朝日日本歴史人物事典 「一条兼輝」の解説
一条兼輝
生年:承応1.4.13(1652.5.20)
江戸前期の公家。徳川家光の養女として関白一条教輔と結婚した,備前池田光政の娘輝子との間に生まれる。初名内房,のちに冬経,兼輝と改名。霊元天皇の信任厚く,延宝5(1677)年右大臣のあと,左大臣を経ずして天和2(1682)年関白に越任。霊元天皇を中心にすすめられた朝儀復興や朝廷制度の改革に尽力した。近衛基煕と対立した霊元天皇の執政を支えた重要人物として知られ,その日記『兼輝公記』は,公家と武家間の交流,江戸時代の公家の信仰,儀礼,霊元期の朝幕関係を知る好史料。元禄12(1699)年ごろから中風を患い,54歳で死去。号円成寺。<参考文献>平井誠二「江戸時代の公家の精神生活―一条兼輝を中心として―」(『大倉山論集』25号)
(母利美和)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報