南都七大寺・南都七堂・奈良七大寺とも。平城京およびその周辺にあって南都の教学・仏事を担った七つの大寺の総称。呼称の初見は「続日本紀」天平勝宝8年(756)5月丁巳条。当初の構成は藤原京から移建した大安寺・薬師寺・元興寺に興福寺・東大寺を加えた五大寺以外は不明。のち西大寺と法隆寺を加えるのを通例とするが,唐招提寺(とうしょうだいじ)・弘福寺・新薬師寺を加えたり,興福寺・薬師寺・法隆寺・西大寺・大安寺・法華寺・清水寺をあてる説もみえる。
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…680年(天武9)4月に蘇我氏の氏寺であった飛鳥元興寺が,当時あった二,三の国大寺とともに官寺の中に入れられ,また聖徳太子の熊凝(くまごり)寺も舒明天皇のとき百済大寺となったと伝える。奈良時代初期には四大寺,五大寺,七大寺(大安,薬師,元興,興福,法隆,東大,西大寺)と増加し,791年(延暦10)には弘福寺,四天王寺,崇福寺の3寺を加えて十大寺と定め,《延喜式》に至っては唐招提寺,東寺などを加えて十五大寺と呼ばれた。官寺すなわち大寺は国家が檀越(だんおつ)で,造建するに当たっては,造仏官,造寺司が設けられた。…
…奈良(南都)にある七つの大寺。677年(天武6)の大官大寺に始まる大寺制は,四大寺,五大寺と発展し,756年(天平勝宝8)5月に七大寺の名が初見する。8世紀後半に西大寺が創建されるに及んで,東大寺,大安寺,興福寺,元興(がんごう)寺,薬師寺,法隆寺,西大寺を七大寺と称するにいたった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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