ニコルソン(英語表記)Marjorie Hope Nicolson

デジタル大辞泉 「ニコルソン」の意味・読み・例文・類語

ニコルソン(Ben Nicholson)

[1894~1982]英国の画家。モンドリアンの影響を受け、幾何学的構成の作品を発表。清朗な叙情性を特色とする。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ニコルソン」の意味・わかりやすい解説

ニコルソン
Marjorie Hope Nicolson
生没年:1894-1981

アメリカの文化史家。スミス・カレッジコロンビアなど多くの大学の教授を歴任し,教育者としても高名である。プリンストン高等研究所所員でもあった。ラブジョイの〈観念史クラブHistory of Ideas Club〉が提唱した脱領域的文化研究に早くから参加し,同クラブの有名な紀要の編集を行い,《観念史事典》全5巻(1968-74)の主要寄稿者となった。また象徴図像学やイメージ研究の牙城ワールブルク研究所ウォーバーグ研究所)の活動にもたずさわった。17~19世紀にかけての英文学と同時代思想,ことに科学との連係を,おもに光学と美学を基軸として綿密に追跡し,とくに望遠鏡が文学的想像力に与えた影響に関する論文《ミルトンと望遠鏡》(1935)で一躍注目を集めた。主著には,ニュートン光学と18世紀詩とのつながりを説いた《ニュートンが詩神を召喚する》(1946),西洋の月世界旅行文学をテーマとした《月世界旅行》(1948),円環イメージの意味的変容を手がかりに17世紀新天文学が詩に与えた影響を追った《円環の破砕》(1950),上記論文やスウィフト《ガリバー旅行記》の科学史的背景を論じた著作を含む論集《科学と想像力》(1956),山のイメージの変容を手がかりに,18世紀の空間感覚の拡大が詩に及ぼした影響を描いた《暗い山と栄光の山》(1959)などがある。彼女の研究目標は,〈宇宙旅行〉とか〈崇高美〉といった〈枢軸観念〉の成熟と時代の要請を関連づけることにあり,たとえば幻想的宇宙旅行譚が大流行した17世紀中葉が,三十年戦争やピューリタン革命に象徴される過酷な時代であった事実から,これらの宇宙旅行譚を現実忌避のユートピア文学の一変奏とする視点などにその本領がうかがえる。
執筆者:


ニコルソン
Ben Nicholson
生没年:1894-1982

イギリスの代表的抽象画家。バッキンガムシャーのデナムDenham生れ。父ウィリアムWilliam N.(1872-1949)も著名な画家。1911年ロンドンのスレード美術学校中退後,トゥール,ミラノ,パサデナで学び,パリでピカソ,ブラックのキュビスム作品に決定的影響をうける。またモンドリアンの造形思想にも共鳴し,33年円と方形だけのレリーフを制作,同年パリの〈抽象・創造(アプストラクシヨン・クレアシヨン)〉グループ展に参加。37年ロンドンでロシア出身のガボ,ペブスナーらと構成主義誌《サークル》を創刊。つねに自然対象から出発して幾何学的単純化に達するが,淡色の甘美な抒情ときびしい抑制にイギリス的な特色が保たれている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニコルソン」の意味・わかりやすい解説

ニコルソン(Ben Nicholson)
にこるそん
Ben Nicholson
(1894―1982)

イギリスの画家。画家ウィリアム・ニコルソンの息子としてバッキンガムシャーのデナムに生まれる。一時スレード美術学校に通ったものの長続きせず、絵はほとんど独学で修得した。その後、ヨーロッパやアメリカで絵を学ぶうちに、セザンヌやキュビスムに感化されて抽象的傾向の強い静物画や風景画を描いた。1931年彫刻家のバーバラ・ヘップワースと出会い(のちに結婚し1951年離婚)、翌年ともにパリのブラックやアルプを訪れ、ミロやコルダーの明るい色彩や自由な形態から強い影響を受けた。また、33年のモンドリアンとの出会いは彼を冷たい幾何学的な構成へと向かわせ、同年初めて円と方形だけのレリーフ作品を制作した。33~35年にはパリの「抽象=創造(アプストラクシオン・クレアシオン)」の展覧会に出品している。しかし、生来の落ち着いた色調と抑制の効いた構成に対する趣味は、作品に豊かな叙情性を生み、彼をモンドリアンのような極端に走らせることを妨げた。37年にはナウム・ガボらとともに構成主義のマニフェストというべき『サークル』誌を発刊した。ロンドンに没。

[谷田博行]


ニコルソン(William Nicholson)
にこるそん
William Nicholson
(1753―1815)

イギリスの化学者、発明家。東インド会社に勤めたのち、ロンドンで数学学校の経営や特許代理業などを職業とした。反フロギストン説にたつフランスのフルクロアAntoine François de Fourcroy(1755―1809)らの新しい化学書を精力的に翻訳し、また「ニコルソンズ・ジャーナル」として知られる科学雑誌Journal of Natural Philosophy, Chemistry and the Artsを発行した(1797~1813)。1800年5月、ボルタ電堆(でんたい)の発明が伝えられるとただちにカーライルAnthony Carlisle(1768―1840)とともに初めて水の電気分解を行い、水素と酸素を捕集した。ニコルソンの浮き秤(ばかり)(1787)、ローラー印刷機(1790)などを発明した。

