改訂新版 世界大百科事典 「ロンバルディア都市同盟」の意味・わかりやすい解説
ロンバルディア都市同盟 (ロンバルディアとしどうめい)
Lega Lombarda
12世紀後半~13世紀前半にドイツ皇帝の強力な支配政策に対抗して北イタリアの主要都市が2回結成した大同盟。(1)第1回 神聖ローマ帝国を再建し,イタリアの繁栄する新興諸都市から権力と富を引き出そうと考えたフリードリヒ1世は,1158年イタリア支配を明らかにしたロンカリア立法を制定し,63年北イタリアの雄ミラノを征服し,実際に支配を確立したかにみえた。しかし,これに対抗してミラノを助ける同盟,すなわち64年ベローナ同盟が,さらに67年クレモナとポンティダの両都市代表者会議でロンバルディア諸都市の同盟が結成された。特に4月7日に開かれた後者の会議が伝統的に同盟の起源とされる。12月教皇使節(ミラノ大司教)の仲介で上記の同盟を含む16都市が新たに同盟誓約を結び,翌年重要拠点に新都市を建設して,反皇帝派の中心である教皇アレクサンデル3世にちなんでアレッサンドリアと命名した。同盟への参加は73年には親皇帝派都市も含め31都市にふくれ上がる。同盟組織は都市代表者レクトルrectorによって運営され,戦争遂行,都市間対立の調整,経費の共同負担等がおもに決議された。大都市は中小都市を糾合するために領土を侵さない誓約をした。本来,政治・軍事的同盟ではあったが,相互に交易の自由を保障し合う経済的性格も帯びた。同盟軍は76年レニャーノの戦で皇帝軍を破り,83年コンスタンツの和で皇帝の宗主権を認める代りに,同盟の存続とこれまでの諸特権を皇帝に認めさせた。以後同盟は更新されるが,力を失う。(2)第2回 フリードリヒ2世の中央集権的支配政策に対抗して,1226年19の都市と伯が同盟結成。軍事的には皇帝が勝利し,レニャーノの戦の雪辱を果たすが,ミラノ等の都市が抵抗し続け,結局皇帝の敗北に終わる。都市同盟の勝利の結果,帝権は後退し,後のイタリアとドイツの分立主義的な都市国家体制や領邦体制をつくり出す先駆となる。
執筆者:佐藤 眞典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報