新聞や放送などのように、複雑な社会組織として機能する送り手が、高度な技術的・機械的装置を駆使して、メッセージや情報をほとんど同時的に、不特定多数の人々に大量伝達する公共的性格を帯びたメディア・コミュニケーションの形態と過程をいう。こうしたマス・コミュニケーション(以下マスコミと略称)の一般的定義にもかかわらず、パソコン、インターネット、電子メールなどの普及にみられる日進月歩、あるいは「秒進分歩」とさえいわれる情報技術の急速な進歩のなかで、マスコミの定義が揺らぎだしていることにも注意深く目を向けなければならないであろう。ちなみに、メディア・ツールとしてのインターネットを積極的に利用すれば、ネット上で公開、提供される多様な情報源に個人でも直接アクセスすることができ、あるいは自らホームページを開設して世界に向けて直接かつ瞬時に情報を発信することができる。マスコミとニューメディア、マルチメディアとは単に棲(す)み分けて共存するだけでなく、相互に越境しあって機能的なシームレス化への道をたどっており、その結果、情報源へのマスコミの独占的アクセスや情報伝達の優位性に風穴を開けることもできるようになったのである。
[岡田直之]
20世紀は「マス・コミュニケーションの時代」とよばれ、現代社会におけるマス・メディアmass mediaの浸透と遍在性は、20世紀のもっとも重要で顕著な歴史的事実の一つであるといえる。マスコミの成立と発展は、なによりもコミュニケーション技術の驚異的発達によってもたらされたといってよい。コミュニケーションの技術革新は次々と新しいメディアを生み出し、マス・メディアを多様化するとともに、その高度化を推し進めた。コミュニケーション・テクノロジーの高度の発達とともに、近代社会の発展を推進した工業化、都市化、民主化の諸過程は、いずれもマスコミの飛躍的成長と密接な相互関連をもつ社会的諸条件であった。これらの社会的条件は、一方でマスコミの発展を助長した独立変数であったし、また他方ではマスコミの発展によっていっそう促進された従属変数でもあった。
工業化の進展は人々の生活水準の上昇をもたらし、教育の普及や余暇の増大と相まって、人々の情報需要の伸張に寄与した。都市化とともに、都市への人口集中が急テンポで進行し、伝統的共同体の権威や統制から解放されたマス・オーディエンスmass audience(大衆的受け手)という巨大な集合体を誕生せしめ、社会的統合のメカニズムとして、マスコミへの依存度をますます高めた。また、消費者としての大衆の潜在的購買力を喚起して、大衆消費社会を支える有力な広告メディアとして機能してきた。民主化の進展はいうまでもなく、マス・メディアの自由かつ多元的な活動への強力な槓杆(こうかん)(てこ)であった。まことに、マスコミは近代化の所産といわなければならないし、現代人の社会生活上欠くことのできない「社会の公器」となったのである。
マスコミの発展を推し進めた技術的伝達手段をマス・メディアといい、新聞、雑誌、書籍などの印刷媒体と、テレビ、ラジオ、映画などの電子媒体とに大別されるが、広告業界では、新聞、雑誌、テレビ、ラジオを四大マス・メディアとよんでいる。また、文字メディア、聴覚メディア、視聴覚メディアといった伝統的メディア分類のほか、新聞、雑誌、書籍、レコードなどのパッケージ系と、テレビ、ラジオ、電話、CATV(有線テレビ)などの電気通信系というメディア分類もある。とくに、エレクトロニクスを中心としたコミュニケーション技術の目覚ましい革新とコンピュータの著しい発展・普及は、新聞、出版、放送、通信、映画といった既存メディアの境界をあいまいにさせ、メディア相互間の融合(メディア・ミックス)や放送とコンピュータ技術との結合によるデータ放送など、伝統的なメディア分類に収まりきらない新しいメディア形態を生み出している。なお、日本では「マス・メディア」と「マスコミ」は同義に扱われることが多い。
[岡田直之]
マスコミの主要な特徴として、一般に、次の諸点があげられている。
(1)マスコミの送り手は専門化された社会的分業に基づく大規模な企業組織であって、社会の経済的、政治的、文化的な構造に組み込まれ、その一環として機能する。資本主義社会では、一般に、マス・メディアのビッグ・ビジネス化、集中・独占化、エスタブリッシュメント(体制)化が進行し、資本家と経営者はジャーナリストに相対的自律性を認めながらも、究極的にはマス・メディアを統制・管理する。社会主義体制下での、マス・メディア組織は、原則として党・国家の独占的支配、統制下に置かれ、資本主義社会におけるマス・メディアの場合のように商業主義的逆機能が現れにくい反面、大衆的宣伝・扇動・組織化のための機関として明確な役割を付与され、反体制的言論活動に一定の枠がはめられる傾向にある。
(2)マスコミの受け手は総体として大衆を構成し、膨大性、拡散性、匿名性、異質性、雑多性、無定形ないし非組織性などによって特徴づけられる。しかし、日常的次元から微視的にみた場合、受け手は多様な社会集団の網目のなかでマス・メディアに選択的に接触し、メディア内容を差異的に受容する。さらに、多メディア・多チャンネル、インターネットの時代になると、大衆的受け手の細分化や多極化を惹起(じゃっき)し、マス・メディアは受け手を不特定多数の大衆から特定多数の「分衆」へと絞りこむ脱マスコミ化への傾向をはらむことになる。マスコミへの接触と受容において、能動的に行為する受け手は伝統的な読み書きそろばんに加え、メディアリテラシーあるいは情報リテラシーとよばれる技能を身につけ、向上させ、多様な情報通信メディアをそれぞれの欲求や必要に応じて巧みに使いこなすようになってきている。このメディアリテラシーの能力開発は単に多様なメディアを有効的に利用し活用することだけでなく、テクストとしてのメディアを批判的に読み解く能力を学習し、取得していくことをも含んでいる。
