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ルーミー Rūmī, Jalālu'd-Dīn Muḥammad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルーミー
Rūmī, Jalālu'd-Dīn Muḥammad

[生]1207.9.30. バルフ
[没]1273.12.17. コンヤ
ペルシアの詩人。ペルシア四大詩人の一人で,神秘主義詩の最高詩人。本名は Maulānā,ルーミーは雅号で,定住地小アジア (ルーム) に由来する。著名な神学者の子に生れ,1219年頃モンゴルの来襲を恐れて家族とともにバルフを去って西アジア各地を遍歴したのち,コンヤに定住。一流の学者として多数の弟子を指導したが,44年放浪の老托鉢僧シャムス・ウッディーンに会って人生が一変した。これ以降作詩を始めるとともに,神秘主義教団を創設し最高の神秘主義指導者と仰がれるにいたった。代表作品は神秘主義最高の詩集『精神的マスナビー』 Mathnavī-ye ma`navī (6巻,約3万句) 。ほかに神秘主義抒情詩集『シャムセ・タブリーズ詩集』 Dīwān-e Shams-e Tabīz,『四行詩集』,散文作品『宗教講話集』 Fī-hi mā fī-hi,『書簡集』などがある。

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百科事典マイペディアの解説

ルーミー

イランの神秘主義詩人,メウレウィー教団の創始者。高名な神学者を父にバルフに生まれたが,生涯の大半を過ごしたトルコ(ルーム)にちなんでルーミーと号した。父の死後,その弟子に師事して神秘主義を修めたが,流浪の老托鉢シャムス・アッディーン・タブリージーに出会って詩作を開始。1260年ころから死の直前までに作詩された《精神的マスナビー》6巻,2万5000句は〈ペルシア語のコーラン〉ともいわれ,寓話や歴史,伝説のなかに神秘主義の教説のエッセンスが盛り込まれている。ほかに抒情詩集《シャムセ・タブリーズ詩集》,散文に《フィーヒ・マー・フィーヒ》(ルーミー語録)などがある。
→関連項目イスラム神秘主義シマノフスキニコルソン

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世界大百科事典 第2版の解説

ルーミー【Rūmī】

1207‐73
イランの神秘主義詩人。神学者バハー・アッディーン・ワラドの子としてバルフに生まれ,1219年ころ家族とともに郷里を去り西方へ流浪の旅に出て,10年後にトルコ(ルーム)のコニヤに定住,ルームにちなんでルーミーと号した。父亡き後,その高弟の指導で神秘主義を修行し,シリアに留学して当代一流の学者となった。44年,放浪の老托鉢僧シャムス・アッディーン・タブリージーShams al‐Dīn Tabrīzī(?‐1247ころ)との出会いで,彼の運命・人生は一変した。

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大辞林 第三版の解説

ルーミー【Rūmī】

1207~1273) イランの神秘主義者。旋舞で知られるメウレウィー教団を創始。ペルシャ語のコーランと評される長詩「精神的マスナビー」や「語録」を残す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルーミー
るーみー
Jll al-Dn Muammad Rm
(1207―1273)

ペルシアの詩人、神秘主義者。生涯の大半を小アジア(ルーム)で過ごしたのでルーミーと号した。ホラサーン地方のバルフで学者の家に生まれる。1219年ごろ家族とともに流浪の旅に出立し、10年後トルコのコニヤ(コンヤ)に達し、死ぬまで同地にとどまった。父から諸学を修め、父の死後その弟子から神秘主義を学ぶ。1244年、放浪の老托鉢(たくはつ)僧シャムス・ウッディーンShams al-Din Mohammad(1185―1248)との運命的な出会いがあり、老師との交流によって詩的霊感を授けられ、作詩を始めた。1244年から1261年までを彼の叙情詩時代とよぶ。この時期、彼の前から消え去った老師をしのび、熱情的な神秘主義叙情詩を作詩したが、約3万6000句に達するこれらの詩は、『シャムセ・タブリーズ詩集』と命名された。
 彼が神秘主義の最高詩人と評されるのは、不朽の名作『精神的マスナビー』という神秘主義叙事詩による。「ペルシア語のコーラン」ともよばれるこの大作は、1261年から没するまでに作詩され、全6巻約2万6000句からなる。神秘主義の本質、教理、教訓が比喩(ひゆ)、寓話(ぐうわ)、逸話、物語などの形式で詩に詠まれている。醒(さ)めた意識と神秘主義的陶酔を交えるこの作品は、体系的神秘主義思想の記述とはいえないが、「神秘主義の聖典、百科全書」とも評価される。二大作品のほか『ルーミー四行詩集』も現存する。神秘主義教団「メフレビー教団」(踊るデルウィーシュ)の開祖としても名高い彼は、散文作品としては『ルーミー語録』『書簡集』『七つの説教』を執筆した。息子スルタン・ワラドも偉大な神秘主義者、詩人で、一門の壮麗な廟(びょう)はコニヤにあり、現在まで聖地となっている。[黒柳恒男]
『井筒俊彦訳『ルーミー語録』(1978・岩波書店) ▽黒柳恒男著『ペルシアの詩人たち』(1980・東京新聞出版局)』

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世界大百科事典内のルーミーの言及

【コニヤ】より

…11世紀末以後,ルーム・セルジューク朝の首都となり,12~13世紀前半には,イスラム世界と西方キリスト教世界との交易の拠点として繁栄し,宮殿,モスク,マドラサなどの初期のトルコ・イスラム建築に彩られた。1229年ころ,神秘主義思想家ルーミーがこの地にメウレウィー教団を創設し,教団本部にあるルーミー廟は,多くの巡礼者を集め,彼の命日(12月17日)には記念行事が行われる。13世紀中葉に一時期モンゴル軍の侵入を受け,14世紀以後トルコ系カラマン侯国の支配期をへて,1467年にオスマン帝国に編入された。…

【サナーイー】より

…イランの詩人。アッタール,ルーミーとともにペルシア語で著述した三大スーフィー詩人の一人に数えられる。ガズナ朝の宮廷詩人としてなりわいを立てていたが,悔悟するところあってメルブに隠棲し,アブー・ヤークーブ・ユースフについて宗教的生活に入った。…

【ペルシア文学】より

…同世紀半ばから14世紀前半に至るモンゴル系イル・ハーン国時代には,同朝の政策により宮廷詩人は活躍の場を失って頌詩は著しく後退し,それに代わって世の不安・無常が痛感されるにつれて現世逃避,安心立命への願望が高まり,時代を反映して神秘主義詩がますます盛んになり,さらにこの時代に,それまで主として宮廷貴族文学であったペルシア詩は性格を大きく変え,都市庶民文学がしだいに台頭したが,その大きな表れが抒情詩の隆盛であった。13世紀を代表する二大詩人はルーミーサーディーである。神秘主義最高の詩人ルーミーの代表詩集《精神的マスナビー》は〈ペルシア語のコーラン〉とも評され,熱情的な神秘主義の抒情詩集も高く評価されている。…

※「ルーミー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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