ジーグフェルド(その他表記)Florenz Ziegfeld

改訂新版 世界大百科事典 「ジーグフェルド」の意味・わかりやすい解説

ジーグフェルド
Florenz Ziegfeld
生没年:1867-1932

アメリカ興行師風刺を中心とするフランス風レビューに対して,スペクタクル性を重視するアメリカ風のレビューを確立したことで知られる。代表作は1907年から24年間毎年上演された《ジーグフェルド・フォリーズ》で,いずれもそのときの世相を扱った寸劇や歌,踊りを羅列しており,スペクタクル的効果で人気を博した。最大の呼びものは美女コーラスで,I.ダンやP.ゴダードのように,ここから出て後年スターになった人が多い。《ショー・ボート》(1927)など,ミュージカル制作も手がけた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジーグフェルド」の意味・わかりやすい解説

ジーグフェルド
じーぐふぇるど
Florenz Ziegfeld
(1869―1932)

アメリカ・ミュージカル界のプロデューサー。クラシック音楽家のドイツ人を父にシカゴに生まれる。1893年のシカゴ世界博覧会の見せ物で成功、ヨーロッパ旅行後、96年から劇場経営に乗り出す。1907年にはブロードウェー進出、ジーグフェルド・ガールズとよばれる美女群を豪華な大階段に配したスペクタクル・レビュー『ジーグフェルド・フォリーズ』を11年から始め、これは20年以上にわたってニューヨーク名物レビューの一つとなった。ミュージカル作品では『ショー・ボート』『リオ・リタ』(ともに1927)などの初演を手がけたが、29年の株式大暴落で破産、ハリウッドに没。36年に彼の舞台の再現を取り入れた伝記映画『巨星ジーグフェルド』が製作された。

[寺崎裕則]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジーグフェルド」の意味・わかりやすい解説

ジーグフェルド
Ziegfeld, Florenz

[生]1869.3.21. シカゴ
[没]1932.7.22. ハリウッド
アメリカの興行師。 1907年から 24年間,「ジーグフェルド・フォーリーズ」 Ziegfeld Folliesのタイトルで毎年新しいレビューを制作。豪華な舞台装置と美女の群舞,コミカルな寸劇や歌などから成るもので,ニューヨークの名物となった。 26年ジーグフェルド劇場を開設,『ショー・ボート』 (1927) などのミュージカルを上演。劇場は 67年に取りこわされた。

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世界大百科事典(旧版)内のジーグフェルドの言及

【ブルックス】より

…カンザス州生れ。15歳のときからニューヨークで踊りを学び,〈レビュー王〉といわれた,ブロードウェーの大プロデューサー,フローレンツ・ジーグフェルド(1867‐1932)に認められて彼のショー〈ジーグフェルド・フォリーズ〉の踊子となる。ハーバート・ブレノン監督《或る乞食の話》(1925)の端役で映画デビュー,〈ボブ・ヘア〉スタイルを売りものに〈フラッパー〉と呼ばれた当時のモダン・ガールを型どおりに演じつづけたのち(《百貨店》1926,《夜会服》1927,等々),ハワード・ホークス監督《港々に女あり》(1928),ウィリアム・A.ウェルマン監督《人生の乞食》(1928)で才能ある女優として認められる。…

【レビュー】より

…両方を通じて,劇作家N.P.カワードが作者,出演者として活躍した。アメリカでは1907年から二十数年にわたって興行師F.ジーグフェルドが製作した,美女のコーラスを呼びものとしたスペクタクル的なものが有名である。その後,60年にイギリスで4人の若い知識人が自作自演で発表し,知的で反体制的な味わいによって話題となった《周辺を越えて》のようなものも現れたが,イギリス,アメリカのどちらにおいてもレビューはもはや過去の芸能である。…

※「ジーグフェルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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