ヨーロッパ安全保障協力機構(読み)ヨーロッパアンゼンホショウキョウリョクキコウ

デジタル大辞泉 の解説

ヨーロッパ‐あんぜんほしょうきょうりょくきこう〔‐アンゼンホシヤウケフリヨクキコウ〕【ヨーロッパ安全保障協力機構】

オー‐エス‐シー‐イー(OSCE)

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精選版 日本国語大辞典 の解説

ヨーロッパ‐あんぜんほしょうきょうりょくきこう‥アンゼンホシャウケフリョクキコウ【ヨーロッパ安全保障協力機構】

  1. ( [英語] Organization for Security and Cooperation in Europe の訳語 ) 一九七五年全欧安全保障協力会議(CSCE)として発足、九〇年以降その役割が重要化。九五年に現名に改称して常設化した。全欧州諸国とアメリカ・カナダが参加。欧州安全保障協力機構。略称OSCE。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ヨーロッパ安全保障協力機構
よーろっぱあんぜんほしょうきょうりょくきこう

すべてのヨーロッパ諸国、アメリカおよびカナダの北アメリカ2か国、ならびに中央アジア諸国を含む旧ソ連の構成国が加盟するヨーロッパの国際安全保障に関する国際機構。英語表記Organization for Security and Co-operation in Europe。略称OSCE。2015年時点の加盟国数は57で、日本を含めアジアおよび地中海諸国11か国がパートナー国である。主として予防外交危機管理、および平和構築を行うヨーロッパの中心的な国際機構に位置づけられている。事務局をオーストリアウィーンに置いている。1975年8月、ヨーロッパ安全保障協力会議CSCE)のヘルシンキ最終議定書(ヘルシンキ宣言)に基づき、CSCEは冷戦期には東西両陣営間の政治的対話フォーラムとして、また多国間協力の枠組みとしてCSCEプロセスの進展に貢献した。CSCEプロセスは、東西間に経済交流および人の移動・人的接触を促進させ、また東側陣営に人権尊重規範を浸透させることによって、情報の一元的統制と人の国際移動の規制で成り立っていた東側陣営を崩壊させる一因となった。1990年11月、CSCEパリ首脳会議においてCSCEの国際機構化に取り組み、1995年から機構名をCSCEからOSCEへと変更した。

 OSCEは、共通・包括的安全保障という独自の国際安全保障概念を確立し、伝統的な軍事安全保障にかわって、安全保障の政治・軍事的側面、安全保障の経済的側面、それに人権尊重、法の支配および民主主義を柱とする安全保障の人間的側面の三つの側面(次元、dimension)について、協調的かつ包括的に取り組むことで、ヨーロッパの安定と安全を保障しようとしている。OSCEの主要な決定機関は常設理事会である。その他、首脳会議、閣僚(外相)理事会がある。OSCEの専門機関には、選挙監視および民主化の支援を活動目的とする民主制度・人権事務所(ODIHR、ワルシャワ)、民族マイノリティ高等弁務官(HCNM、ハーグ)、およびメディア自由代表(ウィーン)がある。これらの専門機関を通して、予防外交(紛争予防)を展開し、また安全保障の人間的側面に関するOSCE規範の普及に努める。また平和構築や危機管理に向けて長期駐在ミッション(使節団)が派遣され、現地の安全保障活動への協力および監視にあたっている。その他、OSCEの関連機関としてOSCE規範の普及を目ざすOSCE議員議会(コペンハーゲン)があるが、これはOSCE加盟国の議員代表から構成されるもので、OSCEからは独立した機関である。

[吉川 元]

『吉川元著『ヨーロッパ安全保障協力会議 CSCE――人権の国際化から民主化支援の発展過程の考察』(1994・三嶺書房)』『宮脇昇著『CSCE人権レジームの研究――「ヘルシンキ宣言」は冷戦を終わらせた』(2003・国際書院)』『Michael Bothe, Natalino Ronzitti, Allan Rosas, eds.The OSCE in the Maintenance of Peace and Security : Conflict Prevention, Crisis Management and Peaceful Settlement of Disputes(1997, The Hague ; Boston : Kluwer Law International)』『Victor-Yves Ghebali and Alexander Lambert, eds.The OSCE Code of Conduct on Politico-Military Aspects of Security(2005, Martinus Nijhoff Publishers)』

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百科事典マイペディア の解説

ヨーロッパ安全保障協力機構【ヨーロッパあんぜんほしょうきょうりょくきこう】

略称OSCE(Organization for Security and Co-operation in Europe)。1994年12月のブダペストで開催されたCSCE(ヨーロッパ安全保障協力会議)の首脳会議において名称を変更し,これまで単なる〈会議の連続体〉にすぎなかったCSCEを紛争予防・解決の実行力を伴う組織に脱皮させ,地域安全保障機構とすることが決まった。発足は1995年1月。CSCEは1975年にヘルシンキでソビエト連邦・東欧諸国も含めた全ヨーロッパ(アルバニアを除く)とアメリカ・カナダを加えた35ヵ国で開催され,信頼醸成措置の促進などの安全保障や技術協力などの推進を掲げたヘルシンキ宣言を採択。その後も冷戦時代の東西対話に大きな役割を果たしてきた。しかし,その後東欧革命とそれに続く冷戦の終結を踏まえて,1990年11月にあらたにパリ憲章を採択,事務局(ウィーン,プラハ),紛争防止センター(ウィーン),自由選挙促進事務所(ワルシャワ)の設置を決め,常設機関としての準備を進めてきた。その後,バルト三国独立国家共同体(CIS)の10ヵ国なども加わり,1994年12月にブダペストで開かれたCSCE首脳会議において52ヵ国の参加のもと,正式に常設のOSCEの設置が決まった。1999年には〈ヨーロッパ安全保障憲章〉を採択し,機能強化を進めている。2013年現在57ヵ国が加盟。日本は1992年7月に準加盟国として参加が認められた。→集団安全保障
→関連項目安全保障平和のための協力協定ヨーロッパ通常戦力条約

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ヨーロッパ安全保障協力機構
ヨーロッパあんぜんほしょうきょうりょくきこう
Organization for Security and Cooperation in Europe; OSCE

ヨーロッパ全域の安全保障について問題解決をはかる国際機関。本部はオーストリアのウィーン。1972年創設のヨーロッパ安全保障協力会議 CSCEが 1995年1月に改組したもの。加盟国の増加に伴う利害の対立や意思決定の非効率化,さらには冷戦終結後の民族主義勃興がもたらした政情不安や紛争などへの対処能力に対する懸念が生じたことから,より強力な組織と機能の整備・拡充を迫られた。1999年トルコで開かれた OSCE首脳会議で,ヨーロッパ安全保障憲章が採択され,自由と人権を守るため OSCEが積極的に行動し,国家間だけでなく国内の民族紛争などにもかかわっていく姿勢を打ち出した。2012年現在の加盟国は 56。日本は 1992年からオブザーバーとして参加。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)(ヨーロッパあんぜんほしょうきょうりょくきこう)
Organization for Security and Co-operation in Europe

アメリカ,カナダおよびソ連構成諸国を含む全ヨーロッパ55カ国が加盟する国際安全保障機構。ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)が冷戦終結後,国際機構へと発展し,1995年に改称してOSCEとなった。ヨーロッパの紛争予防,危機管理および紛争後復興の中心的な国際機構。信頼醸成措置を発展させ,また人権や民主主義の実現による独自の国際安全保障観を確立している。民主制度人権事務所,少数民族高等弁務官,自由メディア代表などの機関を持つ。本部所在地はウィーン。

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