出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良市忍辱山(にんにくせん)町にある真言宗御室(おむろ)派の寺。山号は忍辱山。756年(天平勝宝8)聖武(しょうむ)、孝謙(こうけん)両天皇の勅願により、唐僧の虚瀧(ころう)が開創。1026年(万寿3)命禅(みょうぜん)が再興して十一面観音を祀(まつ)り、中世、山科(やましな)(京都)鹿ヶ谷(ししがだに)にあった円成寺の名称を継いだといわれる。1112年(天永3)迎接(こうしょう)が阿弥陀(あみだ)堂を建てて阿弥陀如来(にょらい)を安置し、保延(ほうえん)年間(1135~41)に実範(じっぱん)が中興した。1156年(保元1)に京都仁和寺(にんなじ)の寛遍(かんぺん)が東密(真言密教)の一派忍辱山流を創始して寺勢は盛んとなった。1466年(文正1)応仁(おうにん)の乱で主要な伽藍(がらん)を焼失したが、ほどなく栄弘(えいこう)が再建。江戸時代には寺中(じちゅう)23寺、寺領235石を有する大寺となったが、明治維新後は衰え、現在の境内と建物を残すのみとなった。1961年(昭和36)伽藍の解体修理、76年に庭園の復原改修が行われて寺観を一新した。国宝に鎮守春日(かすが)堂、白山(はくさん)堂ならびに棟札。国の重要文化財に本堂(阿弥陀堂)、楼門、宇賀神(うがじん)堂、五輪塔、本尊厨子(ずし)、阿弥陀如来坐像(ざぞう)、大日如来坐像(運慶作)、四天王立像などがあるほか、県指定の文化財も多い。復原された庭園は平安時代庭園として貴重な遺構である。
[野村全宏]
奈良市にある真言宗の寺。忍辱山(にんにくせん)と号す。もと京都にあり,藤原基経の妹淑子が夫藤原氏宗冥福のため889年(寛平1),東山鹿ヶ谷に建立。宇多天皇の師僧益信を別当とし,同年定額寺となる。忍辱山は1026年(万寿3),命禅が柳生の地に創建,実範の中興。火災により一時衰えたが,応仁の乱のころ円成寺を京から移し,合わせて1511年(永正8)再興。春日造最古の遺構で国宝の春日堂・白山堂はじめ国宝,重文が多い。
執筆者:速水 侑
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…12世紀半ばすぎまで存続が確認できるが,鎌倉時代に入ると消滅したようである。(4)円成寺領。1117年(永久5)国司が公役を賦課した際の史料には,宇多天皇の施入で,官省符による免除をうけていたとしるされている。…
…益信は900年に僧正に補され,翌年には東寺で法皇に伝法灌頂を授けた。それより先,尚侍藤原淑子の病気平癒を祈って験あり,尚侍が建てた東山の円成(えんじよう)寺の別当に迎えられた。空海とその弟子たちが活動したあとを受けて,密教の興隆につくし,数々の密教の作法書などを著して,真言宗東密広沢流の開祖となった。…
※「円成寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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