(3)マスコミの送り内容は、専門的、特殊関心的な情報やメッセージではなく、一般的、平均的な関心や興味を公分母とする。セックス、暴力、犯罪などヒューマン・インタレストを刺激するニュースや話題は、マスコミのもっとも典型的なコンテンツ(内容)である。しかし、まさに「大衆情念の公分母」に依拠することによって、送り内容は画一化し、ステレオタイプ化しがちで、商業主義的体質と結び付くとき、低俗化やセンセーショナリズム化に陥りやすい。さらに、マスコミの送り内容は通例、受け手がじかに接触することのできない間接的な環境や世界に関する情報やメッセージであって、その情報やメッセージの真実性や妥当性を直接検証することは、受け手にとってほとんど不可能である。
(4)マスコミ過程において、送り手と受け手の位置と役割は通常固定化されて、コミュニケーションの流れも基本的には送り手から受け手への一方通行である。また、送り手と受け手とはインパーソナルな関係にあって、フィードバック作用が円滑に働きにくい。しかし、デジタル技術の開発と発展により、インターネットを利用した情報発信や電子メールによるやりとりなど、送り手と受け手の双方向コミュニケーションが活発に行われるようになりつつある。送り手と受け手との非対称の一方的偏りは変化してきており、今後受け手のメディア参加をいっそう促進してゆくものとみられる。
[岡田直之]
マスコミは現代社会の中枢神経系であるとしても、他の多種多様なコミュニケーション・メディアが折り重なって、現代社会の錯綜(さくそう)したコミュニケーション網を形づくっている。
現代社会のコミュニケーション構造は、基本的には、パーソナル・コミュニケーションと中間コミュニケーションとマスコミとの三層構造として把握できる。パーソナル・コミュニケーションは、身体的に近接した状態にある2人あるいはそれ以上の人々の間の直接的で対面的なコミュニケーションであって、
(1)話し手と聞き手との位置と役割が相互に交換されること
(2)即時的なフィードバックが存在すること
(3)コミュニケーション状況はおおむね非構造的・インフォーマルであること
など、マスコミと対照的な特徴をもっている。アメリカの社会哲学者・教育学者のジョン・デューイは対面的コミュニケーションが共同体の成立に不可欠な条件であることを力説している。
中間コミュニケーションは、パーソナル・コミュニケーションとマスコミとの境界領域に位置するコミュニケーション形態である。したがって、中間コミュニケーションは両者の特徴を兼ね備えている。パーソナル・コミュニケーションのようにメッセージの受け手は限定され、メッセージも比較的特定化された関心と興味に絞られ、送り手と受け手との相互作用もある程度保持されている。他方、マスコミにみられるように、受け手は空間的に分散し、非対面的状況にあり、メッセージは機械技術的手段を媒介にして同時的ないし短時的に伝達される。具体的にいえば、企業、団体などの組織コミュニケーション、地域社会におけるコミュニティ・メディア、専門的・個別的情報ニーズにこたえる専門メディアなどである。だが、電子メディアの急速な発展によるサイバー空間(電脳空間)やバーチャル・リアリティー(仮想現実)の登場と拡大は、現代社会のコミュニケーション構造に新しい次元を差し込み、そのコミュニケーション構造そのものを変容させつつある。
マスコミを社会的コミュニケーション構造の一環としてとらえるとともに、特定の社会構造ないし社会体制の一翼として把握することも必要である。社会学者の稲葉三千男(いなばみちお)(1927―2002)によると、社会的コミュニケーションの全体状況は、(1)保守組織、(2)行政組織、(3)マスコミ、(4)革新組織の四元論として図式化できるという。そして、社会の階級関係がこの四元の社会的コミュニケーションの相互関係を規定すると考える。行政組織とマスコミと保守組織とが癒着する日本型、保守組織と革新組織とに分極化するか、真の政治的中立を保持するイギリス型、革新組織のコミュニケーションが欠落し、異端的ミニコミの活動するアメリカ型といった考察は興味深く、示唆に富んでいる。体制(保守)コミュニケーション――マスコミ――革新コミュニケーションの三極構造のなかで、三者の緊張・対抗関係を考察することによって、現代社会におけるマスコミの動態を多角的に明らかにできるであろう。
[岡田直之]
現代社会におけるマスコミの役割と機能をめぐって、三つの主要な理論的観点があると思われる。すなわち、(1)大衆社会論的観点、(2)多元主義的観点、(3)マルクス主義的観点である。
[岡田直之]
大衆社会論的観点は大衆社会論を母胎とするマスコミ論であって、以下の大衆社会論の命題が理論的支柱になっている。
(1)大衆化の現象とともに、人々を共同体に結び付け、社会秩序のバラスト(安定装置)であった伝統的な社会的紐帯(ちゅうたい)が崩壊したために、非人格的な大衆的組織によってかろうじて結合されているにすぎない、不安定で脆弱(ぜいじゃく)な都市型産業社会が成立したこと。
(2)社会的に孤立化し、疎外されたアノミック(無規範状態)な人間類型の一般化を背景に、コミュニケーション技術の革命的進歩と相まって、大衆的人間は被操作性を高め、マスコミのかっこうの餌食(えじき)となったこと。
こうして、マス・メディアは、大衆社会において大衆操作の道具として強力な直接的影響力を行使する、という単純明快なマスコミ観が形成されることになる。
[岡田直之]
多元主義的観点は、大衆社会論的観点に挑戦し、終止符を打つことを意図し、アメリカの実証的マスコミ研究が隆盛の絶頂にあった1950年代に確立されたといってよい。多元主義的観点の基底にあるのは多元社会論である。支配エリートを頂点とする一枚岩的権力構造を想定する大衆社会論的観点とは逆に、現代社会は相互に競争し、抑制しあう多元的な社会集団によってモザイク的に構成され、とりわけ中間レベルにおける多様な自発的結社の生き生きとした活動が、民主主義への有効な安定装置であると考える。
