調関係が展開した。

 こうした情勢を受けてヨーロッパにも緊張緩和が醸成され、1970年にソ連・西ドイツ間の武力不行使条約とポーランド・西ドイツ間の国交正常化条約が成立、また戦後対立が続いていた東西ドイツ間にも1972年に国家関係基本条約が調印され、両国は1973年国連同時加盟を実現した。こうして米ソの緊張緩和と東西ヨーロッパの和解は1975年のヘルシンキにおける全欧安保協力会議の開催と1979年の米ソ第二次SALT協定の調印で最高潮に達した。しかし1980年代に入るとふたたび米ソの関係は悪化し(第二次冷戦)、1970年代のデタント終止符が打たれた。

[藤村瞬一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デタント」の意味・わかりやすい解説

デタント[国際関係]
デタント[こくさいかんけい]
détente

対立する国家間の緊張が緩和すること。もともとはフランス語の外交用語。特に第2次世界大戦後における米ソ両ブロック間の冷戦が終り,世界が多極化の時代に入ってから,両国間の緊張をゆるめ,相互の了解によってその危機を管理するという政策に用いられた。この言葉を外交用語として初めて用いたのはフランスの C.ドゴール大統領であり,米ソ対決構造のなかでフランスの発言力の強化をはかる目的からしばしば用いられた。さらにこれを国家の基本戦略の柱にとらえたのがアメリカのニクソン政権であった。同政権のキッシンジャー大統領補佐官はこの概念を対ソ外交の基本理念に据え,第1次戦略兵器制限協定 SALT-Iの締結に始る米ソ・デタント時代を築き上げた。

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