精選版 日本国語大辞典 「ラジオ放送」の意味・読み・例文・類語
ラジオ‐ほうそう‥ハウソウ【ラジオ放送】
- 〘 名詞 〙 ラジオによる放送。
- [初出の実例]「『東京朝日』にラヂオ放送の著作権問題で、放送局と文芸春秋社とが、問題を起したと出てゐたが」(出典:話の屑籠〈菊池寛〉昭和六年(1931)一二月)
音声による放送で、地上放送では、中波を使用するAM放送、超短波を使用するFM放送、短波を使用する短波放送の3種類がある。1991年(平成3)4月から、衛星放送でも音声放送がスタートした。
[伊豫田康弘]
ラジオ放送の歴史は、ヘルツによる電波の発見(1888)、マルコーニによる無線電信の成功(1895)によって始まる。それから10年ほどして真空管が登場し、これにより人の声や音楽など、あらゆる種類の音を無線で送るラジオ放送への道が大きく開かれた。世界最初のラジオ放送局は、1920年11月2日アメリカのピッツバーグに開局したKDKA局だとされている。受信機の生産を始めたウェスティングハウス電機会社が、その普及を図るために設立した商業放送局である。
日本のラジオ放送第一声は、1925年(大正14)3月22日午前9時30分、東京・芝浦の東京放送局仮放送所から放たれた。本放送の開始は同年7月12日からである。同年6月には大阪放送局が、7月には名古屋放送局が、それぞれ独自の番組編成で放送を開始した。これら3局は1926年8月20日、政府の指令により合同し、社団法人日本放送協会が発足、以後、1951年(昭和26)9月1日に民間放送が誕生するまで、同協会が日本における唯一の放送事業体として活動を続けた。1931年4月には、語学講座、成人講座など教育・社会番組とスポーツ中継を編成の柱とする第2放送もスタートした。1969年4月1日からFM放送も開始した。
[伊豫田康弘]
日本のラジオ放送は1950年6月1日、電波三法(電波法、放送法、電波監理委員会設置法)が施行され、新しいスタートをきった。すなわち、社団法人日本放送協会は解散し、放送法に基づいて、新たに特殊法人日本放送協会(NHK)が発足するとともに、民間放送の設立が認められることになった。民間放送は1951年4月、まずラジオ東京(現東京放送)など16社が電波監理委員会から予備免許を交付され、同年9月1日の中部日本放送と新日本放送(現毎日放送)をトップとして、相次いで各地に開局した。ラジオ受信契約数も第二次世界大戦後の復興とともに急速に普及し、1948年には戦前のピークを記録した1944年とほぼ同数の760万(普及率47.2%)、1952年には1050万(普及率63.6%)に達した。
[伊豫田康弘]
民放ラジオの歴史は次の6期に区分することができる。
(1)成長・発展期(1951後半~1953前半) 企業としての将来性が危ぶまれた民放ラジオが大方の予想に反して順調な伸長・発展を示した時期で、ドラマ、クイズ、演芸など大衆的な娯楽番組を夜のゴールデンアワーに集中編成する一方、ニュースやニュース解説、街頭録音などに力を入れ、NHKラジオに正面から挑戦し、リスナー(聴取者)を拡大していった。
(2)黄金期(1953後半~1957) 1952年に早くも22億円の広告費を記録し、雑誌(18億円)を抜いた民放ラジオは、1953年45億円、1955年98億円、1957年150億円と、広告媒体としても飛躍的な成長をみせた。東京、大阪、名古屋など大都市では、2局目、3局目の民放が開局、公開の聴取者参加番組や大型クイズ番組、ドラマなど、多種多様な番組で互いにリスナー獲得を競い合った。
