知恵蔵 「一澤帆布」の解説
一澤帆布
61年に「一澤帆布工業株式会社」を設立。一品ずつ自社で縫製をし、実費で修理を行うなどアフターケアにも取り組む。「一澤帆布製」という商品のタグが有名。89年「京都デザイン優品」に「だ円型手さげバッグ」が入選、その後も京都デザイン優品には多くの商品が入選している。
3代目である一澤信夫会長が2001年に死去。その後、相続を巡って、元銀行員の長男・信太郎氏と、当時の社長である3男・信三郎氏との間で信夫会長の遺言書を巡ってトラブルが発生する。「信三郎氏らに会社の株を遺贈する」と記した内容の顧問弁護士に預けた遺言書と、信太郎氏が預かっていた、長男らに株を譲るとした遺言書の2通あることが発覚。信太郎氏の持つ遺言書が内容や筆跡などから明らかに不自然だったため、信三郎氏は裁判所に信太郎氏が持つ遺言書の無効を訴えたが、2004年、最高裁で敗訴が確定した。
信三郎氏は1980年から一澤帆布工業で働き、83年代表取締役に就任していたが、裁判で勝訴した信太郎氏が2005年12月に開いた株主総会で解任された。これにより信太郎氏が一澤帆布工業の代表取締役に就任する。しかし、店舗と工場は「一澤帆布加工所」を設立した信三郎氏が使用していたため、信太郎氏は店舗と工場の明け渡しを求める仮処分申請を行う。それが認められ、06年3月に強制執行された。これを受け、信三郎氏は別工場を確保して「一澤信三郎帆布」を設立し、「信三郎帆布」と「信三郎かばん」という新しいブランドを立ち上げた。一澤帆布工業の職員約70人は、全員が「一澤信三郎帆布」に移籍し、実質製造部門を失った一澤帆布工業は営業を一時休止せざるを得なくなった。
09年6月、信三郎氏の恵美夫人が訴訟を再度起こした結果、信太郎氏の持つ遺言書の無効と信三郎氏を解任した株主総会の決議の取り消しが確定した。これによって、信三郎氏と恵美夫人が一澤帆布工業の代表取締役に復帰する。しかし、信三郎氏は「経営から離れている間に一澤帆布の物づくりが変わってしまい、再開のめどが立たない」」とし、一澤帆布の店舗を休業させた。11年4月より、一澤信三郎帆布を、もともと一澤帆布工業があった店舗に移し、一澤信三郎ブランドと一澤帆布ブランドの両方の製品を取り扱うこととなった。これによって「一澤帆布」が復活した。
(金廻寿美子 ライター / 2011年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報