北シリアの地中海岸に面した、ラタキアの北約10キロメートルの地点に位置する古代の王都ウガリトUgaritの遺跡。1929年以来、フランスのC・F・A・シェッフェルらを中心として行われた発掘調査によって、五つの主要な文化層が明らかにされ、その文化は紀元前4000年以前にさかのぼる。重要な文化層は前2000年ころに始まる中期青銅器時代で、青銅の精錬と海上交易により都市国家として発達した。ウガリト人は北西セム系、政治的にはエジプト第12王朝の勢力下にあった。エジプト第18~19王朝下のフェニキアにはエジプト、ヒッタイト、ミタンニ、アッシリアなどさまざまな勢力が及んで、同地は国際関係の中心となったが、同時に前1400~前1200年はウガリトの黄金時代であった。ウガリトの歴史がもっともよく記録されている時代でもある。町は城壁で囲まれ、アクロポリスに壮大な王宮、高級神官用その他の文庫を備えた神殿、社祠(しゃし)などがつくられ、国際交易都市として商工業が発達し物資も豊かであった。やがて北方民族および海上民族の侵入、地震(前1365ころ)や飢饉(ききん)のため前1200年以後終わりを告げた。その後の鉄器時代と前6~前4世紀は小規模な居住跡しか残っていない。
ウガリトでは地理的位置から、エジプト、エーゲ、西アジア各地の文化が交流し、金、銀、青銅、象牙(ぞうげ)などのすばらしい製品がつくられたが、重要なのは粘土板文書(もんじょ)群(『ウガリト文書』)である。王宮出土のものは、楔形(くさびがた)文字で記され、当時のオリエント諸国間の政治・外交を知るうえに重要な史料である。神殿跡出土のものは、バアル神、アナト女神に関する神話や、ケレトやアクハトに関する叙事詩などを含み、楔形文字からなるアルファベットで書かれている。『ウガリト文書』は『旧約聖書』の研究および西洋文明の起源の解明に大きな指針を与えている。往時のウガリトでは、七つの異なった文字、すなわちエジプトやヒッタイトの象形文字、エーゲ音節文字、シュメール、アッカド、フルリおよびウガリトの楔形文字が使用されていた。このことは、紛れもなく文明の交差点に位置していたウガリトの国際的性格を示している。
[高橋正男]
『C・H・ゴールドン著、高橋正男訳『ウガリト文字と古代世界』(1976・日本基督教団出版局)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…シリアの地中海岸にあった古代都市名。現在はラス・シャムラRas Shamraと呼ばれる大遺跡丘をなす。その近くのミネト・エル・ベイダ(〈白い港〉の意)には墓域があった。…
…1928年の春のことである。翌年フランス人考古学者による発掘隊が編成され,試掘開始後1ヵ月余で,海岸から1kmほど山手の〈ういきょうの丘(ラス・シャムラ)〉に広がる壮大な遺跡群を掘り当てることに成功したのである。主として第I層および第II層から,神殿遺構を中心に,ブロンズ製の神像をはじめ数々の青銅器が発掘された。…
※「ラスシャムラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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