(3)沈滞・混迷期(1958~1965) 大量開局、台頭してきたテレビにリスナー、広告主を奪われ、これまで順調な推移をみせてきた広告費の伸びは急速に鈍化し、1962年にはついに前年比97.2%とマイナス成長に落ち込み、以後1965年まで4年間前年比減が続いた。だが、この苦境のなかで、新しいラジオ媒体価値の創造を目ざす意欲的なチャレンジがいくつか打ち出されていった。「ながら聴取」やトランジスタラジオとカーラジオの普及を背景にした「個人聴取」の増大にあわせた生ワイド情報番組、サテライトスタジオやFMカーを使った聴取者参加番組などの開拓、プロ野球ナイターの完全中継、オールナイト放送の実施などが、それである。そして、1964年3月ニッポン放送が「オーディエンス・セグメンテーション編成」を打ち出し、また、1965年5月JRN(ジャパン・ラジオ・ネットワーク)とNRN(ナショナル・ラジオ・ネットワーク)の両ネットワークが結成され、ラジオ界は復興への道に転じることになった。オーディエンス・セグメンテーション編成は、1日の時間帯を「女性向けの午前中」「ドライバー向けの午後」「ヤング向けの夜」というようにそれぞれ性格づけ、それに見合う番組をそれぞれの時間帯に集中させる編成手法であり、他局も相次いで採用、リスナーと広告主の獲得に大きく貢献した。ネットワークの形成は、全国のラジオ局をラインで結び、ラジオのもつ機動性、速報性、柔軟性の媒体特性を全国規模に拡大すると同時に、営業的にもナショナル・スポンサー(全国放送広告主)の獲得に貢献、ラジオ復興の有力な牽引(けんいん)車となった。
(4)復興期(1966~1969) 前期後半に打ち出されたさまざまな媒体価値向上策が功を奏し、1966年、ラジオ広告費は前年比105.0%の伸びを記録、苦境を脱した。パーソナリティーによる生ワイド番組、ドライバー情報、ヤングを対象にしたディスクジョッキー番組など、多種多様な番組が開発され、ラジオは人々の日常生活に密着した情報媒体、地域媒体として、独自の世界を築き上げ、いわゆる「ラジオ・ルネサンス」を実現した。どん底を克服したラジオは、「不況に強いラジオ」の自信となり、以後比較的安定した広告費伸び率を維持している。
(5)FM放送の登場・発展期(1970~1990) 1969年12月のエフエム愛知開局をトップに、1970年4月エフエム大阪とエフエム東京、7月エフエム福岡が相次いで開局、AM・FM共存時代を迎えた。エフエム東京の「ジェット・ストリーム」に代表される都会的なセンスにあふれた音楽中心の番組編成とステレオ放送の魅力で、FMリスナーはヤング・アダルト層を中心に増大し続け、若者の新しいミュージック・ライフを演出した。民放FM局の開局はその後約10年間凍結されていたが、1982年2月に5番目のエフエム愛媛が開局、続いて9月エフエム北海道、10月エフエム長崎、12月エフエム仙台とエフエム広島が開局、日本も本格的なFM多局化時代に入った。1981年5月にはエフエム東京を事実上のキー局とするJFN(ジャパン・エフエム・ネットワーク)も結成され、FM局間の連携を強めている(1984年7月全国FM放送協議会に名称変更)。
(6)FM放送の多様化期(1991~ ) 民放FM局は1990年(平成2)12月末までに36局が開局、局数のうえでもAM放送と拮抗(きっこう)併存する状況となった。1990年代に入りFM放送は、コミュニティ放送、外国語FM放送、FM文字多重放送の登場など、サービス多様化の時代に入る。コミュニティ放送は、最大出力20ワットの小規模放送で、従来の県域放送では網羅しきれない、きめ細かな情報を流して地域の活性化に役だてようと1992年1月10日に制度化された。「タウン誌」の放送版というべきもので、同年12月24日に北海道函館(はこだて)市の「FMいるか」が開局、2011年(平成23)3月末時点で246局が開局している。外国語FM放送は、1995年10月から英語を中心に中国語、韓国・朝鮮語、スペイン語、ポルトガル語、タイ語などの放送が実施されており、2012年10月時点の放送事業者は3社となっている。
