日本歴史地名大系 「一乗寺城跡」の解説 一乗寺城跡いちじようじじようあと 富山県:小矢部市八伏村一乗寺城跡[現在地名]小矢部市八伏越中・加賀国境の東側にある枡(ます)山(二七九メートル)の山上に築かれた山城。山上からは南西に松根(まつね)城(現石川県金沢市)跡、北東に礪波(となみ)山中の源氏(げんじ)ヶ嶺(みね)城跡などを望むことができる。当地は加賀河北(かほく)郡より越中礪波郡五郎丸(ごろまる)へ抜ける中世以来の山越道(田近道)を押える交通上の要衝であった。南北朝期に築かれて以来、越中・加賀国境線の拠点として重視された。応安二年(一三六九)一二月日の得田章房軍忠状(尊経閣文庫蔵得田文書)に「一乗之城」「蟹田一乗城」とみえ、能登吉見勢に敗れ、加賀の平岡野(ひらおかの)(現金沢市)から当城に退いた桃井直和は、九月一七日に城を攻め落されている。「三州志」によると初め丹羽吉左衛門が拠り、のち佐々成政の部将杉山小助が守った。 一乗寺城跡いちじようじじようあと 石川県:河北郡津幡町北横根村一乗寺城跡[現在地名]津幡町北横根、富山県小矢部市八伏北横根(きたよこね)の南東、枡(ます)山(旧升形山、二七九メートル)山上に位置し、旧加賀・越中両国の境にあたる。横根城などともよばれた(「加賀志徴」など)。「三州志」によると、規模は東西二五間・南北三八間、二方は深い谷で、他の二方には堀切道、平地約二〇〇歩があり、二の丸・三の丸は不明としている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by