多元主義的観点はまた、大衆的人間類型の根本的転換を図った。現代の政治過程において、大衆は権力エリートによって一方的に操作される客体ではなく、むしろ権力エリートをさまざまに抑制する政治的主体であると考えられ、灰色の大衆像は市民的人間類型へと塗り替えられたのである。
多元主義的観点の理論的前提で、いま一つ注目すべき点として、マス・メディアの自律性と多元性に関する命題がある。マス・メディアは、国家をはじめあらゆる外部的諸勢力から自立し、報道の自由を主体的に享受するという伝統的自由主義理論を基底にしながら、プロフェッショナルなメディア組織に内在する機能的自律性を主張する。そして、マス・メディアが自律的に機能するならば、多元的な情報と意見が思想の自由市場で交流し、競合することになって、民主主義社会における健全な世論形成に寄与するというわけである。
多元社会におけるマス・メディアの基本的機能は、多元主義的社会体制を総体的に維持し、発展させることにある。多元社会には、広範に共有されている中核的価値体系や合意が存在しており、マス・メディアはこうした合意や価値、規範を反映し、補強しながら、社会体制を統合する機関にほかならない。
マスコミの実証的研究は多元主義的観点の申し子であって、(1)方法論的個人主義、(2)媒介変数アプローチ、(3)能動的受け手観などによって特徴づけられ、多彩な実証的データを積み上げながら、理論的一般化を試みてきた。そのもっとも包括的結論は、「マスコミは通常、受け手への効果の必要かつ十分なる原因として作用せず、受け手の態度の変容要因としてよりも、その補強要因として機能する」ということである。のちに「限定効果モデル」とよばれたこの一般化は、やがてマスコミの効果と潜勢力を過小評価しすぎているのではないかとの疑問と批判を巻き起こし、マスコミの影響力を再評価する動向が現れてくる。マスコミの認知効果や長期的・累積的効果に新たなる問題関心を向けているところに、こうした研究動向の顕著な特徴があるといえよう。
[岡田直之]
マルクス主義的観点の基底には、いうまでもなく階級社会論がある。資本主義社会は、生産手段を所有する支配階級と、生産手段を所有せず、自らの労働力以外に頼るものをもたない被支配階級とによって基本的に構成され、それらの基本的階級間の対立と闘争という敵対的関係のなかで、資本家による階級支配が究極的に貫徹する社会である。したがって、資本主義社会におけるマス・メディアは階級支配のためのイデオロギー機能を直接的、間接的に遂行するエージェントないし装置であり、フィンランドのマスコミ研究者ノルデンストレングKaarle NordenstrengとバリスTapio Varisが論じたように、その主要な役割と機能は、
(1)社会の内部における階級対立を隠蔽(いんぺい)し、疎外の諸症候を補償すること、
(2)社会の既成秩序にかわる具体的な社会的選択肢を非正統化すること、
(3)営利を目的とする産業の一環として利潤を追求すること、
だといってよかろう。
日本では、アメリカ的マスコミ研究にかわる批判的パラダイムとして、マルクス主義的観点からのマスコミ研究が早くから活発に展開され、わが国のマスコミ研究に独自の彩りを添えてきた。しかし、欧米では事情を異にして、マルクス主義的観点への関心が高まってくるのは1970年代あたりからである。マルクス主義的メディア研究でとくに注目されるのは、文化主義的なアプローチである。社会は多様な集団文化で構成されているが、マス・メディアは特定集団の特殊な価値・利害・要求をあたかも普遍的で自明なものとして正統化する役割を演じている、というのがこの研究の基本的立場である。イギリスのカルチュラル・スタディーズ(文化研究)の中心的研究者ホールStuart Hall(1932― )は、このようなマスコミの正統化機能に認識の焦点を据えるマルクス主義的メディア研究の特徴を、「イデオロギーの再発見」と名づけている。
実証的マスコミ研究はかつて「第一次集団の再発見」をてこに、大衆社会論的観点のコペルニクス的転回を図った。すなわち、マスコミの影響や効果は、受け手の所属する第一次集団の規範やオピニオン・リーダーという媒介変数によって間接的に規定・限定されており、「皮下注射針モデル」あるいは「弾丸理論」が想定したように、マスコミは、甲らのないカニ同然の受け手に対して、あたかも弾丸のように強烈な決定的影響力を直接行使するのではないと主張した。しかし、すでに触れたように、実証的マスコミ研究の「限定効果モデル」に対して、今日、さまざまの疑義や批判が浴びせられ、マスコミの影響力を見直し、再評価する動きが活発になり、皮下注射針モデルないし弾丸理論の新版ともいうべき「強力効果モデル」が提唱されている。ある意味で、マスコミ理論は一巡したともいえる。イデオロギーの再発見は第一次集団の再発見と同じように、マスコミ研究の理論的観点を切り換える有力な転てつ器の役割を果たしている。
[岡田直之]
そのほかに注目すべき理論的動向として、マスコミ公共圏論がある。ドイツの社会学者ハバーマスの著書『公共性の構造転換』(1962)の英語版(1989)が引き金となって、公共圏の概念に基づいて現代社会におけるマスコミの役割と機能を考察する議論が盛んになった。公共圏とは公共的議論のための開かれた自律的なコミュニケーション空間のことで、マス・メディアは公共圏の有力な担い手であることを期待されているということにほかならない。
ハバーマスは、成熟した高度資本主義と福祉国家体制のもとで機能する現代のマスコミが、このような民主的な公共圏の構築に十分適切に寄与できるかどうかについて総じて悲観的であるものの、市民参加をいざなう多種多様な自発的結社を基軸とする参加民主主義が力強く進展するなら、明るい展望が開けてくる可能性があることも示唆している。しかしその前途は険しく、幾多の紆余(うよ)曲折をたどると思われるが、マスコミが公共的な対話と論争のフォーラム(公開討論の場)としての役割を十全に果たすことができるようになれば、民主主義の活性化に資する生き生きとした世論の形成機関として復活するであろう。