[内田正夫]


ニコルソン(Seth Barnes Nicholson)
にこるそん
Seth Barnes Nicholson
(1891―1963)

アメリカの天文学者。木星の衛星4個の発見者。イリノイ州生まれ、父は地質学教師。1908年ドレーク大学のモーアハウスDaniel W. Morehouse(1876―1941)のもとで天文学を学んでいるとき彗星(すいせい)を発見。1914年リック天文台で木星の第9衛星を写真観測により発見し、その軌道計算を果たしてカリフォルニア大学から学位を取得。翌年ウィルソン山天文台に移り、1957年まで観測に従事。1938年に第10・第11衛星、1951年に第12衛星を発見した。このほか100インチ鏡に熱電対(でんつい)を取り付け、月、惑星、変光星などの表面温度を精密に測定した。1930年には冥王(めいおう)星の軌道、質量を決定。1963年、太平洋天文学会より金賞を受けた。

[島村福太郎]


ニコルソン(Jack Nicholson)
にこるそん
Jack Nicholson
(1937― )

映画俳優。ニュー・ジャージー州生まれ。17歳のときカリフォルニアに移る。映画会社MGMで雑務に従事、俳優ジェフ・コーリーのもとで演技を勉強する。1968年に映画初出演。その後、ロジャー・コーマン監督のもとで約10年間、B級映画の俳優としてだけでなく、製作や脚本の仕事にも携わる。1969年『イージー・ライダー』の酔いどれ弁護士役でアカデミー助演男優賞の候補にあげられ、一躍注目を浴びる。以後、『ファイブ・イージー・ピーセス』(1970)、『愛の狩人』(1971)、『チャイナタウン』(1974)、『シャイニング』(1980)などで反体制的な役柄を演じ、『カッコーの巣の上で』(1976)でアカデミー主演男優賞を受賞した。1983年『愛と追憶の日々』でアカデミー助演男優賞受賞、さらに1997年の『恋愛小説家』で二度目のアカデミー主演男優賞を受賞、カリスマ性の強い個性と演技に円熟味が加わってきた。

[品田雄吉]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニコルソン」の意味・わかりやすい解説

ニコルソン
Nicholson, Jack

[生]1937.4.22. ニュージャージー,ネプチューン
アメリカ合衆国の映画俳優。本名 John Joseph Nicholson。社会からつまはじきにされた破天荒なアウトサイダーを演じることに定評がある。父親に見捨てられ,祖母を母,母を姉と信じて育った。高校卒業後はメトロ=ゴールドウィンメイヤー MGMのアニメーション部門で事務職として働き,1957~58年に舞台やテレビに端役として出演。その頃 B級映画の名匠ロジャー・コーマンにより "The Cry Baby Killer"(1958)の主役に抜擢された。『イージー・ライダー』Easy Rider(1969)でアルコール依存症の弁護士を好演し,アカデミー賞にノミネート。さらに『ファイブ・イージー・ピーセス』Five Easy Pieces(1970)では主演を務めてオスカー候補となり,スターの地位を確立した。『さらば冬のかもめ』The Last Detail(1973),『チャイナタウン』Chinatown(1974)でのノミネートを経て,『カッコーの巣の上で』One Flew over the Cuckoo's Nest(1975)でついにアカデミー賞主演男優賞に輝いた。『愛と追憶の日々』Terms of Endearment(1983)ではアカデミー賞助演男優賞を受賞。『ア・フュー・グッドメン』A Few Good Men(1992)で 10回目のアカデミー賞候補となり,男優として史上最多ノミネートを記録。その記録を 11回に塗り替えた『恋愛小説家』As Good As It Gets(1997)で再びアカデミー賞主演男優賞を受賞した。

ニコルソン
Nicholson, William

[生]1753. ロンドン
[没]1815.5.21. ロンドン
イギリスの化学者,水の電気分解の発明者。東インド会社に入り (1769) ,インドに行き,帰国後 (76) ,アムステルダムの陶器会社に勤務。その後ロンドンに戻り,数学学校の教師,特許局局員などを経る。 1783年コーヒー・ハウス協会に入会,書記として活躍するとともに,フランスの著名な化学書の翻訳に努めた。 90年液体比重計を発明,1800年イタリアの A.ボルタの蓄電池の発明を聞いて自分でもそれを製作。次いで電池から取出した鉛片を水中に入れると水素と酸素に分解することを発見,初めて電気による化学反応を起させた。 1797年定期科学雑誌『自然哲学,化学および技術の雑誌』 Journal of Natural Philosophy,Chemistry and the Artsを創刊。主著『自然科学入門』 Introduction to Natural Philosophy (81) 。

