翻訳|eroticism
語源はギリシア神話の愛神エロスで,性的なイメージを意識的あるいは無意識的に喚起することをさす。性行為は,それ自体では別にエロティックではない。これを頭のなかで空想したり,イメージによって暗示したりするからこそエロティックなのである。《20世紀ラルース辞典》にはエロティシズムを〈病的な愛〉と定義してあるが,いかにも時代おくれで不正確である。エロティシズムの病的な性格は,そのいくつかの形態のうちの一つにすぎないし,愛はエロティシズムとは純粋に偶発的な関係しか有しないからだ。愛が性の感情的側面であるとすれば,エロティシズムは性の感覚的側面といえるかもしれない。G.バタイユによれば,〈エロティシズムと単なる性的活動とを区別するところのものは,生殖や子供への配慮につながる自然の目的とは独立した,一つの心理学的な探求〉である。人間はそれぞれ,個体として相互に非連続の存在であるが,ただ死においてのみ,いっさいの個別性が消滅し,大きな連続性のなかに解き放たれる。わたくしたちは失われた連続性へのノスタルジーをもっており,エロティックな行為の絶頂において,わずかに死による連続性の等価物を手に入れる。しかも,エロティシズムの領域は本質的に暴力の領域であって,エロティックな快楽は,まさに禁制侵犯の関数なのである。まず禁制があり,次にそれを犯すという意識がなければ,そもそも人間のエロティシズムは成立しようがないのだ。以上がバタイユの独特なエロティシズム論の骨子であるが,彼はさらに性行為の暴力的な性格を説明するために,これを古代密儀宗教の供犠と比較している。〈エロティシズムとは,死にまで至る生の称揚である〉というバタイユの有名な定義も,このような最終到達点としての死の連続性という観念なしには理解すべくもないであろう。
一般にエロティシズムは,まず第1に文学や美術として表現されるが,それ以外の文化的伝統,すなわち神話,宗教,習俗などの中にも深く根を下ろしている。ギリシア神話のオイディプス伝説は,フロイトによってエディプス・コンプレクスを説明するものとして利用された。聖書のアダムとイブの物語も,文化や労働の発生の根源に男女間のエロティシズムが横たわっていることを示していよう。痛飲乱舞と狂乱と,最後には血みどろな殺戮(さつりく)にいたるディオニュソス祭儀の世界は,あのバタイユのエロティシズム理論そのままであろう。ポンペイの壁画やコナーラク寺院の彫刻を見ると,古代においては,エロティシズムはまず本能の昇華だったということが理解される。中世になると,キリスト教によって本能の昇華が阻害され,裸体の表現がきびしく禁じられるから,ある点でエロティシズムはますます妄執的になり,悪魔崇拝や魔女迫害の強迫観念を生んだ。ルネサンスは人間の裸体を復興したが,エロティシズムという見地から絵画や彫刻作品を眺めるとき,その強烈さで頂点に立つのはマニエリスムであろう。風刺作家アレティーノと組んで,16枚の性交態位図を描いた画家ジュリオ・ロマーノも,16世紀マニエリストのひとりであった。西欧のエロティシズムの歴史は18世紀の自由思想とともに,根本的な変化を生ずる。あえて宗教的束縛に挑戦したスペイン説話の主人公ドン・フアン,性の全面的自由と個人主義を主張したサド侯爵や,カザノーバのような文学者があらわれるからだ。とりわけサドはエロティシズムの歴史の分水嶺に立っており,その影響は現代のバタイユにまで直接に及んでいる。サド以後,19世紀のブルジョア社会は性のタブーを強め,ビクトリア時代に代表されるような偽善的傾向を強めた。ビアズリーが繊細な線描によって,あの倒錯的なエロティシズムを表現していた時代,ロンドンには何百軒という淫売屋が営業していたという。オーストリアのザッヘル・マゾッホが,のちにマゾヒズムと呼ばれるようになる倒錯を描いて,受苦の歓びに初めて意識的に表現をあたえたのも19世紀末である。よかれあしかれ20世紀はフロイトの世紀であり,そのリビドー学説や抑圧の理論によって,この時代のエロティシズムは大きく左右された。あらゆる人間の行為に性的動機を探ろうとする強迫観念,これがフロイトの残した神経症だった。この傾向のもっとも典型的な例はシュルレアリスム絵画であろう。19世紀の終りから,クラフト・エービングらの医学者によって開拓されていた性科学が,学問としての市民権を得たのも20世紀以後である。大衆社会とか管理社会とか呼ばれる現代の特徴の一つは,エロティシズムの大衆化であり,それは映画やテレビや活字などのあらゆるメディア,広告写真やデザインやファッションなどのあらゆる風俗現象によって,ひろく世界中に流通している。現代社会は窃視症にかかっているといわれるゆえんであり,欲求不満が常態化しているといわれるゆえんである。