[岡田直之]
わが国のマスコミは第二次世界大戦以前においても、著しい成長を遂げていたが、戦後は戦前期とは比べ物にならないほど質量ともに飛躍的に発展し、今日では世界有数のマスコミ王国となっている。日刊新聞の総発行部数は世界第1位であり、人口1000人当り部数でも主要先進国のなかでトップの普及率を誇っている。テレビ・ラジオの放送についても受信機台数、放送時間量、視聴時間量などからみて、世界の上位にランクしているし、出版の現状でも、書籍の新刊点数や発行部数は世界においてトップ・グループに属している。テレビの普及とともに斜陽化した映画においても、映画観客数や映画館数こそ激減したものの、封切り本数は最盛期に比べてもさほど減少しておらず、テレビによる映画放送とビデオソフトの利用頻度に目を向けるなら、映像ソフトとしての映画需要はけっして衰えていない。「マスコミの時代」の主役はテレビである。テレビを日常視聴しない人はほとんどいないばかりでなく、テレビ離れが取りざたされながらも、相変わらず長時間(平日で平均3時間台)視聴されている。テレビはもっとも親しみやすい大衆的なメディアだが、テレビ界を支配する視聴率至上主義は、とりわけスポンサーに全面的に依存する民間放送の場合、かつてテレビの草創期に評論家の大宅壮一(おおやそういち)の唱えた「一億総白痴化」という方向に、テレビ文化を全体として低位平準化することになりかねず、そのように危惧(きぐ)する論議がいまなお後を絶たない。テレビといえばとかく大衆的娯楽機能が目だちがちだが、主要な政治的情報源として、また政治家と国民のコミュニケーション・パイプとしてますます重要な役割を担うようになってきていることを見落としてはならない。テレビ時代の到来はラジオ聴取者の激減をもたらしたが、ラジオ放送はテレビ時代への必死の再適応を試みた結果、「生(なま)・ワイド・パーソナリティー」の編成路線のもとで1960年代後半にいわゆるラジオ・ルネサンスに成功し、テレビと共存共生できる態勢を築き上げた。そして、ラジオは今日、
(1)機動性に富む柔軟な番組編成
(2)聴取のモバイル化(可動化)とパーソナル化
(3)聴取者参加路線の徹底
などを推し進めることで、聴取者との日常的な親近感と一体感をますます高め、多メディア時代のなかで人々の日常生活におけるかけがえのない同伴者として機能している。阪神・淡路大震災の際に、ラジオは小回りの効くメディア特性を発揮して大活躍し、災害時に強い不可欠なメディアであることが立証されたといってよい。
わが国の放送は公共放送としてのNHK(日本放送協会)と民間放送との二本立てで営まれ、大局的にみて妙味ある制度のよさを発揮している(別に放送大学学園法に基づく放送大学がある)。しかし、いずれも免許事業として国(総務大臣)の免許を必要とし、免許事業の本質からいって、とりわけ現代政治において重要度をいっそう高めているテレビの場合、他のマス・メディアに比べて国家権力の介入・干渉・圧力を一般に受けやすく、権力の敷居をどう越えるかの問題に恒常的に直面しているといわなければならない。
新聞はかつてのマスコミの王座をテレビに譲り渡したものの、テレビ時代や多メディア時代においても、新聞の特性である詳報性、総合性ないし一覧性、解説性、論評性、提言性といったメディア機能の面で、依然として基幹的メディアである。日本の新聞は、全国の読者を対象に発行される『読売新聞』『朝日新聞』『毎日新聞』『産経新聞』『日本経済新聞』の全国紙、『北海道新聞』『中日新聞』『西日本新聞』のブロック紙、そして地方紙に大別される。全国紙は数百万規模の「大衆紙」的な巨大部数をもちながら、「高級紙」的質の高さもあわせもつ世界に類のない日本独自の新聞形態を形づくっている。日刊紙の総発行部数に対する全国紙のシェアは過半数を占め、新聞界における集中・独占化が顕著である。そして、全国的な大新聞社は放送企業と密接な結合関係をもつとともに、週刊誌やスポーツ紙などの発行に携わり、出版事業や電子メディア事業にも手を出すなど、総合的情報産業のかなめとなっている。
今日はまた「雑高書低」(出版社の雑誌売上げへの依存度が書籍よりも高い傾向)の「雑誌の時代」といわれるが、出版業界は生存競争と栄枯盛衰の激烈なメディア業界である。一般的にいって雑誌は、読者の情報欲求の多様化と差異化にもっとも弾力的かつ機敏にこたえられるメディアであって、その主流は特定の階層に的を絞るクラスメディアである。今日の雑誌を特徴づけているのは、情報と知識のビジュアル化、カタログ化、「軽薄短小」化であると同時に、読者参加の誌面づくりを重要視している。熾烈(しれつ)な過当競争のなかでスキャンダルを売り物にして読者の原始的関心に訴える傾向も強く、市民のプライバシー侵害など社会問題を引き起こす場合が少なくない。1980年代以降の総合雑誌の地盤沈下は覆い隠せぬ事実であるとしても、『文芸春秋』1974年11月号に掲載された立花隆の「田中角栄研究――その金脈と人脈」が金権政治批判の口火となり、田中角栄の首相退陣につながったことは特筆すべき雑誌ジャーナリズムの快挙であった。
マス・メディアは相互に競合しあいながらも、それぞれ受け手の多様な情報欲求を相補的に、あるいは役割分担的に充足する一方で、マス・メディアが一丸となって特定の事件や話題に受け手の注意と関心を一斉に集中させ、しかもその事件や話題への画一的反応を増殖する相乗作用を果たすことも看過してはなるまい。
1990年代以降、IT(情報技術)革命のもたらすコンピュータ化、多メディア・多チャンネル化、マルチメディア化、モバイル化、デジタル化、そしてインターネットのマス・メディア化といった新しい波が容赦なくマスコミ界に押し寄せ、「ビッグバン」の幕が切って落とされた。新聞界は「新聞が消える」という悲壮な危機感に駆り立てられて、ネット配信による電子新聞、記事データベースの電子化、BS・CS放送などへの参入といったメディア複合化を図っている。放送界は2000年12月のBSデジタル放送の開始とともに、デジタル多チャンネル時代に突入し、放送メディアの再編成において主導権を握ろうと苛烈(かれつ)な競争を繰り広げている。また、出版界はCD-ROM、DVDなどの電子出版に乗り出し、さらにはオンライン出版、オン・デマンド出版へと進出するなど、既存のマス・メディアは、急激に変化するメディア環境への待ったなしの対応を厳しく迫られている。
