不確実性の高い国家間関係において行動の誤認、誤算、事故などから武力紛争が発生するのを避けるために、コミュニケーション、相互査察、交流などによって信頼、安心感を高め、紛争の可能性を低下させる措置である。略称CBM。この用語が一般化したのは、1973年に始まったヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)が議題に掲げ、「ヘルシンキ宣言」(1975)において、2万5000人以上の軍事演習の通告、演習視察員の交換、兵力移動の自発的な通報などをCBMとして規定してからであった。しかしCBMはヨーロッパに限られる措置ではない。国連事務総長報告『信頼醸成措置の包括的研究』(1981)は、CBMを不信・恐怖・緊張・敵対の原因を緩和する措置とし、二国間、多国間、地域ごとの多様性を指摘していた。緊張が高かった米ソ間のホットライン協定(1963)、核事故協定(1971)、核戦争防止協定(1973)などのほか、米州機構(1948)やアフリカ統一機構(OAU、現アフリカ連合AU)ルサカ宣言(1964)における事実調査や調停・仲裁制度、ASEAN諸国による平和自由中立地帯条約(ZOPFAN、1971年)などもこれに該当する。ヨーロッパで高度に規制的なCBMが発展したのは、東西軍事同盟が対峙(たいじ)し武力紛争の可能性が著しく高かったからであり、とりわけ即応性が高い、大規模なソ連地上軍による奇襲を懸念した西側が警告時間を少しでも長く確保しようとしたからである。ヘルシンキ宣言の後、1980年代にフランスが安全保障・軍縮問題もCSCEの場で扱われるべきことを主張したことから、以後信頼・安全醸成措置(CSBM)とよばれることになったが、CBMはストックホルム文書(1986)、ウィーン文書(1992、1999)と、年間の軍事活動計画の通知、現地査察、異常な軍事活動に関する協議など新しい措置を加えて、強化された。
ところで、1989年に冷戦が終わり1991年にソ連(圏)が解体したことは、冷戦期の競争的な安全保障体制(同盟など)にかわり将来の動向の不確実性が懸念される国家との間で協力して安全を強化する「協調的安全保障」体制を各地で模索させることになった。ここではCBMは、それ自体を目的とする独立の措置と位置づけられた。とはいえ、高度な措置が発展しているのは、依然としてヨーロッパやアメリカ・ロシア間である。ヨーロッパではCSCEは、CSBMに加えて紛争予防、危機管理、平和維持活動などを含む包括的なヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)として制度化された(1995)。北大西洋条約機構(NATO)と旧ワルシャワ条約機構(WTO)の24か国は、空中査察によって軍事活動の透明性を高め軍備管理協定を検証するオープンスカイ条約(1992)に調印した。米・ロ間には、早期警戒システムやミサイル発射のデータ交換センター設置覚書(2000)などがある。CBM自体は危機や紛争が生じたときに対応できる枠組みではない。このため多くは他の安全保障メカニズムと組み合わせられる。相互依存が深まる国際関係ではCBMの重要性は増しているが、定型があるわけではなく、具体的な状況、必要に応じて他の安保メカニズムとの兼ね合いで随時創出されるべき措置である。
[納家政嗣]
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(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2007年)
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