ニコルソン
Nicholson, Ben

[生]1894.4.10. バッキンガムシャー,デナム
[没]1982.2.6. ロンドン
イギリスの抽象画家。ビクトリア朝風の木版画で知られる画家 W.ニコルソン卿の子。ロンドンのスレード美術学校に学んだのち,フランスのツール,イタリアのミラノ,アメリカのパサディナで学ぶ。 1918年に渦巻派,20年にキュビスム,のちにはモンドリアンの新造形主義に影響を受ける。 24年頃から抽象画を描き,30年には繊細なデッサンと白と灰色の微妙な効果を用いて幾何学的なフォルムを薄浮彫にする独自の画風を創造。「ユニット・ワン」などのグループに参加し,イギリスの抽象絵画の発展に指導的な役割を果した。 33~34年パリの「アブストラクシオン・クレアシオン」のグループに参加。

ニコルソン
Nicolson, Sir Harold George

[生]1886.11.21. テヘラン
[没]1968.5.1. ケント
イギリスの批評家。外交官,ジャーナリスト,下院議員として活動するかたわら,『テニソン』 Tennyson (1923) ,『スウィンバーン』 Swinburne (26) などの文学評論,『ジョージ5世伝』 King George V: His Life and Reign (52) などの伝記を書く。『日記と手紙』 Diaries and Letters,1930-62 (3巻,66~68) は第2次世界大戦を背景に政治や外交の興味深い消息を伝えるもの。

ニコルソン
Nicolson, Arthur, 1st Baron of Carnock

[生]1849.9.19. ロンドン
[没]1928.11.5. ロンドン
イギリスの外交官。マドリード (1904~06) ,ペテルブルグ (06~10) に大使として駐在。その間 1906年アルヘシラス会議に活躍。 07年イギリス,フランス,ロシアの三国協商を成立させた。

ニコルソン
Nicholson, Norman

[生]1914.1.8. カンバーランド,ミロム
[没]1987.5.30
イギリスの詩人,劇作家。ハイネマン賞受賞の『五つの河』 Five Rivers (1944) ほか数巻の詩集と『山の老人』 The Old Man of the Mountains (1946) などの詩劇で知られる。また評論や地誌もある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ニコルソン」の意味・わかりやすい解説

ニコルソン

米国の俳優。ニュージャージー州生れ。《お茶と同情》(1956年)でデビュー。1960年代にはR.コーマン監督《リトル・ショップ・オブ・ホラーズ》(1960年)に出演するほか,同監督のもとで製作や脚本にも携わる。D.ホッパー監督の《イージー・ライダー》(1969年)でのアルコール中毒の弁護士役で注目され,《ファイブ・イージー・ピーセス》(1970年),《さらば冬のかもめ》(1973年)などの〈アメリカン・ニュー・シネマ〉で強烈な存在感を見せた。またR.ポランスキー監督《チャイナタウン》(1974年)では私立探偵,S.キューブリック監督《シャイニング》(1980年)では偏執狂の作家を,それぞれ好演。アクの強い個性が売物で,他の出演作にT.バートン監督《バットマン》(1989年)などがある。精神病院を舞台としたM.フォアマン監督の《カッコーの巣の上で》(1975年)でアカデミー主演男優賞受賞。《黄昏のチャイナタウン》(1990年)では監督を務めた。

ニコルソン

英国の代表的抽象画家。バッキンガムシャー生れ。キュビスムの影響を受けた後,モンドリアンと交友して幾何学的抽象に向かい,円と方形を主にし,木材の地を生かした薄浮彫を創始。油絵は簡潔なフォルムと渋い色彩,美しいマチエールに特色がある。夫人は彫刻家のB.ヘップワース

ニコルソン

英国の東洋学者。ヨークシャー出身。アバディーン,ケンブリッジに学び,1902年ケンブリッジ大学ペルシア語講師,1926年以降同大学アラビア語教授。イスラム神秘主義研究の大家で,ルーミー《精神的マスナビー》の校訂・翻訳,《イスラム神秘主義におけるペルソナの理念》《イスラムの神秘家たち》などの著作は,今日でも古典的価値を有する。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

367日誕生日大事典 「ニコルソン」の解説

ニコルソン

生年月日:1850年11月9日
イギリスの経済学者
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のニコルソンの言及

【イギリス美術】より

…33年,批評家H.リードを世話役として結成された〈ユニット・ワンUnit One〉も特定の流派というより自由な創造を促し,作品発表の場を提供しようというもので(メンバーの中には彫刻家もいた),概して当時の大陸の状況を反映して構成主義的あるいはシュルレアリスム的傾向が強い。なかでもベン・ニコルソンはモンドリアンとキュビスムの影響下に独自の抽象様式を創造した。パスモアVictor Pasmore(1908‐ )とスコットWilliam Scott(1913‐89)は第2次大戦後,それまでの具象を捨てて抽象に向かい,ニコルソン,ボンバーグDavid Bomberg(1890‐1957)と共に戦後のイギリスの抽象絵画を代表した。…

※「ニコルソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android