[岡田直之]
『J・T・クラッパー著、NHK放送学研究室訳『マス・コミュニケーションの効果』(1966・日本放送出版協会)』▽『W・シュラム編、学習院大学社会学研究室訳『新版 マス・コミュニケーション――マス・メディアの総合的研究』(1968・東京創元社)』▽『稲葉三千男著『現代マスコミ論』(1976・青木書店)』▽『南博著『新版 マス・コミュニケーション入門』(1978・光文社)』▽『竹内郁郎・児島和人編『現代マス・コミュニケーション論』(1982・有斐閣)』▽『内川芳美・新井直之編『日本のジャーナリズム』(1983・有斐閣)』▽『D・マクウェール著、竹内郁郎他訳『マス・コミュニケーションの理論』(1985・新曜社)』▽『佐藤毅編著『現代のマスコミ入門』(1986・青木書店)』▽『佐藤毅著『マスコミの受容理論――言説の異化媒介的変換』(1990・法政大学出版局)』▽『竹内郁郎著『マス・コミュニケーションの社会理論』(1990・東京大学出版会)』▽『岡田直之著『マスコミ研究の視座と課題』(1992・東京大学出版会)』▽『児島和人著『マス・コミュニケーション受容理論の展開』(1993・東京大学出版会)』▽『ユルゲン・ハーバーマス著、細谷貞雄・山田正行訳『公共性の構造転換――市民社会の一カテゴリーについての探求』第2版(1994・未来社)』▽『メルヴィン・L・デフレー、サンドラ・ボール=ロキーチ著、柳井道夫・谷藤悦史訳『マス・コミュニケーションの理論』(1994・敬文堂)』▽『竹内郁郎・児島和人・橋元良明編著『メディア・コミュニケーション論』(1998・北樹出版)』▽『春原昭彦・武市英雄編『ゼミナール日本のマス・メディア』(1998・日本評論社)』▽『朝日新聞社編・刊『マスコミ学がわかる。』(1998)』▽『天野勝文・松岡新兒・植田康夫編『「現代マスコミ論」のポイント――新聞・放送・出版・マスメディア』(1999・学文社)』▽『藤竹暁編『図説日本のマスメディア』(2000・日本放送出版協会)』
マス・メディア(画一的な内容を大量生産する媒体。高速輪転機で印刷された新聞や雑誌,ラジオとテレビ,映画など)を用いて大量(マス)の情報を大衆(マス)に伝達するコミュニケーション。〈大衆伝達〉〈大衆通報〉などの訳語もあるが,〈マスコミ〉という日本独特の短縮形が愛用されており,この場合情報を生産する送り手(新聞社,出版社,放送局など)をさすこともある。マスコミの特徴は,速報性,受け手の大量性,情報の流れの一方通行one-way性などにあるが,一方,受け手の量を基準にした反対概念に和製英語の〈ミニコミ〉,マスコミの一方通行性に対して双方通行two-way性をもつパーソナル・コミュニケーションpersonal communication,マスコミのメディアによる媒介に対しての人間の他人へ対する直接の語りかけをさす〈口コミ〉などがある。
ロックフェラー財団では,1939年9月から40年7月まで,ラスウェル,ラザースフェルドP.Lazarsfeld,キャントリルA.H.Cantril,リンドR.S.Lyndらの学者を集めて〈ロックフェラー・コミュニケーション・セミナー〉を開催した。その際,財団のマーシャルJ.Marshallは,当時ハーバード大学に来ていたイギリスのI.A.リチャーズあてに参加要請の手紙を書いているが(1939年8月),その文中で〈マス・コミュニケーション〉というみずからの新造語を用いている。おそらくは,このセミナーを契機として,マス・コミュニケーションという言葉は広まったものと思われる。また,この言葉がはじめて登場した公的文書は,1945年11月16日制定の〈ユネスコ憲章〉である。当時,日本では〈大衆通報〉と訳語をあてている。そのころには,マスコミの影響力を原子爆弾の破壊力のように強大だ,とする考え方が広がっていた。すなわち,マスコミは人の心の中に侵入し,思想や態度を思いのままに変え,操作してしまうという考え方で,〈皮下注射モデル〉とか〈弾丸理論〉などと呼ばれた。ヒトラーら独裁者の猛威を経験したばかりの時代環境では,受け入れやすい考え方だった。
ところが1960年前後になると,マスコミ研究者の間から,〈弾丸理論〉見直しの動きが強まった。なかでも有力だったのがパーソナル・コミュニケーションの実態調査をふまえたラザースフェルドらの〈2段階の流れ論〉で,マスコミはまずオピニオン・リーダーに受け止められ(第1段階),そこでろ過,変形,強調,反論付加などされてその周辺にいる集団メンバーに伝えられる(第2段階)ので,マスコミの影響力が直接に発揮されるというより,オピニオン・リーダーが対面集団face-to-face groupの中でもつ個人的影響personal influenceの方が大きい,とする理論である。これに対してクラッパーJ.T.Klapperは,多くの実験や社会調査の結果を総括して,人々の先有傾向predispositionを〈変化〉させる働きが強いのはパーソナル・コミュニケーションの方で,マスコミは先有傾向を〈強化〉する働きが強いという結論を引き出した。
