東ゲルマン諸族の一つ。グラティアヌス帝のときに全貌を現し(379年),のちユスティニアヌス帝(1世)からパンノニアの地を受け(526年),ナルセスに強力な軍隊を送って東ゴート討伐を助けた。アルボイン王(在位561~572)のときイタリアに入ってランゴバルド王国を建設(568年),ロンバルディアを中心にイタリア北部・中部を征服した。ローマ的行政を一掃した点で他のゲルマン諸国と異なり,その部族法典ロタリ王法典(643年)は名高い。602年頃アリウス派から正統派カトリックに改宗。有能なリウトプラント王(在位712~744)の治世ののちはフランクの介入を受け,アイトゥルフ王(在位749~756)は略取したラヴェンナ地方をピピン(小)に奪われ(ピピンの寄進),ついにカール大帝により王国はフランクに併合された(774年)。
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…そのためシュタムの多くは,タキトゥス時代のキウィタスに比し,実力ある特定の王または王族,特に軍指揮者を中心とした政治的・軍事的統制力の強い部族集団という性格を帯びていた。こうして4世紀に入ると,ゲルマン人の全体は,大きく分けて東ゲルマン,西ゲルマン,北ゲルマンの三つの部族群に分類されることとなるが,中でも東ゲルマン群に属する諸部族,すなわち東ゴートOstgoten(Ostrogothae),西ゴートWestgoten(Visigothae),バンダルVandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobarden等のシュタムの中へは,現在のロシア南部,東方ステップ地帯にいた種々の異民族・異人種の要素が色濃く混入したため,そこではいち早く騎馬を重視し弓矢を重視する東方独特の兵制,装備,戦術がとりいれられ,さらに古い首長制の代りに,軍王的性格をもつ新しい王権の伸張をみた。やがて民族大移動期に展開する東ゲルマン諸部族のあの活発かつ遠距離への迅速な移動の可能性は,一つにはこうした歴史的背景があったせいである。…
…その一つは,移動前,ゲルマニアの東部にいた東ゲルマン諸族,次はその西部にいた西ゲルマン諸族,そしていま一つは北方スカンジナビア半島やユトランド半島にいた北ゲルマン諸族である。東ゲルマンに属する部族としては,東ゴート,西ゴート,バンダルWandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobardenなどが数えられ,西ゲルマンでは,フランクFranken,ザクセンSachsen,フリーゼンFriesen,アラマンAlamannen,バイエルンBayern,チューリンガーThüringerなどが,また北ゲルマンでは,デーンDänen,スウェーデンSchweden(スベアSvear),ノルウェーNorwegerなどが挙げられる。このうち北ゲルマン諸族は,前2者よりやや遅れ,8世紀から11世紀にかけ,ノルマン人の名でイングランド,アイルランド,ノルマンディー,アイスランドならびに東方遠くキエフ・ロシアにまで移動し,それぞれの地に建国したため,通常これを第2の民族移動と称する。…
※「ランゴバルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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