また、FM波の電波のすきまを利用して行うFM文字多重放送では、1994年10月1日からエフエム東京が「見えるラジオ」の愛称で開始した。「見えるラジオ」は文字情報を液晶画面つきの専用ラジオで受信する仕組み。1995年10月からはJFN加盟全局が開始、エフエムジャパン(現、J-WAVE)も「アラジン」の愛称でサービスをスタートさせた(「アラジン」は2010年9月終了)。
2012年時点で、NHKは中波で第1、第2放送の2系統、FMで1系統の番組を編成しており、民放ラジオ(地上波)は中波13社、短波1社、FM52社(コミュニティ放送を除く)である。またNHKは短波ラジオによって、使用言語18、1日当り延べ55時間55分の国際放送を行っている。
[伊豫田康弘]
ラジオ放送は世界中の国で実施されており、その多くは中波、短波、超短波などの電波を使って、2系統以上の放送を行っている。
アメリカのラジオ放送は、商業放送と政府や実業界などの資金援助による公共放送の2本立てだが、実質的には商業放送の力が圧倒的に強い。ABC、CBS、NBC、Westwood Oneなどの全国的ラジオ・ネットワークがあるが、ローカル局の独自編成の度合いが強く、加盟局とネットワークの結び付きはそれほど強くない。多くの局が24時間放送を実施しており、ロック音楽専門局、ニュース専門局、アフリカ系アメリカ人向け番組専門局、スペイン語番組専門局など、専門局化とローカル化が大きな特色である。また、FMラジオのリスナーの増加が目だっており、AMラジオが劣勢に置かれ始めている。ヨーロッパの多くの国では、おもに民放または公営の機関によって2系統以上のネットワーク番組が放送されており、ドイツ、フランスなどは数系統のネットワーク放送を行っている。イギリスは公共放送のBBCが10チャンネルで全国放送を行っているほか、全国の主要都市で商業放送によるローカル放送が行われている。
[伊豫田康弘]
テレビの台頭による不振からラジオ・ルネサンスといわれるみごとな復興を遂げた日本のラジオ界も、1980年代に入り新たな転換を迫られた。1978年9月にスタートしたテレビ音声多重放送の拡充、DAD(デジタルオーディオディスク)の登場、通信衛星を利用するPCM(パルス符号変調)音声放送の開始(1992年6月)など、いわゆるニューメディアの登場が、その大きな要因である。テレビ音声多重放送の独立的利用は、実質的には新しい音声媒体の出現であり、DADで再生される高品位の音質と、衛星によるPCM音声放送の鮮明な音質は、AM・FMラジオの音質に対する圧倒的優位性をリスナーに印象づける可能性がある。こうした状況を迎え、既存ラジオ界では改めてラジオ媒体の特性である機動性、速報性、柔軟性を生かした番組の開発、地域化・個性化の強化などの必要性が、AMステレオ放送やデジタル伝送化など新しい魅力の開拓とともに、強調され始めている。
[伊豫田康弘]
『日本放送協会編『放送五十年史』『放送五十年史 資料編』(1977・日本放送出版協会)』▽『日本民間放送連盟編・刊『民間放送三十年史』(1981)』▽『郵政研究所編『21世紀放送の論点――デジタル・多チャンネル時代の放送を考える』(1998・日刊工業新聞社)』▽『稲田植輝著『最新放送メディア入門』(1998・社会評論社)』▽『NHK放送文化研究所編『NHKデータブック 世界の放送』(1998・日本放送出版協会)』▽『阿久悠著『ラヂオ』(2000・日本放送出版協会)』▽『大和定次著『音作り半世紀――ラジオ・テレビの音響効果』(2001・春秋社)』▽『日本放送協会放送文化研究所編『NHK年鑑』各年版(日本放送出版協会)』▽『日本民間放送連盟編『日本民間放送年鑑』各年版(コーケン出版)』
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