1970年代に入ると,1960年代の理論傾向はマスコミの影響力を過小評価しすぎていたという反省が生じ,マスコミの議題設定agenda setting機能(人々の思想や態度を直接に左右するわけではないが,人々の関心の的を絞り,それを議題として設定する機能)に注目したり,どんな内容でも受容されている限り受け手のなんらかの欲求を満たしている,という受け手の側に立った〈利用と満足use and gratification〉研究の重要さを再確認したりする動きが出ている。しかし,テレビ,マンガなどの暴力,セックス描写に触発されて,効果論はアカデミーを脱け出して社会的次元に拡散し,アメリカでも日本でも多様な団体,運動と連結した。そのことは,一方ではマスコミに対する受け手の態度をより自覚的なものにならしめたが,他方では日本の〈青少年保護育成条例〉的な言論の抑圧に力を貸す結果となっている。
その後の研究は,制度,経済的基盤,話法の分析など,精密さを増してきてはいるが,細分化していくという傾向は止まらない。
→コミュニケーション
執筆者:稲葉 三千男
(1)前史 古代から中世末にいたるまで社会的コミュニケーションの主軸は,直接接触による視覚的映像をともなったオーラル・コミュニケーション(いわゆる〈オーラル・カルチャーoral culture〉の時期)であった。現在でも〈無文字社会〉では,複雑な伝承,慣行,物語などが,文字社会では想像もつかないほど大量に人間の記憶に貯蔵され,必要なときに〈語られ〉て,十分その社会的な機能を果たしている。いわばメディアは,人間の内部にセットされている。
〈説教〉〈演説〉などの形をとる,不特定多数への口頭コミュニケーションが,無差別のイデオロギー注入,大量伝達など現在のマス・メディアと類似した機能を果たしたことは,史上多くの宗教,政治運動における実例が示している。すでにパンフレット,新聞など活字媒体がかなり出まわっていた17世紀イギリスのピューリタン革命の過程においても,民衆レベルにまで最も大きな影響をあたえた媒体は,口頭の〈説教〉であった。〈口頭〉メディアと〈活字〉メディアとは,近代のある時期まで並行,共存していたのである。
しかし,文字の普及以降,〈文書〉の形をとって人間の外部に出るメディアも,古くから口頭文化とともに存在していた。たとえば,ローマ帝国の《アクタ・ディウルナ》,中国唐代の《開元雑報》など,古代の大帝国は,広大な版図を統治する必要から,中央からの指令の伝達,地方情勢の報告など,主として行政的コミュニケーション用の,多くは定期的な〈文書〉メディアをもっていた。また遠隔地貿易に従事する商人も同様に〈文書〉メディアをもっていた(15,16世紀の〈フッガー・ツァイトゥンゲンFugger Zeitungen〉。〈手書新聞〉の項参照)。
中世末から近代にかけて,村落共同体の自給自足圏の崩壊,全国市場網の形成にともない,物資の流通促進は,商品,市場,経済情況一般の情報媒体であった大商人・金融メディアを拡散させ,一方で政治基盤の拡大は,それまで支配者・官僚のメディアであったものを下方の中間層にまで拡大する。その過程は,15世紀後半,西ヨーロッパにおける活版印刷術の普及,とくにそれによる〈意見〉伝播の効力が実証されていく,16世紀後半の宗教改革諸運動の定着期と対応している。
定期的にニュースを供給する媒体は17世紀に定着し,たとえば1605年,アントワープの一印刷者(A. ウェルホーフェン)の出した〈ニーウェ・ティディンゲンNieuwe Tydinghen〉は,18年には週刊,29年には週3回刊になるまでに急成長する。週刊紙はケルン(1610),フランクフルト・アム・マイン(1615),ベルリン(1617)と各地で発行され,1650年にはライプチヒで世界最初の日刊紙とされる《アインコメンデ・ツァイトゥンゲンEinkommende Zeitungen》(のち《ライプチガー・ツァイトゥング》)が誕生する。ほぼ同時期に,ピューリタン革命で絶対主義型事前検閲機構を破砕したイギリスでは,かつてない規模で週刊の党派新聞によるイデオロギー戦争が行われ,政治新聞の原型がつくられていく。直接体験ができ,ふつうの口頭コミュニケーションで充足する〈日常世界〉を超えた状況,地図のなかに自分を位置づけ,その連関のなかで意味を認識したい,というピューリタンに典型的にあらわれる意識の社会的定着である。
(2)マス・コミュニケーションの成立と発展 活字メディアの読者層を社会下層に拡大しようという動きは,産業革命以降の急進運動のなかで試みられ,企業の次元では統制の制約がほとんどなかったアメリカにおいて1830年代〈ペニー・ペーパーpenny paper(大衆廉価新聞)〉が一定の成果をあげる。しかし,新聞社が最新の技術手段を駆使し,大量生産の可能な膨大な資本金を擁する大企業としてあらわれるのは,19世紀の90年代である。それは先進諸国における文盲が,ほとんど無視できるほど減少していく時期にあたる。イギリスのノースクリッフ(《デーリー・メール》),アメリカのピュリッツァー(《ワールド》),ハースト(《ニューヨーク・ジャーナル》)らによる部数100万を超える巨大新聞,大衆紙の登場が,その指標である。この時点からアメリカ,ヨーロッパの先進国で,最初の電波媒体であるラジオが出現する1920年代前半までを,それ自体,相対的に独自の運動を展開する〈マス・コミュニケーション〉の世界形成・定着期とみてよい。マス・メディアへの接触がすっかり〈日常生活〉の慣習と化し,そのかぎりでは,娯楽であれ,ニュースであれ,情報と自分との意味連関が問われなくなる時期の開始である。その間に,総力戦の様相を呈した第1次世界大戦の交戦国は,広告産業もふくめた大衆媒体が蓄積してきた大衆獲得の技法を最大限に動員して戦時宣伝を展開し,30年代にはファシスト国家群がより徹底した組織的なメディアの統制・動員の原型をつくった。1917年に始まるロシア革命は,支配政党の統制する独自の構造・機能をもつ〈社会主義型〉メディアをつくり上げた。第2次大戦後,社会主義諸国のメディアは陰に陽に,それを基本的なモデルにしている。
