オーストリアの指揮者。ポーランドのクラクフに生まれ,生地およびウィーンの音楽院に学んだ。1918年ウィーン・フィルハーモニー合唱団指揮者となり,以後シュトゥットガルト,ダルムシュタットの歌劇場指揮者,ウィースバーデン,マンハイムの歌劇場音楽監督などを務めた。33年ベルリンのユダヤ文化協会指揮者。36年新交響楽団(現,NHK交響楽団)指揮者として来日し,ユダヤ人が日本の楽壇を追われた第2次世界大戦末期を除いて,46年渡米するまで同楽団を指揮した。さらに,51年より何度か来日してN響を指揮。49-53年アスペン音楽祭総監督。52-56年ニューヨーク・シティ・オペラの音楽監督,58-60年ケルン歌劇場音楽監督。戦前・戦後を通じて,日本の交響楽団の育成に果たした役割は大きく,1951年N響の名誉指揮者となった。《ピアノ・ソナタ》(1918)などの作品もある。
執筆者:西原 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ポーランド出身のアメリカの指揮者。生地クラクフの音楽院、ついでウィーン音楽アカデミーでピアノと指揮を学ぶ。1922年からドイツ各地の歌劇場の指揮者・音楽監督を歴任。36年(昭和11)ナチスの迫害を逃れて来日、46年(昭和21)まで新交響楽団(現NHK交響楽団)の指揮者として活動、オーケストラの育成に大きく貢献した。46年からニューヨーク・シティ・オペラ指揮者、ついで音楽監督として活躍。51年NHK交響楽団名誉指揮者に推された。
[岩井宏之]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…初代指揮者は近衛秀麿で,翌27年定期演奏会を開始。36年ローゼンストックを常任指揮者に迎えるに及び飛躍的にその質を向上。42年日本放送協会と新交響楽団を設立者として日本交響楽団(日響と略称)が設立され,同年山田和男,尾高尚忠が専任指揮者に就任。…
※「ローゼンストック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加