→性
執筆者:澁澤 龍
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
セックスの行為は、それ自体では別にエロティックではない。そのイメージを喚起したり、暗示したり、表現したりすることがエロティックなのである。つまりエロティシズムとは、生物としての人間の本能的な欲望や生殖行為とは無関係な、本質的に心理的な基盤から発するものであるから、人間のあらゆる文化的伝統、神話、習俗、宗教、芸術などのなかに、深くその根を下ろしている。ギリシアの神々の集まるオリンポス山は、古代人たちの自由な性生活をそのまま反映している。聖書のアダムとイブの物語は、男女間のエロティシズムが文化や労働の発生の根源に横たわっていることを示しており、遊牧民族の厳しい生活や風土的条件を反映している。日本の古代神話なども、むしろギリシアに近い農耕民族の恵まれた生活を反映しているといえよう。ポンペイの壁画などにみられるように、古代人の性生活はきわめて自由なものであったし、その造形的表現も、現代人には想像も及ばない開放的な性格を表していたと思われる。
ヨーロッパの中世はキリスト教の時代であり、精神的な価値が重んじられたから、一般にエロティシズムの表現は衰微したようにもみられているが、かならずしもそうではなかった。罪の観念や悪魔のイメージが、これほど民衆の間に強迫観念のように広まった時代はなく、その造形的表現も、たとえばロマネスクやゴシックの寺院の石造彫刻などに、はっきり現れている。魔女迫害は、一種の社会的現象であって、神学によって否定された肉の快楽の、いわば復讐(ふくしゅう)であり、抑圧された民衆の集団的ヒステリーの爆発であった。カトリックの異端糾問(きゅうもん)や拷問の精神は、精神分析学的にみれば、病的なサディズムの現れにほかならない。このような中世のキリスト教的偽善を暴き、これに辛辣(しんらつ)な嘲笑(ちょうしょう)を浴びせかけたのが、勃興(ぼっこう)するルネサンス期のブルジョアたちのエロティックな芸術である。ミケランジェロやラファエッロが造形的な面で再発見した古代の健康な肉体は、ボッカチオやアレティーノが文学で表現した赤裸々な真実と、ぴったり重なり合うものだった。ルネサンスとともに、人間は世界の中心に裸で登場することになった。同時にまた、人間をあるがままに表現するというこの時代の精神は、新しい実験科学の発達を促し、写実主義を誕生させ、性生活における古いタブーを破壊するという結果を生ぜしめた。
スペイン説話の主人公ドン・ファンは、性のタブーを蹴(け)散らした象徴的な英雄である。実生活の面でも、フランス18世紀のサド侯爵やカサノーバのような、あえて宗教的束縛に挑戦し、性の全面的自由と個人主義を堂々と主張する文学者が現れた。この精神は、社会的には18世紀のブルジョア革命につながり、文学的には、19世紀初頭のロマン主義の台頭に結び付く。つまり近代のエロティシズムの歴史は、セックスに関する宗教的迷信やタブーの徐々に崩壊してゆく過程の歴史である。厳密な意味での性科学は、20世紀になるまでだれも手をつける者がなかった。ハベロック・エリス、ジクムント・フロイト、アルフレッド・キンゼイらの学者の努力により、初めてエロティシズムの科学および哲学は、学問としての市民権を得たといってよい。とくにフロイト一派の無意識の心理学によって、あらゆる人間活動の根底にリビドー(性的欲望)が横たわっていることが主張されたのは、20世紀の画期的なことであった。大衆社会状況とよばれる現代の特徴の一つは、エロティシズムの大衆化であり、それは映画やテレビや活字などのあらゆるメディアや、ストリップショーやヌード写真などのセックス産業や、ファッションなどのあらゆる風俗現象によって、広く世界中に流通している。
[澁澤龍彦]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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