第2次大戦後からほぼ1960年代にかけて,メディアのヘゲモニーを握っていくテレビジョンは,〈日常世界〉の音声とともに視覚像を疑似的に再生・再現することで,媒体史の長い一サイクルの終りに位置づけられる。そして現在,一部の先進諸国に限られはするが,次の世紀へ向けての人間の内部を模造していくコンピューターと連動したニューメディアへの試みがさまざまな形で行われている。1950年代の終りから,ユネスコは社会へのマス・メディアの〈浸透〉促進のため,人口1000人当り新聞100部,ラジオ50台といったいくつかの最低基準をつくった。地表の一部における〈情報爆発〉と,大部分の地域における〈過度の欠乏〉とは,著しい対照を描き出している。78年ユネスコ総会で決議された〈マス・メディア宣言〉(〈新世界情報コミュニケーション秩序〉)は,南北情報格差の解消を目標にかかげているが,その実現にはまだ程遠い。
(1)前史 日本における近代的コミュニケーション・メディアの歴史は,明治維新前後から始まる。長い鎖国,幕藩体制の下で維新以降の急速な展開に必要ないくつかの前提条件が成熟している。1590年天正遣欧使節をともなって帰国したイエズス会巡察使バリニャーノは活版印刷機と技術者をつれ,九州各地で活字本キリシタン版を生産している。同じ時期,豊臣秀吉が朝鮮侵略のさい奪ってきた銅活字による印刷(〈文禄勅版〉)も行われ,16世紀末から17世紀初期にかけては,ヨーロッパ系,アジア系双方の最新のメディア技術が,この島国に共存していた。しかし,それら金属活字の技術は発展せず,伝統的な木版が幕末まで行われた。明治維新までの文字・情報メディアは,支配者用に海外情報を提供する〈オランダ風説書〉と,ヨーロッパの〈フルークブラット〉とほぼ同質な,市井の〈瓦版〉とに限られていた。定期的ニュース媒体は発生しなかったものの,19世紀前半文化・文政期(1804-30)のベストセラー,柳亭種彦の《偐紫田舎源氏》などは各編1万部以上売れたもようで,同じ時期のヨーロッパの人気ある小説の部数と比べても,それほど遜色はない。江戸をはじめとする都市における識字率はかなり高く,読書層の広がりは,すでに近代的メディアを支えるに十分なほど成熟していた,とみてよい。明治維新以降における欧米モデルにならった新聞の急速な発展は,そのことを証明している。
明治30年代,1900年前後から,時代を代表する新聞となる黒岩涙香の《万朝報》,秋山定輔の《二六新報》などは,市井庶民の味方をうたって,支配層,上流社会,大企業の不正,腐敗を攻撃するキャンペーンを看板商品とし,部数はまだ及びもつかないにしても,センセーショナリズム(〈赤新聞〉〈イェロー・ジャーナリズム〉)もふくめて明らかにピュリッツァー,ハーストらの初期の大衆新聞と同質の性格をみせている。わずか30年たらずで,メディアの面では先進諸国とほぼ同じ位相に並ぶにいたった。なお,義務教育就学率は1902年から90%を超えている。
(2)マス・コミュニケーションの成立と展開 日本におけるマス・コミュニケーションの世界の成立は,関東大震災以降,都市化が進展し,都市中間層の間に〈マス化現象〉があらわれ始める1920年代の前半,具体的には株式会社として大量生産,大量販売の体制をととのえ,〈不偏不党〉のイデオロギーを定着させた《大阪朝日新聞》《大阪毎日新聞》の両紙がともに100万部を超える24年,講談社の野間清治が〈国民雑誌〉と称するそれまでにない部数(創刊号74万部,翌新年号150万部)をもつ《キング》を創刊し,最初の電波媒体であるラジオが仮放送を開始する25年を,その指標にみてもよい。もっともラジオが農村地帯にまで広く普及し,いわゆるナショナル・メディアに成長していくのは,中国との全面戦争が始まる30年代後半のことである。この時期から30年代前半にかけ,〈広告〉によって経済運動の不可欠の部分として組み込まれ,受け手をすべての属性を溶かし込んだ〈消費者〉としてとらえる視点を確立したメディア企業体が,全国市場のヘゲモニーをめぐって激烈な競争を展開し,それなりに選択した膨大にして雑多な情報を流して〈世論〉,風俗,〈事件〉,話題をつくっていく,現代マス・コミュニケーション〈世界〉の原型がほぼ完全に出そろってくる。
終局的に情報局にいたる国家情報機関の設置,巨大な国策通信社〈同盟通信社〉の設立で顕在化する日本ファシズムの言論統制は,その競争的発展を一時期抑制したが,半面では〈電通〉の基盤確立,〈一県一紙〉体制など第2次大戦後のマス・メディアの構造規定にかなりの役割を果たしている。電波技術の発達,戦時宣伝の展開など,戦後に生きる技術的基盤を準備したことは,他の国々と同様である。コントロール下におかれた日本のマス・コミュニケーションは,巨大な現代型戦争遂行マシーンの重要部品と化し,その言説が実際国民の意識にどのように作用したかは別として,末期には,ほとんどリアリティを喪失した幻想の世界像を国民に提供することになる。
第2次大戦後,敗戦国はもちろん,戦勝国のアメリカ,イギリスにおいても,戦中の苦い経験をふまえたマス・メディアの内容・構造についての〈大衆的〉批判(イギリス議会の〈王立委員会〉,アメリカの〈プレスの自由委員会〉の活動など),あるべきシステムについての検討が行われた。しかし,占領下の日本では,そうした動きはなく,内部から〈戦争責任〉追及の運動はみられたが,メディアの〈反省〉もごく不十分にしか行われなかった。しいてあげれば,〈民主主義〉〈平和〉といったシンボル群をそれなりに拡散・定着させていったことがあげられる。目的変更と内部のヘゲモニー推移によって,二転,三転する占領軍のメディア政策(既存紙に代わる〈新興紙〉の育成など)も,既存の基本構造を変えるにはいたらなかった。
新憲法による一応の〈言論の自由〉の保障と,戦後改革による国内市場の拡大を前提条件として,1953年に始まるテレビジョンの時代と,それに続く高度成長とは,日本のマス・メディアを,どのような指標をとっても世界有数のレベルに発展させ,マス・コミュニケーションの網の目を極度に濃密化させた。ほとんど自動的にスイッチが入れられる居間のテレビが象徴しているように,マス・コミュニケーションは日常生活に重なり合っているというより,いまやその風景のなかに溶解しきっているかにみえる。60年代に始まるメディア産業の〈技術革新〉はマイクロ回線を使うファクシミリに象徴されるように,活字と電波との技術を接近させている。しかし,電波媒体と活字媒体との資本の系列化,市場の寡占化の進行は網の目の濃密化を推進させたが,送り内容の豊富さ,多様性とは逆比例の関係にあり,各種メディアの競合により拡大してきた市場もほぼ限界に達して,総体としては停滞を続けている。
