紀元前18世紀末、インド・ヨーロッパ語族が先住のフルリ人を支配して、北メソポタミア、北シリアを中心に建てた王国。トルコ領、シリア国境近くにあるテル・アチャナの発掘調査では、数多くのミタンニの遺物が出土し、その文化的影響が地中海岸まで及んでいたことがわかった。また、ヒッタイト帝国、エジプトの新王国とも密接な外交、経済関係を維持した。支配者階級はインド・ヨーロッパ語族から形成され、マリヤンヌとよばれていた。都のワシュガンニはハブル川上流地域と推測されているものの、明確な位置は不明である。言語学的には、ボアズキョイ文書、ミタンニの調教師キックリに関する文書に登場する数詞、また王名トゥシュラッタ、アルタタマ、神名ミトラ、バルナ、インドラ、支配者階級のマリヤンヌなどからみると、サンスクリット語との結び付きが強い。ミタンニの勢力は前15世紀ヌジに宮殿を建てるなど、シャウシャタルの時代に最大となった。エジプトのアメンヘテプ3世の時代には、ミタンニのシュッタルナはギルヘパを、またトゥシュラッタはタドゥヘパと、それぞれの娘をアメンヘテプ3世に入嫁させ、両国間の関係は密接ではあったが、内紛によりその勢力は衰微していった。ヒッタイトのシュピルリウマ1世は前1375年ごろ即位し、ミタンニの王位争いの内紛に乗じてアルタタマを支援、ミタンニを侵略した。トゥシュラッタは暗殺され、その後マッティワザが即位したものの、ヒッタイトの従属国となり、その力を弱めていった。
[大村幸弘]
前2千年紀後半に北メソポタミアに勢力を持った国。支配層の中核はインド・アーリヤ系の民族であったと推定されているが,住民の大半はフルリ人であった。西のアララクと東のヌジから関係する行政経済文書が発掘されている。ミタンニの首都ワシュカンニの所在はいまだ不明で,ミタンニの歴史はその終末期しか明らかにされていない。前16~前15世紀の強国間の関係は,初めシリアをめぐるミタンニとエジプトとの覇権争いが主軸であったが,台頭するヒッタイトに対抗して,エジプトとの関係を同盟へと大転換した。その効果なくヒッタイトに領土を奪われ,さらに属国であったアッシリアの離反と強大化などがあって,前13世紀半ばには滅亡したと推定されている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…当時のシリアや,そのメソポタミアとの関係については,マリ出土の文書(〈マリ文書〉)で知ることができる。前18世紀末からは,北メソポタミア,シリア,アナトリアに言語系統不明の特異な民族フルリ人が勢力を拡大し,すでに各地に移住していたインド・ヨーロッパ語系諸族とともに,ユーフラテス川中流域にミタンニ王国を建設した。彼らの強味は馬に引かせる戦車を使用したことであった。…
※「ミタンニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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