翻訳|revue
踊り、歌、寸劇などで構成された舞台芸能。「ふたたび見る」という語源をもつフランス語のルビュー(調査、検討、評論)に由来し、元来は歳末に1年間のできごとを再現して見せる時事風刺劇を意味したが、時代や国によって解釈や趣向が異なり、ショー、バラエティ、ボードビル、ミュージカルなどと厳密な区別ができないことが多い。
フランスでは、中世における卑俗な笑劇(ファルス)を源流とした風刺的な見せ物が19世紀初頭に一つの形態をつくり、各地のキャバレーなどで上演され、さらにパリのポルト・サン・マルタン劇場を拠点に発展、その後カジノ・ド・パリ、フォリー・ベルジェールといった大きなミュージック・ホールに取り入れられた。1900年の第5回パリ万国博覧会を機に国際色も加え、また群舞による踊り子の性的魅力を売り物にした演出法が盛んになり、絢爛(けんらん)たるグランド・レビューの流行期を迎えた。そしてモーリス・シュバリエ、ジョセフィン・ベーカーなどのスターが輩出したが、映画の進出などに押されて30年代を境にしだいに衰退、キャバレーやクラブなどで小規模に上演されることが多くなった。
イギリスでは、17世紀の酒場での風刺的な歌や演芸に始まるとされているが、1890年代にはコスチューム・ディスプレーと当時の話題を折り込んだ見せ物がコート・シアターで盛んに上演される一方、20世紀にかけてのミュージック・ホールの隆盛とともに、踊り、歌、寸劇などを組み合わせた形式が確立した。1920年代にはA・シャルロ、C・コクランといったプロデューサー、劇作家N・カワードらの活躍により隆盛の極みに達し、注目すべき作品も数多く見受けられたが、その後の発展はなく、低調化したままである。
アメリカでは、18世紀にイギリスから移入されたバラエティを母体に、華やかさを売り物とした芸能として発展、スペクタクル効果を誇るに至った。すなわち、1894年にニューヨークで初演された「パッシング・ショー」、またそれに啓発されたF・ジーグフェルドが1907年から24年間にわたって製作上演した「ジーグフェルド・フォリーズ」の成功によってアメリカン・スタイルのレビューが確立した。そしてG・ガーシュイン、I・バーリンらの作曲家の活動と相まって20年代に黄金期を迎えた。32年にはニューヨークに世界最大の劇場ラジオ・シティ・ミュージック・ホールが開場したが、ここで映画のアトラクションとして上演されるロケット・ガールズの統制美あふれるダンシング・ショーは長年にわたって当地の名物となった。しかし第二次世界大戦後は、ミュージカルなどに押されてレビューはしだいに衰退していった。ラジオ・シティ・ミュージック・ホールは保存運動に助けられて舞台公演が細々と続けられている現状である。
日本では、1913年(大正2)に「宝塚唱歌隊」の名称で発足した宝塚少女歌劇団、また22年に創設された大阪松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇団)がその濫觴(らんしょう)である。これらは「歌劇」とは称しても実際は踊りや通俗的な歌を主体にしたレビューであり、しかも本来のそれと違って風刺性に欠けている。27年(昭和2)に宝塚で上演された『モン・パリ』は画期的な作品で、「レビュー」ということばがこのとき初めて使われた。またこれら少女歌劇とは別に、東京の日本劇場で育成されたNDT(日劇ダンシング・チーム)、帝国劇場を本拠にした松竹楽劇団などが昭和初期におけるレビューの発展に貢献した。一方、29年浅草に旗揚げされた「カジノ・フオーリー」をはじめとして、レビュー方式を取り入れたモダンでスピーディーな喜劇が東京を中心に流行、新宿「ムーラン・ルージュ」、浅草「笑(わらい)の王国」などへ継承され、いわゆる軽演劇の隆盛をみた。
第二次大戦中は宝塚、松竹、NDTとも当局の圧力により厳しい規制を受けたが戦後復活、ともに欧米をしのぐ豪華絢爛さと多彩さを誇っていた。しかし、1960年代から70年代にかけてミュージカルなど他の芸能に押されてしだいに凋落(ちょうらく)、81年(昭和56)に日本劇場が改装されたのを機にNDTは解散、松竹歌劇団も82年に浅草・国際劇場の取り壊しとともに本拠を失い、規模を縮小して各地を巡演するに至り、現在宝塚歌劇団のみがわずかに往年の面目を保っているにすぎない。
[向井爽也]
歌,踊り,コントなどを並べた劇場用の芸能。構造上はイギリスのミュージック・ホールで演じられた芸能やボードビルなどに似ているが,個々の出演者の芸だけでなく作者や演出者の才能にも依存し,また出演者が普通は何回も登場すること,おおむね一貫した視点をもつことが違う。語源的には〈再見〉を意味するフランス語がジャンルの名となったもので,1820年代のパリで年末にその年のできごとを風刺的に回顧するために演じられた出し物を起源とする。その後,上演時期に関係なく,おおむね風刺的な内容の短い場面をつないだ芸能を指すようになり,とくにフランス,イギリスとアメリカで栄えた。フランスでは19世紀末にキャバレー,サーカス,カフェでの流行から,さらに大きな専用のミュージック・ホールで上演されるようになって,舞台装置や演出もスペクタクル性を高めた。20世紀に入ると,踊り子による群舞のエロティシズムやM.シュバリエ,J.ベーカーらの歌手も人気を博して全盛期を迎えた。イギリスのレビューは1893年の《時計の下で》に始まり,1920年代から30年代にかけて,興行師シャルロ André Charlot(1882-1956)が製作したスペクタクル性の強いものと,興行師コクラン Charles Blake Cochran(1873-1951)が製作した風刺的で機知に富むものとを代表とする。両方を通じて,劇作家N.P.カワードが作者,出演者として活躍した。アメリカでは1907年から二十数年にわたって興行師F.ジーグフェルドが製作した,美女のコーラスを呼びものとしたスペクタクル的なものが有名である。その後,60年にイギリスで4人の若い知識人が自作自演で発表し,知的で反体制的な味わいによって話題となった《周辺を越えて》のようなものも現れたが,イギリス,アメリカのどちらにおいてもレビューはもはや過去の芸能である。ただし,アメリカの近年のミュージカルには,一貫した物語を欠き,事実上レビューに戻っているものもある。日本では第2次大戦前の浅草のカジノフォーリーや有楽町の日本劇場で日劇ダンシング・チームによるレビューが上演されたが,現在は宝塚歌劇団と松竹歌劇団(少女歌劇)の出し物の一部がレビューと呼ばれるほかには,めぼしいものはない。しかし,少女歌劇はスペクタクル性に重点をおく傾向があるため,知的風刺性は乏しい。
→ミュージカル
執筆者:喜志 哲雄
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…他方,イギリスではミュージック・ホール,アメリカではミンストレル・ショー,バーレスク,ボードビルなどの大衆芸能にも依存して発達したが,これらの芸能が個々の出演者の芸や個々の場面によって観客に訴えたのに対して,ミュージカルは作品全体の魅力をも重視し,一貫した物語をもつ。この違いは,初期のミュージカルと並行して発展した芸能であるレビューと比べたときにも認められる。すなわち,レビューは個々の場面の配列にくふうをこらし,全体を統一する視点や主題をもつことはあっても,一貫した物語をもつことはない。…
※「レビュー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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