衛星放送,ケーブルテレビ,ファクシミリ新聞などメディアの数と種類は飛躍的に多くなり,したがって競争(より基本的には有限の時間の支配権をめぐる争い)が今後なお一層激化していくことは避けられない。また,パソコンに象徴されるメディアと情報の個人化がこれまでのように進行してゆけば,マス・コミュニケーションが社会で占めている地位も,当然変わってこざるをえない。それらは,マス・コミュニケーションの世界がどの程度〈共有世界〉(公共圏)を確保しうるのか,逆にいえば我々がどのような共通の世界を必要とするかにかかっている。
→雑誌 →新聞 →通信 →放送
執筆者:香内 三郎
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新聞・雑誌,ラジオ,テレビなど大規模な手段を用いて大量(mass)の情報を大衆(the masses)に伝達する行為,関係,制度の総称。日本での略称「マスコミ」。ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発した1939年9月,ニューヨークで開催されたロックフェラー・コミュニケーション・セミナーへの案内状で同財団事務局長ジョン・マーシャルが学術用語として初めて使用した。このセミナーの中心メンバー,政治学者ハロルド・ラスウェル,社会統計学者ポール・ラザースフェルトなどにより,対ナチズム心理戦を目的としてマス・コミュニケーション研究は組織化された。公文書では,1945年11月制定のユネスコ憲章が初出。マスコミは,主に送り手である新聞社や放送局そのものを示すことが多いが,本来は受け手も含めた伝達過程全体をさす言葉である。この用語が送り手優位の傾向を帯びるのは,アメリカにおける反ファシズム・プロパガンダ研究の産物であることとも関係がある。総力戦体制下の宣伝研究では「思想戦の弾丸」「心理兵器」の効果を最大限に引き出すことが目的とされたため,適当な情報を受け手の体内に浸透させ,その意識を意のままに操ることが可能と考えられた。今日では,情報化社会の本格化により,議論の枠組みや解釈のコードを提供する,マスコミの長期的な文化的機能を重視する新たな強力効果論が提唱されている。
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【定義】
広い意味では,多数の人々に情報,意見などを伝達するマス・コミュニケーションmass communication(英語),プブリツィスティクPublizistik(ドイツ語)の全媒体をさす。英語のプレスやジャーナリズムに相当する概念である。…
…情報の移動が送り手から受け手への一方通行one‐wayの場合は,〈報告〉〈通報〉〈通信〉〈伝達〉である。〈マス・コミュニケーション〉は〈大衆伝達〉〈大衆通報〉で,〈テレ・コミュニケーション〉は〈電気通信〉である。それに対して,情報が送り手と受け手との間を往復する相互通行two‐wayの場合は,〈会話〉〈討論〉などで,その結果生まれる〈共通理解〉〈合意〉〈ふれ合い〉などもコミュニケーションの一つの形と考えられる。…
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【定義】
広い意味では,多数の人々に情報,意見などを伝達するマス・コミュニケーションmass communication(英語),プブリツィスティクPublizistik(ドイツ語)の全媒体をさす。英語のプレスやジャーナリズムに相当する概念である。…
…また人間のコミュニケーションを説明する概念の一つともなっており,例えばオズグッドC.E.OsgoodとシビオクT.A.Sebeokは,コミュニケーションとは話し手が聞き手に一方的に情報を伝達する過程ではなく,むしろ話し手の伝える情報が種々の要因によって規制され,システムとしての安定性が維持されるという観点から,話し手が自分自身の音声を聞きながら話の内容を修正していく〈個人内フィードバック〉と,聞き手の身ぶりや返答を確かめながら修正していく〈個人間フィードバック〉という概念を導入している。個人間の会話ではこれらのフィードバックが常に機能しコミュニケーション・システムを制御しているが,他方,高度な機械技術を使って不特定多数の大衆に情報を同時に伝達するマス・コミュニケーションにおいては受け手からのフィードバックが少なく,伝達が一方的になる傾向がみられる。【広井 脩】。…
…たとえば〈テレビが普及した〉という表現は,単にテレビ電波の到達範囲が広がったという意味よりも,テレビ受像機の普及を意味するだろう。なお,マス・メディアがマス・コミュニケーションとまったく同義に使われることも少なくない。マス・コミュニケーション【稲葉 三千男】。…
…用語そのものは制度化・企業化したマス・コミュニケーションの反対語として,1960年の安保闘争のなかで生まれた和製英語である。当初は,手作りで部数も少ない,体制批判的な印刷物(雑誌,新聞,ビラなど)に限定されて使われていたが,語呂の良さもあって,しだいに反体制的でないもの,発行部数の比較的多いもの,視聴覚メディア(VTR,FM,ハム)によるもの,さらに集会や会話(口伝えの〈口コミ〉)をも意味するようになった。…
※「マスコミュニケーション」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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