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一条兼輝 いちじょう かねてる

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美術人名辞典の解説

一条兼輝

江戸前期の公卿。教輔の子。名は初め内房、ついで冬経、円成寺と号する。延宝5年右大臣となり、のち関白・摂政等を歴任。寛永2年(1625)歿、54才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

一条兼輝 いちじょう-かねてる

1652-1705 江戸時代前期の公卿(くぎょう)。
慶安5年4月13日生まれ。一条教輔(のりすけ)の子。万治(まんじ)4年従三位。右大臣にすすみ,天和(てんな)2年関白。貞享(じょうきょう)4年から東山天皇の摂政,関白をつとめ,霊元(れいげん)上皇の院政を補佐。従一位。神道などの学問に精通し,朝廷内の儀礼の復興,制度改革に尽力した。宝永2年9月10日死去。54歳。名は初め内房(うちふさ),ついで冬経(ふゆつね)。法号は円成寺。日記に「兼輝公記」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

一条兼輝

没年:宝永2.9.10(1705.10.27)
生年:承応1.4.13(1652.5.20)
江戸前期の公家。徳川家光の養女として関白一条教輔と結婚した,備前池田光政の娘輝子との間に生まれる。初名内房,のちに冬経,兼輝と改名。霊元天皇の信任厚く,延宝5(1677)年右大臣のあと,左大臣を経ずして天和2(1682)年関白に越任。霊元天皇を中心にすすめられた朝儀復興や朝廷制度の改革に尽力した。近衛基煕と対立した霊元天皇の執政を支えた重要人物として知られ,その日記『兼輝公記』は,公家と武家間の交流,江戸時代の公家の信仰,儀礼,霊元期の朝幕関係を知る好史料。元禄12(1699)年ごろから中風を患い,54歳で死去。号円成寺。<参考文献>平井誠二「江戸時代の公家の精神生活一条兼輝を中心として―」(『大倉山論集』25号)

(母利美和)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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