改訂新版 世界大百科事典 「ジーグフェルド」の意味・わかりやすい解説
ジーグフェルド
Florenz Ziegfeld
生没年:1867-1932
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アメリカ・ミュージカル界のプロデューサー。クラシック音楽家のドイツ人を父にシカゴに生まれる。1893年のシカゴ世界博覧会の見せ物で成功、ヨーロッパ旅行後、96年から劇場経営に乗り出す。1907年にはブロードウェーに進出、ジーグフェルド・ガールズとよばれる美女群を豪華な大階段に配したスペクタクル・レビュー『ジーグフェルド・フォリーズ』を11年から始め、これは20年以上にわたってニューヨークの名物レビューの一つとなった。ミュージカル作品では『ショー・ボート』『リオ・リタ』(ともに1927)などの初演を手がけたが、29年の株式大暴落で破産、ハリウッドに没。36年に彼の舞台の再現を取り入れた伝記映画『巨星ジーグフェルド』が製作された。
[寺崎裕則]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…カンザス州生れ。15歳のときからニューヨークで踊りを学び,〈レビュー王〉といわれた,ブロードウェーの大プロデューサー,フローレンツ・ジーグフェルド(1867‐1932)に認められて彼のショー〈ジーグフェルド・フォリーズ〉の踊子となる。ハーバート・ブレノン監督《或る乞食の話》(1925)の端役で映画デビュー,〈ボブ・ヘア〉スタイルを売りものに〈フラッパー〉と呼ばれた当時のモダン・ガールを型どおりに演じつづけたのち(《百貨店》1926,《夜会服》1927,等々),ハワード・ホークス監督《港々に女あり》(1928),ウィリアム・A.ウェルマン監督《人生の乞食》(1928)で才能ある女優として認められる。…
…両方を通じて,劇作家N.P.カワードが作者,出演者として活躍した。アメリカでは1907年から二十数年にわたって興行師F.ジーグフェルドが製作した,美女のコーラスを呼びものとしたスペクタクル的なものが有名である。その後,60年にイギリスで4人の若い知識人が自作自演で発表し,知的で反体制的な味わいによって話題となった《周辺を越えて》のようなものも現れたが,イギリス,アメリカのどちらにおいてもレビューはもはや過去の芸能である。…
※「ジーグフェルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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