デジタル大辞泉 「ロストフ」の意味・読み・例文・類語
ロストフ(Rostov/Ростов)
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ロシア連邦北西部,モスクワの北東約200km,ヤロスラブリ州のネロ湖畔に位置する都市。人口3万6400(1993)。ロシアの古都で,ロストフ・ヤロスラフスキーRostov-Yaroslavskiiともいう。12~17世紀にはロストフ・ベリーキーRostov Velikiiと呼んだ。《原初年代記》の862年の項に初めてその名が現れる。10世紀にはロストフ・スーズダリ公国の首都となったが,やがてウラジーミル・スーズダリ公国に併合された。
1207年ロストフ公国の首都となったが,38年のモンゴル軍による破壊ののち公国は分裂した。14世紀にはモスクワ大公国の影響下に入り,1474年完全に併合された。その後18世紀末までは大主教座(のち府主教座)の所在地として,宗教的に重要な意味を保持した。17世紀からこの地に定期市が開催されるようになり,それは19世紀前半には,ニジェゴロドとイルビートに次ぐロシアで第3の規模を誇った。ウスペンスキー大聖堂(16世紀),鐘楼堂(17世紀)などを擁するロストフのクレムリン(16~17世紀)は古都にふさわしい偉容をみせている。
執筆者:栗生沢 猛夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ロシア連邦西部、首都モスクワ北東約200キロメートルにある都市。人口3万3万4800(2003推計)。12~17世紀にはロストフ・ベリーキーРостов Великий/Rostov Velikiy(「大ロストフ」の意)とよばれた。ロシア最古の都市の一つで、史書には862年に初めて記され、10世紀にロストフ・スズダリ公国の、1207年にはロストフ公国の首都となったが、1238年モンゴル軍の侵攻により破壊され、1474年モスクワ大公国領となった。17世紀から定期市が開かれ、商業中心地としてロシア中に知られるに至った。大僧正(だいそうじょう)公邸(現博物館)を含むクレムリン(16~17世紀建築)、ウスペンスキー聖堂(16世紀建立)、当時の列状の商店街などが残され、市外のボリソグレプスキー修道院などとともに歴史的建築美術保全地域に指定されている。
[渡辺一夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報